教育投資ジャーナリストの戦記さんが娘の中学受験体験を通じて考える「子どものATM」論。SNS時代の中学受験過熱で、他所の家と比べて苦悩する親が増えています。
はじめまして、教育投資ジャーナリストの 戦記(@SenkiWork) と申します。
「教育投資」という言葉に聞きなじみのない方も多いかと思います。誰のためのものなのか、何の目的なのか…。国家レベルでは明治期の留学制度などが頭に浮かびますが、家庭レベルでは「親としてわが子にお金を出して教育をするが、その受益者はわが子と親である」という話です。
今回のキーワードは、「子どものATM」。当然、自分でお金を稼ぐ力を持たない未成年にとって、親が生活もろもろのお金を出し、支えるのは義務です。とはいえ、ATMというとずいぶん都合のいいものというか、いい加減な金銭感覚を生むような印象すらあると思います。
さて、この話をしていくためにも簡単に僕の自己紹介をしてみたいと思います。簡潔にまとめると、「経営者 × 教育投資ジャーナリスト × S&P500種指数投資家」という三足のわらじを履いてます。
私のキャリアと家族構成。上場企業のマネジメントなど
僕は両親が高卒家庭で1976年に生まれ、中学受験を経て千葉県の私立中高一貫校である市川学園に進学しました。
同社のMBA派遣制度を利用して、2009年から2011年まで米国カリフォルニア州にあるUC Berkeleyに留学。帰国後は港区に住みながら、米国、カナダ、スペイン、フランスへの長期出張を繰り返して1,000億円規模の投資案件を担当しました。
2018年に最高財務責任者(CFO)のような経営者キャリアを歩むことを決意して、スタートアップ2社にて合計35億円の資金調達といった実績をつくった後、上場企業のCFOを3期経験し、現在は外資系企業で仕事をしています。
家族構成は、大学1年生の夏前に付き合い始めた彼女(埼玉県立浦和第一女子高等学校から早稲田大学教育学部数学科)とそのまま結婚しました。妻は、商社マンと結婚したにもかかわらず国家公務員としてのキャリアを継続してくれて、現在は資本市場の番人のような仕事をしています。娘は2009年に生まれました。
娘の中学受験記と教育投資ジャーナリストになるまで
2016年3月に、当時年長の娘がサピックスの入塾テストを受けたところ、それまで家庭内教育を頑張っていたはずなのに、最下位クラスからのスタートだったことがショックで、アメブロで「中学受験の反省録」を開始しました。
当時のブログの名前から、いつの間にか「戦記」と呼ばれるようになりました。2020年にはアメブロにて恒常的に100万PV/monthとなり、教育ジャンルで1位にもなったことから、独自ドメイン(senkiwork.com)を立ち上げました。
2022年2月の娘の中学受験は完勝したわけではありませんが、第一志望群として掲げていた都内鉄緑会指定校の女子校2校のうち1校に合格して、進学しました。現在、高1生として忙しい毎日を過ごしてます。
2022年秋からX(旧Twitter)をゼロから開始しましたが、独特な切り口のツイートが刺さったのか、ありがたいことにフォロワー数が増加しました。
2024年1月にはAbema Primeに生出演してひろゆきさんと戦ったことが契機となって「教育投資ジャーナリスト」を名乗るようになり、自分自身が知りたいことを取材して各種メディアに寄稿してきました。教育ジャーナリストは多数の方がいらっしゃいますが、「(お金を出す親目線での)教育投資ジャーナリスト」は、僕が日本初のようです。
S&P500投資家として、子どもの教育資金を考える
三足目のわらじは、投資家としての顔です。2020年から、「資産運用と教育投資」の公開実験を開始し、当時はまだ人気がなかった「S&P500への長期積立分散投資」を開始しました。教育投資資金を、資産運用でまかなうことができるのか。金融資本のリターンを、娘という人的資本に投資する、という実験です。
過去5年間で約1.2億円を積立投資して、現在は約2.1億円(含み益が+0.9億円)に育っています。現時点で年間配当金が税後で約250万円に到達したことから、娘は配当金で学校および塾に通っていることになります。
以上が、「経営者 × 教育投資ジャーナリスト × S&P500投資家」という三足のわらじを履くことになった経緯です。
MBA留学や経営者キャリア、娘の中学受験記、そして資産運用を通して、学歴とキャリアとお金の関係を俯瞰(ふかん)して生々しくお伝えすることが、僕の得意分野です。
令和時代の子育ては親の究極の自己満足?
令和時代に入り、中学受験が過熱している今、首都圏や関西で子どもの教育、特に学歴づくりに力を割くことは「親の究極の自己満足である」と認識した方が、健全な親子関係を構築しやすいと考えています。
「子育てが親の自己満足だなんてとんでもない!」と怒られてしまいそうですが、以下の二つのご家庭を例に考えてみたいと思います。
<A家>
港区在住の共働き。
悩みは一人息子の成績。中学受験熱が高い地域でサピックスに小1から通わせたが、徐々に成績が低下し、小5の夏休みの現在、最下位クラス。慶應付属校はどうみても厳しい。息子の勉強は妻が見てきたが、夫がこの成績に怒ることが多く、深夜に二人で怒鳴りあうことが増えてきた。
息子のつらそうな姿を見るにつけ、中学受験を撤退も考えているが、同級生ママ友の目もあり、判断を迷う。
<B家>
都内下町在住の専業主婦世帯。夫婦ともに中流大学卒だが、夫は抜群のコミュ力を発揮して地元の不動産屋で奮闘。一人息子がいて、一馬力なのでそれほどお金はないが、家族三人で体を動かして遊ぶことが多く、夏休みはテント生活で日本全国の旅を重ねてきた仲良し家族だ。
小4のとき、息子が中学受験をしたいと言い出したので、友達に誘われたサピックスに入塾したところ、夫譲りのコミュ力で先生と仲良くなり、偏差値もぐんぐん上昇。小5の夏休みに入り、先生から、「御三家を目指しますか? それとも、早慶付属を目指しますか?」と聞かれたが、夫婦ともに未知の世界でピンとこない。
中学受験はするだろうが、夫は「まあ、勉強嫌いだった俺らの子どもだから過度な期待は禁物! やれることをやろう」と言ってくれている。しかし、わが家の経済力でどこまで対応できるのか…。
親の学歴、世帯年収、家族の過ごし方、教育への熱量、子どもの成績…。全てがきれいに整うかといえば、当然そんなことはありませんし、外から見てどちらがいいか、悪いかなんて、至極余計なお世話ですよね。
ただ、残念ですが、2025年現在、かつては決して出会うことがなかったA家とB家がすれ違うという悲劇が至るところで起こっています。出会ってしまう以上、A家がB家に嫉妬を含む複雑な感情を持つことは、不可避でしょう。
そもそもインターネットが発達する前までは、A家とB家は、お互いの存在を認識することは、ほぼあり得なかったのです。インターネット上で最も原始的なツールである掲示板は1998年くらいから活発化しましたが、ブログが盛り上がってきたのは2004年ごろから。
Twitterが日本語対応可能になったのは2008年。中学受験をテーマにした小説『下剋上受験』が出版されたのが2014年で、その頃から、「わが子の成績を記録に残したり、情報収集をするためにブログやTwitterを検索する」事例が増加してきました。
そう、SNSによって「本来、知らずにすんだ、お隣の受験事情」が見えてしまい、学歴や年収、居住地など属性が異なる家庭と比べられてしまうようになったのです。望むか望まないかはさておき、まじめに中学受験に取り組み、子どものためと思って情報収集をすればするほど、ライバルの状況がSNSを通じて半ば強制的に自分に送りつけられることになります。
本来、子育てというものは、(1)その結果を誰かと比較すべきものではなく、また、(2)親と子は別人格を持つ別個の人間なので、わが子の成功は親の功績というものではありません。
しかし、令和時代の現在起きていることは、
(a)中学受験という共通プロセスで同じ指標での同世代相対評価を強いられ、(b)Xを中心とするSNSから強制的に情報が流れ込んでくる構造により、「わが子の偏差値は親の人格」とさせられてしまうような事態になっているのです。
親としてわが子だけを見つめて、全力を尽くす。そのような行動が理想的なのは間違いありませんが、全力を尽くせば尽くすほど、他人のお子さんに目が行ってしまう。そして、つい、わが子と比較してしまう。
このような時代に大事なのは、「子育ては親の究極の自己満足」である、くらいに悠然に構える覚悟だと思います。自己満足というと、どこかしらネガティブな印象を持つかもしれませんが、「他者からの評価を気にしない」という、SNSが発達した現代社会で幸せに生きていくために重要な要素を含んでいます。
僕の場合は、サピックス最下位クラスでも小1の娘(2016年当時)のリアルな学習方法や成績をブログで発信することで、娘よりも上の学年の保護者の方から、「その勉強方法は間違えているよ」とか、「こういう教材を活用したほうがいいよ」という建設的批判をいただくことで、毎日のように学習方法の反省と改善を繰り返してきました。
これは、僕の「他者からの評価を気にしない」というスタンスがあったからこそ、前向きに行動することができたのだと今では考えています。
他者からの評価を気にしないことは、言い換えるならば、親自身が自己満足だと認識することになります。この心境に至ると、わが子に対する期待値を上げすぎないという客観性を確保することができますので、結果として、平和な親子関係を構築できるようになるのではと考えます。
親の仕事の1丁目1番地は「わが子のATM」?
前述の通り、SNS全盛時代においては、子育ては親の究極の自己満足であると認識しておいた方が、精神衛生上よいことになりますが、自己満足であるということは、教育に拠出するお金の問題についても考える必要があります。
ネットで教育虐待のニュースを見るたびに悲しく思うのですが、子どもに対して、運動や片付けのような肉体的な活動や労働を強制することは可能ですが、勉強という精神的な活動を強制することはほぼ不可能だと考えます。机にわが子を縛り付けても、漢字を工夫して暗記したり、算数の難問を考え抜いてくれるとは限りません。
そもそも、この種の押し付けで成績が上昇するのならば、サピックスは果てしなくブラックな塾になっているはずですが、実際には上位クラスほど活発な討議がなされ、笑いで満たされています。つまり、教育虐待という手法では成績は向上しないことは明らかです。
教育という観点では、子どもの内発的動機付けを信じるしかありません。お金やゲームや食べ物といった外から与えられる外的報酬に基づくものではなく、内面から湧き上がる興味や関心、意欲によって動機付けられている状態が大事になります。
「親である私が主体的に関わることで、わが子の成績が伸びるのではないか」という発想自体は悪くありませんが、これが行き過ぎると、わが子の内発的動機付けを破壊することになりかねません。
中学受験の経験を踏まえて、これまでいろいろなご家庭とSNS上でコミュニケーションを取らせていただきましたが、上手に子どもとの距離感を保てているか否かに一つの境目があるように感じました。
具体例を挙げるならば、小1から小3の低学年時代に成績が良いことを自慢げに語るブログやXは多数あるのですが、小4以降に現実に直面すると、更新頻度が減り、やがては閉鎖される事例はたくさんあります。
自分の子どもの成績が良いことは親として気持ちが良いことなのは間違いありませんが、いつの間にか、子どもの人格と自己を同一視してしまい、やがて子どもの成績が低下するとその現実に耐えられなくなる、という構造のようです。
半面、ブログやXを長く継続できている方は、子どもとの距離感が絶妙だと感じることが多いです。成績が良いときも、悪いときも、あまり感情的にならずに淡々と改善活動をしているご家庭は、最終的には受験で良い結果を出している方が多い印象です。
つまり、「親の仕事はATMである」というくらいの冷めた立ち位置の方が、わが子の勉強に過度に入れ込むことを防止できるのではないかと考えます。
親はお金を出せばよい、という意味にとどまることなく、「親は、別人格であるわが子のモチベーションを刺激し、勉強する情熱を燃やしてあげることで、ATMとしてお金を引き出される存在」になることが理想的なのではないでしょうか。
いくらお金があっても、わが子に勉強の意思がなければ、ATMからお金が引き出されることはないのです。
「今日、塾の理科が天体の授業だったんだけど、パパとママと一緒にキャンプしたときの星空の仕組みが、少し分かった気がする! みんなと競争しながら解くのがすごい楽しいよ! 次はブラックホールとか、宇宙の謎について勉強してみたいな!」
お子さんがこんなことを言ってくれたら、親も気持ち良く「ATM」になれると思いませんか?
(戦記)