株主総会を仕切り、決算報告を提供する「IR」。企業のフロント的存在で、公的発表に終始するお堅い部門かと思っていたが、今回の市川氏への取材で「IR」への印象ががらりと変わった。
市川祐子さん
Q1:そもそもIR(Investor Relations)は何をする部門なのか?
A:企業とステークホルダーをつなぐ「架け橋」が役割です
私がIR部門の方向けの研修で、最初にする話をしましょう。
世界で最初の株式会社は1600年ごろのオランダ東インド会社です。大航海時代、海の向こうのお宝を獲得するために、危険な航海にチャレンジする船に対して、お金を出してくれる人を募ったのが始まり。
まさに株式会社の原型です。船はいったん港を出てしまうと、どんな速度でどこへ向かっているのか、船長が不正を行っていないのか…などなど、船の中で何が起こっているのかが、陸からは、まったく分からない状況です。IRとは、この陸で待っている船主(株主)に向けて、船の中で起こっていることや今後、お宝を取れる可能性がどれくらいあるのかなどをレポートするのが役割です。
Q2:IRと広報、似ている点と違う点
A:広報は幅広い一般層へ、IRは投資家へ、ターゲットと伝える内容が異なります
広報とIRは共通点も多く、中小企業では一部門が両方を兼ねている企業もあります。企業の情報を企業外の方々に発信していく、という点では役割は同じですが、ターゲットと伝える内容が異なります。
広報は、マスメディアや一般消費者・生活社の方々へ、一般的な会社情報や商品、サービスに関する情報を伝えていくのが役割。
IRは、投資家に対し、企業の現状や業績、将来の見通しなど、投資判断に必要な情報を発信していくのが役割です。
つまり、IRは、業績や決算、コーポレートガバナンスなど、より経営に近い情報を扱います。最近ではサステナビリティなども伝えるべき情報に加わりました。
広報もIRも、企業と外部の良好な関係を目指すという点では同じですが、IRに特化した着地点はズバリ、「適正な株価や時価総額の形成」がゴールとなります。投資家の期待値を高めすぎる情報を出し過ぎると株価は割高に、逆に将来の成長見通しを正確に伝えられていないと株価が適正価格より割安に評価されてしまいます。
適切な情報を適正なタイミングで開示する、文字通り「適時開示」が役割です。将来の計画や企業への好感度や期待値に直結しますが、未来は常に不確実なため、夢や期待を語りすぎると後でがっかりさせてしまう。最適な開示タイミングで、企業の夢を投資家と共有するのがIRの役割といえます。
Q3:上場するとき、裏で何が起こっている?
A:最長10年、企業の内部統制も上場準備の一つです
上場準備に関しては、だいたい2~3年くらい前から始まります。中には10年くらい準備にかかる企業もあります。
主幹事証券会社を通じて準備をし、東京証券取引所(東証)へ上場申請し、東証審査を経て承認を得るまで2~3カ月かかります。上場承認を得た時点で初めて投資家の皆さんの知るところになり、それからブックビルディングなどの手続きを経て、1カ月後くらいに晴れて上場となります。
上場申請の前の「上場企業としてふさわしい内部統制を準備する」という段階が非常に重要です。
たいていの企業では、「上場準備室」が立ち上がり、経営企画室や社長室、経理、財務、法務などの各部門から責任者・担当者が集められます。
特に経理は重要で、それまでは監査を受けていなかった企業も、会計士の監査を必須として監査報告書をつけて決算書を出すなどの体制を整えます。また経理面での承認プロセスなども見直し、不正が発生しないような仕組みを確立するというリスク管理面が、感覚的には7~8割を占めます。
私は楽天が、当時のジャスダック市場から東証一部(当時。現在は東証プライム)に上場(市場変更)する際のIRや、NECエレクトロニクス(現ルネサンスエレクトロニクス)のIPO準備を担当したのですが、経理や財務の専任担当者が3~4人選出され、これらの経理面での透明性向上や不正リスク防止の仕組み化を行っていました。
上場する、ということは、投資家だけでなく、経済社会の中で責任をもって役割を果たせる「公器」である、という意味で「襟を正す」という意味がある、と私は考えています。
Q4:IRが効果的に機能している企業はどんな会社?
A:長期でワクワクさせ、短期で地に足の着いた成長を語れる企業です
IRの役割としては、やはり投資家の皆さんに適切な期待を形成し、企業の未来に、ともにワクワクしていただける状況をつくることです。ただ、壮大な夢や未来を語る際、3年後なのか、10年後なのか、20年後なのか…その「達成時期」をミスリードさせてしまうと、単に「フカしているだけ」の企業になってしまいます。
「IR開示が上手だな」と思う実例を挙げるとすると、 キリンホールディングス(2503) 。未来の話をする際、中期経営計画書を使うことが多いのですが、キリンは9年先の「長期構想」を出して、企業が目指している方向を明確に示し、3年間の「中期経営計画書」と「単年度事業方針」で地に足の着いた進捗(しんちょく)を語ります。
しかも、〇年後に〇億円、というような数字への期待感だけが先走る目標ではなく、中期経営計画では、自己資本利益率(ROE)や1株当たり利益(EPS)を〇%アップさせる、という、合理的で意味のある約束を打ち出します。
また、私が社外取締役をしている クラシコム(7110) も、株主に対してユニークなアプローチを行っています。2022年に上場し、3年が経過しましたが、この3年間、着実に誠実に、丁寧な情報発信を継続した結果、株主総会では個人株主の皆様からは、企業をよく理解していただけているからこその、誠意あるハイレベルな質問が飛び交いました。株主の皆様とともに同じ船に乗りながらかじを切れていると、私は感じています。
この「期待値コントロール」と「合理性」のバランスがとれている企業は、誠実さとともに夢を共有できる、IRがIRにしかできない仕事をしている企業だと思います。
Q5:企業のIRは、個人投資家をどう思っているのか?
A:外から見た企業の姿をフィードバックしてくれる大切な存在です
機関投資家に比べて、個人投資家はアドバンテージが取りにくい、と思っている方も多いかもしれません。ただ、私は、個人投資家は機関投資家にできない強みがあり、個人投資家ならではの戦い方ができると考えています。
機関投資家は、誰かの資金を預かって運用しているわけなので、売る/買う/保有を継続する、いずれの場合も自身の自由な意思決定ができるわけではなく、出資者への説明が必要となります。
その点、個人投資家は、売っても買っても、塩漬けで持ち続けても、ちょっとだけ買ってみるのも、全てが自分の意思で行えます。
グロース市場に上場している、 スパイダープラス(4192) という企業があります。建設業を主な顧客とした建築図面・現場管理SaaSアプリなどを開発しているニッチ企業ですが、証券会社のカバレッジアナリスト(企業や業界を分析し、機関投資家に向けてレポートを発行する専門家)とのミーティングを全て文字起こしして開示するなど、機関投資家レベルが求める情報を公開しています。
機関投資家と個人投資家の間で、得られる情報の差分はほとんどなく、個人投資家が対等に戦える環境を提供しています。また、個人投資家は、大型株を扱うことが多い機関投資家とは違い、少し欠点はあるけれど成長性や期待値が高い中小型株に投資できることから、テンバガー(短期間に10倍以上に株価が上昇する銘柄)を発掘しやすいというメリットが大きいのではないでしょうか。
企業が上場する際、主幹事証券会社は、同セクターや規模感が同レベルの企業群の平均株価収益率(PER)などの評価を参考とした価格を基準に、やや低めに値付け(ディスカウント)した価格を公開価格として上場するのが常です。IPOディスカウントの本来の理由は、上場して多くの投資家の取引にさらされてこそ、企業のフェアプライス(公正価格)が定まる、という考え方のもと、取引実績のないIPO株はディスカウントされるべし、と言われています。市場で取引されている価格がフェアプライス、というのは、すでに上場している大企業の株価についても同じことが言えます。
企業にとって、投資家とは、個人も機関も、自分たちが進んでいる方向や、その伝え方を評価し、株価という形でフィードバックしてくれる、貴重かつ大切な存在としてとらえています。
Q6:令和のIR、目指すべき「最終ゴール」は?
A:外の声を経営陣に伝える「架け橋」の役割が重要課題です
これまでは、企業内で決めたことや業績などを外に向かって発信するのがIRの主な役割だったように思います。ただ、新NISA(ニーサ:少額投資非課税制度)以降、個人投資家が増え、投資家としてもハイレベル化したと感じています。
IRの役割は、最初に述べた通り、企業と外部をつなぐ架け橋であることは変わりません。ただ、中から外へ発信するだけでなく、世間や投資家の声を経営陣や企業内部にフィードバックするのも重要な役割になってきたのではないか、と私は感じています。
あまりよくない例ではありますが、2025年に大きな話題となった フジ・メディア・ホールディングス(4676) の2度にわたる記者会見を覚えている方も多いと思います。あの会見を、私は他人事とは思えず、広報やIRの立場も想像し、ハラハラしながら見ていました。
まず初動の1回目の会見が、限られたメディアだけが参加可能で、テレビカメラが不可だったクローズドな会見だったこと。2回目の会見では方針を一転し、あらゆるメディアを受け入れざるをえなかったためか、会見が異常なまでに長時間にわたり、企業・メディアの双方が疲弊してしまった会見となりました。広報・IRの立場の方々には、不本意な点もあったのではと推察しています。
そもそも、一般大衆にサービスやコンテンツを提供しているマスメディア企業であるにもかかわらず、社会一般の常識と、経営陣や上層部の常識がかけ離れていたために起こった事件であり、会見ではその一部が垣間見えたと言えます。
この件を他山の意思とし、「この決算説明では株主は納得しませんよ、コーポレートガバナンスの体制が、いち上場企業として不十分ですよ」、と、市場の声や世間の評価を、日頃から企業の内部にフィードバックする努力を続けることによって、社会的に批判される事件や、株価・企業価値の下落を防ぐ効果があるのではないかと私は思います。
令和のIRとしては、外部に対する発信だけでなく、社内のガバナンス体制や内部統制を正すための情報を伝え、それを怠ることのリスクをしっかりと全社に認識させることが重要な役割の一つになったと私は感じました。
昨今、個人投資家向けに力を入れようとしている企業が非常に増えていると感じています。日本取引所グループから「 資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応等に関するお願いについて 」という要請が出ており、その中には「株主・投資家との対話」も含まれています。
IR=目論見書や決算書以外の情報を出さないお堅い部門、と捉えている方も多いかもしれませんが、「中の人」はやはり「人間」で、自社を知ろうとする意欲的な個人投資家からの深い質問には、「期待に応えよう」とより丁寧な回答を返そうとします。
「中期経営計画書を読みました、社長の動画を見ました、決算書を見ました、その上でここをもう少し説明してほしい」、というような問い合わせに関しては大歓迎です。
多くの企業のIRは問い合わせフォームを設けています。タイミングによって「言えること、言えないこと」があり、回答する側も「フェア・ディスクロージャー」を守った状態ではあることは理解していただきたいのですが、できる限り疑問にお答えし、個人投資家との誠意あるコミュニケーションを求めている企業は増えています。
ぜひ臆さず、個人投資家ならではの強みを生かして、「IRを使いこなす!」くらいの意欲でコミュニケーションを取り、投資判断に活用していただきたいと私は考えています。
(トウシル編集チーム)

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