米国とイスラエルがカーグ島を攻撃するかどうかが、今後を左右する――。
イラン情勢悪化による「オイルショック再来」への懸念は、トランプ大統領の当座の方針転換によって落ち着きを見せました。
しかし、イランなどでの海外駐在経験が豊富なエネルギーアナリストの岩瀬昇氏は、「まだ巨大なリスクが残っている」と警鐘を鳴らします。
イランの体制転換が困難な理由
まず、今回の情勢を理解するために、イランがどのような国か説明します。
私はイラン革命直後の1979年、三井物産社員としてイラン国営石油会社(NIOC)との間で締結した大型原油長期契約の更改交渉のため現地に延べ2カ月ほど滞在しました。
そのさなかの11月4日、愛国的学生たちが米国大使館を占拠する事件が起こるわけですが、その直前に、革命で追われロンドンに亡命したNIOCの元高官から、イラン情勢やイラン革命について話を聞く機会がありました。
その元高官の話で印象的だったのが、「イラン人というのは、頭の上に『重し』が乗っていないとまとまれない民族だが、これからどうなってしまうのだろうか」という言葉です。
イランは国土が広くクルド人やバルーチ人など多くの民族を抱え、近隣諸国ともさまざまな問題を抱えています。自己主張の強い国民性もあり、強い指導者がいないと国がバラバラになるリスクがあるというのです。
革命前はシャー(国王)という「重し」が存在していましたが、革命でシャーが亡命してしまい、「重し」がなくなってしまいました。「重し」がない状態で、イランがまとまっていけるのか、彼は非常に心配していました。
振り返ると、イランは革命以降、ホメイニ師が打ち出した統治理論、イスラム法学者による統治(ヴェラーヤテ・ファギーフ)によって、「最高指導者」が「重し」の役割を果たしてきているといえるでしょう。
「体制転覆」というのは、ベネズエラのように指導者を交代させるだけではなく、この統治システムそのものをひっくり返さない限り、本当の意味での転換とはいえません。トランプ大統領は簡単に考えているようですが、イランでの「体制転覆」は容易なものではないでしょう。
イランは王制国家のサウジアラビアなどと違い、1906年の立憲革命以降、制限付きとはいえ国民に参政権がある仕組みになっています。
われわれの知る民主主義と違うのは、最高指導者の意向によって立候補者が制限されるという点です。もし、望ましい候補者がいない場合には、国民は「投票に行かない」ことで不満を示すなど、現行システムの中でも一定の意思表示をする仕組みになっています。
投票率が低いことは、国民が政府の統治に不満を持っていることの表れなのです。このように最高指導者と、国民の意思を完全には無視できないのです。
2025年末以降のイラン政府への抗議デモでは、当局の弾圧で多くの人々が亡くなりました。米国などによる経済制裁によって生活が困窮し、イラン国民の不満は高まっていますが、イラン・イスラム革命から47年が経過したいま、政府を打倒できるような強い反対勢力の軸は現時点では存在していないのです。
イランの指導者層は非常に現実的です。ホメイニ師の死去によってアリ・ハメネイ師が最高指導者に選出されるにあたり、憲法を改正するなど柔軟に対応してきた歴史があります。今回も国民の不満をある程度吸収しながら現実的に対応することで、イスラム革命によりつくり上げた「法学者の統治」体制を守り抜こうとするでしょう。
米国とイスラエルの「温度差」が招くリスク
今回の情勢が、2025年6月の米国とイスラエルによるイラン核施設の攻撃といった過去のイラン攻撃との決定的な違いは、イスラエルのネタニヤフ首相がイランの体制転覆を目的として、トランプ大統領を巻き込んで攻撃を実行しているという点です。
一方で、トランプ大統領は3月2日、イラン攻撃の目的として次の4項目を挙げています。
- 核兵器を保有させない
- ミサイル能力の破壊
- 海軍力のせん滅
- テロ支援の停止
ここには体制転覆は含まれていません。
この「ズレ」が引き金となり、状況が悪化するリスクがあります。トランプ大統領としては4項目を達成すれば勝利宣言をして攻撃を止めても良いのですが、ネタニヤフ首相はあくまでイランの体制転覆に固執する可能性があります。それなくしてイスラエルはイランの脅威から完全に逃れることはできない、という論理からです。
イランの最高指導者アリ・ハメネイ師が2月28日に暗殺された後、ハメネイ師の次男、モジタバ・ハメネイ師が後継に選ばれました。これは、イランが「これまでの非対称戦争(正規軍同士の衝突を避け、ゲリラ戦や代理勢力を用いる戦術)の路線を継続する」という強い意思表示です。
イランは、正面から米国やイスラエルと戦っても勝てないことを百も承知しています。だからこそ、製造コストが安いドローンやミサイルを使い、「正面衝突は避けるが、決して負けない」という戦い方を徹底しており、モジタバ氏の選出はこの戦略を継続することを示しています。
長期戦を覚悟しているイランに対して体制転換を目指すとしたら、陸上侵攻が不可欠です。空からの攻撃だけでは、9,300万人の人口を抱えるイランの統治体制をひっくり返すことはできません。
しかし、トランプ大統領のこれまでの行動・発言を見る限り、彼は米国人の人命を失うことを非常に嫌がっています。
トランプ支持者の中でも、いわゆる「MAGA(Make America Great Again、米国を再び偉大に)派」は、海外のことよりも国内の問題にリソースを割くべきというアメリカファーストの考え方です。
陸上侵攻で米国人に多数の死者を出せば11月の中間選挙には大きなマイナス要因になるので、トランプ氏としては避けたいでしょう。
ホルムズ海峡封鎖の打開策は?
現在、イランのイスラム革命防衛隊は、「自分たちに敵対する国の船を通さない」と宣言していることもあり、保険会社は保険料を増額し、一流の船会社は所有船を送り込むことを停止しています。まさにホルムズ海峡の「事実上の閉鎖」が起きているのです。
ホルムズ海峡を通る原油は日量約1,500万バレル、石油製品は日量約500万バレルにのぼります。世界の石油供給の約2割に相当します。これを代替ルートで完全に補うことは不可能です。
原油輸送の迂回ルートとしてサウジアラビアの東西パイプラインやUAEのフジャイラ・パイプラインが挙げられますが、フジャイラは既にフル稼働に近い状況です。
日量700万バレル能力のサウジの東西パイプラインには余剰能力はあるものの、輸送量を増やすには追加投資やポンプ群の整備が必要ではないかと見ています。
3月10日、国営石油会社「サウジアラムコ」のアミン・ナセルCEOは、決算説明会で約500万バレルの追加送油を短時間で実現できると述べていました。もし事実なら、消費国にとっては朗報ですが、それでも日量1,500万バレルの供給が不足のままです。
ホルムズ海峡の事実上の封鎖を打破するために、トランプ大統領は「再保険の提供」と「船舶の護衛」というアイデアを出しています。
米国は米国国際開発金融公社(DFC)がホルムズ海峡通航船への再保険を提供すると宣言しました。ただし、どのような条件なら適用されるのか不透明な部分が多く、即座に利用できるものではありません。
ホルムズ海峡を航行する船舶の保険料は数倍になっています。引き受ける保険会社も減少しています。仮にトランプ構想によって再保険の提供を受け、付保が可能になっても、いざ攻撃を受けて生ずる船員の人命や船体および貨物の資産価値を考えると「そんなリスクは取れない」と考える船会社が多いのではないでしょうか。
サウジアラビアの原油を積んでホルムズ海峡を通過したギリシャのタンカーもありましたが、こうした動きは例外的でしょう。
トランプ大統領は米国の戦艦による護衛も提案していますが、船籍など護衛対象となる船の条件は明らかになっていません。メッセージとしては理解できますが、具体的な条件が提示されていないため、船会社もそれを前提にホルムズ海峡を通航させる判断はできないのではないでしょうか。
トランプ大統領が打ち出したこれらの対策の実現性は不透明で、仮に条件が整って実行できるとしても、少なくとも1~2カ月はかかると思われます。
最大の懸念は「カーグ島への攻撃」
トランプ大統領にとっての最大懸念は、ガソリン価格が上がって米国民の不満が高まり、中間選挙で敗北することです。もし、油価が高止まりし、ガソリン価格の高騰などが起こってインフレによる生活コスト増が続く事態は最悪です。これを避けるため、どこかの段階で矛を収める可能性はあります。
しかし、それは一時的な「一息」に過ぎず、中東に真の安定が戻るわけではありません。
その前に、イランの体制転換を実現したいイスラエルがさらなる強硬手段に出るリスクがあります。イランの原油の約9割を取り扱う最大の原油積み出し拠点であるカーグ島への攻撃です。
イランは、ホルムズ海峡を完全に閉鎖すれば自分たちの輸出も止まってしまうため、よほどのことがない限り、自ら首を絞めるようなまねはしないでしょう。
しかし、もしカーグ島が攻撃されて原油が輸出できなくなれば、イランは「失うものが何もない」状態になります。その場合には、機雷をまく、ガンボートで攻撃する、ミサイルを打ち込むなど、ホルムズ海峡の完全封鎖措置に出てきてもおかしくありません。
この海峡での航行が完全に止まれば世界経済は間違いなく大混乱に陥ります。
さらにホルムズ海峡だけでなく、周辺各国のエネルギーインフラに激しい攻撃を仕掛ける可能性もあるでしょう。
逆にカーグ島が攻撃されないうちは、まだ収束への道が見えるはずです。
ネタニヤフ首相はガザ戦争につながる2023年10月のハマスによる奇襲越境攻撃を防げなかったという政治責任に加え、贈賄、詐欺、背任の罪で訴追されており、この司法追及から逃れるためもあって、政治生命をかけてこの戦争を利用しているように見えます。
10月までには次の選挙が予定されています。選挙で勝つために、トランプ氏が反対してもカーグ島を攻撃し、イスラエル存続の永続保証を勝ち取ったという成果を求めて行動に移るリスクがあるということは頭に入れておくべきでしょう。
日本への影響は「3カ月後に本格化」
原油価格の高騰で日本の皆さんの生活へのダメージが心配されていますが、生活に響くまでにはタイムラグがあります。
サウジアラビアなどによる石油輸出国機構(OPEC)とロシアなど非加盟の産油国でつくるOPECプラスは定期的に会合を開き、毎月初めに翌月以降の生産政策を決定します。原油販売契約の実務上のニーズがあるからです。
細かくなりますが説明しておきましょう。
例えば5月積みの原油であれば、おおよそ4月5日までに船積み計画、「誰が、いつ、どの船で、どれだけ取りに来るか」を確定する必要があります。
ノミネーションと呼ばれていますが、毎月、買い手側が船積み計画の希望を出します。これを受けた売り手側は複数のノミネーションを調整して、生産計画と整合させます。販売契約を履行するために、毎月5日ごろに終了するサイクルでこの手続きを実行しています。
今のようにホルムズ海峡を通航できないと、予定していたタンカーが船積みできないことになります。そうすると、売り手側は原油の生産計画を含め操業が根底から破綻してしまいます。
買い手側も同じで、3月に積むはずの船がホルムズ海峡を出られない、あるいは通過して取りに行けないとなると、製油所が必要とする原油が足りなくなります。さらにその後の操業計画もドミノ倒しのように崩れていきます。
産油国で船積みした原油が製油所に届いて精製され、ガソリンなどの石油製品が製造されて販売に至るまでのプロセスを考えると、いま起きている原油市場の混乱などの影響が日本の人々の生活に直接的に反映されるのは大体3カ月後です。
また、電力価格は原油、液化天然ガス(LNG)、石炭などのエネルギー資源の輸入価格の平均値によって決まります。原油価格の変動が電力価格に影響を与えるまでは6カ月程度かかります。
今後を左右する「二つのポイント」
今回の相場変動で原油価格に注目が集まっていますが、価格決定のメカニズムについて簡単に説明します。
歴史を振り返ると、戦前から1973年の第1次オイルショックまでは価格決定の主導権はメジャーが握っていました。1973年の第1次オイルショックから1986年の逆オイルショックまではOPECが決定権を持っていました。そして逆オイルショック以降は、今日に至るまで、市場が決めていると言われています。
市場が決めているというのは、具体的には先物相場に参加している人たちが、将来の需要と供給のバランスがどうなるかを予測して売買している、その結果、価格が決まってくるということです。従ってキーワードは需給バランスになります。
需給バランスを動かしているのは、生産や消費の動向といった基礎的要因(ファンダメンタルズ)と、生産や消費に大きな影響を与える地政学的リスクです。
市場参加者は、石油輸出国機構(OPEC)やIEA、あるいは有力投資銀行の報告などをみながらファンダメンタルズを分析します。その上で、地政学的リスクの勃発があった場合、それが需給バランスにどのような影響を与えるのかを予測するのです。
地政学的リスクの大小により、市場は安定しているか、大荒れになっているかが決まってきます。
今回のイラン情勢の劇的な悪化は、歴史的にも類を見ない油価の乱高下を招いています。地政学的リスクが最大限意識されていることの表れです。
現在、ホルムズ海峡の「事実上の封鎖」によってペルシャ湾内の産油国からの原油が輸出できなくなってしまい、産油国としては減産を余儀なくされています。その量は、世界全体の生産量の2割にも上っています。
この状態が長く続くと需給がひっ迫していくという予想から、原油価格が急激に上昇しているのです。
原油価格は現在、国際的な指標となるブレント原油で90ドル前後です。一時よりは落ち着いてきたとはいえ、イランへの攻撃前の70ドル台と比べると依然としてかなりの高水準です。
私は年初に「今年の原油の平均価格は65~70ドルになる」と予測していましたが、今後の価格については正直言って読めません。
今後は、「米国とイスラエルがカーグ島を攻撃するか否か」そして「中間選挙を意識したトランプ大統領が原油高騰を抑えるために事態の早期収拾に動くか否か」が鍵となるでしょう。
(呉 太淳)

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