航空自衛隊発足直後に誕生した第3飛行隊は、航空自衛隊初のスクランブルを実施した部隊でもあります。2020年3月、首都圏の防空を担う百里基地へF-2戦闘機とともに移動してきました。

首都圏にF-2が配備されるのは初めてのことです。

空自第3飛行隊 半世紀以上各地を「転勤」

 2020年3月25日(水)、航空自衛隊三沢基地(青森県三沢市)に残っていたF-2戦闘機の、最後の1機が百里基地(茨城県小美玉市)へ移動しました。

 この機体は長年、三沢基地をホームベースにしてきた航空自衛隊第3飛行隊に所属するものです。これにより第3飛行隊は、そのほとんどが百里基地へ移動を完了、翌3月26日(金)から百里基地を新たなホームベースに活動を開始しました。

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国産のASM-2空対艦ミサイル(模擬弾)を4発搭載した、第3飛行隊のF-2戦闘機(柘植優介撮影)。

 第3飛行隊は、航空自衛隊の現存する飛行隊のなかで最も古い部隊で、1956(昭和31)年10月1日に浜松基地で発足しました。その60年以上の歴史において、過去5回もホームベースとなる基地を変えています。発足から約1年後の1957(昭和32)年9月に千歳基地(北海道千歳市)へ移動すると、1963(昭和38)年3月には松島基地(宮城県東松島市)へ移動しますが、1年経たずに1964(昭和39)年2月には八戸基地(青森県八戸市)へ移動します。

 それから7年後の1971(昭和46)年12月には三沢基地へ移動し、ここで約40年間、北日本の防空任務に従事したのち、今回の百里基地への移動となりました。最初の浜松基地から数えると、これまで6か所をホームベースとしてきたのです。

 この移動回数は、航空自衛隊の現役飛行隊としては最多タイで、同じくF-2戦闘機を運用する築城基地(福岡県築上町)所在の第8飛行隊と肩を並べます。

百里に移動したが、訓練は今後も三沢を使用

 かくして百里基地へ移動してきた第3飛行隊ですが、これからも三沢基地にたびたび出向くことが多いと考えられます。

それは三沢基地の北側に、本土唯一の空対地射撃および爆撃の実弾訓練(爆弾のみ模擬弾を使用)が行える「三沢対地射爆撃場」があるからです。ここは在日アメリカ空軍と共同使用する演習場で、年間を通じて用いられています。

「空自最多の転勤族」F-2の第3飛行隊が5回目の引越 三沢から百里へ 60年以上の転勤歴

青森県立三沢航空科学館に展示されているF-1戦闘機。第3飛行隊時代のスペシャルマーキングが施されている(柘植優介撮影)。

 三沢対地射爆撃場は、本州だけでなく九州や北海道の戦闘機部隊も対地射爆撃の訓練を実施する際に使用しています。訓練時は最寄りの三沢基地を拠点とすることが多いため、第3飛行隊についても百里基地に移動したとはいえ、対地訓練を行う際は三沢基地を利用することになるでしょう。

 第3飛行隊はこれまでF-86F戦闘機からF-1戦闘機、そして現有のF-2戦闘機へと2回、機種更新をしてきました。F-1戦闘機が配備されたのは1977(昭和52)年9月のことで、F-2戦闘機が配備されたのは2000(平成12)年10月のことです。

 2020年はF-2戦闘機の配備が始まってからちょうど20年の節目の年です。その節目の年に百里基地へ移動し、今後はおもに首都圏防空の任に就きます。

 しばらくのあいだ、F-2戦闘機は近代化改良が加えられて日本の空を飛び続ける予定のため、第3飛行隊の歴史もまだまだ続きそうです。

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