NHKで好評放送中の連続テレビ小説「あんぱん」。『アンパンマン』を生み出したやなせたかしと妻・暢の夫婦をモデルにした柳井のぶ(今田美桜)と嵩(北村匠海)夫婦の戦前から戦後に至る波乱万丈の物語は、いよいよクライマックスが近づいてきた。

このタイミングで、全話の執筆を終えた脚本家の中園ミホが、これまでの物語を振り返りつつ、作品に込めた思いを語ってくれた。

-全話の脚本を書き上げたそうですが、実在の人物を描く難しさはありましたか。

 やなせたかしさんに関しては、子どもの頃に文通していたこともあり、「よく知る大好きな人の話」という感じで、その点では苦労しませんでした。ただ、のぶのモデルになった妻の暢さんについては、残されているエピソードがほんの少ししかなかったので、大半をオリジナルで作るしかなく、非常に苦労しました。

-そこから、どのように執筆を進められたのでしょうか。

 私にとって、やなせたかしさんを描くということは、戦争を描くことを意味するので、そこは覚悟を決めて取り組みました。そのためにまず、のぶと同世代に当たる大正生まれの女性たちの手記や作文、橋田壽賀子先生、桂由美さん、田辺聖子さんといった著名な方々の日記を読みあさったところ、きちんとした教育を受けた方は軒並み“軍国少女”だったんです。実は私の母も同じだったので、どれほど戦争一色に染まっていたのか、よくわかりました。だとすれば、そこは正直に書かなければいけないなと。

-そういう経緯を経て、戦前・戦中ののぶが描かれたわけですね。

 ただ、実際に執筆を始めると、とても苦しかったです。例えば、豪(細田佳央太)ちゃんが戦死したとき、のぶはいいなずけだった妹の蘭子(河合優実)に「立派やと言うちゃりなさい」と言うんです。

なんてことを言うのかと。現代の感覚では、視聴者の反感を買わないかと不安になりました。実際、身近なところでも「のぶについていけない」という声がありました。演じる今田さんに申し訳なく思う一方で、脚本家としてはブレてはいけない。その点、今田さんはけなげに、見事に演じ切ってくださって、本当に頑張ってくれました。でも、やっぱり今も、当時はのぶのような人が大半だったことは、皆さんに知っていただきたい。それが、戦争の怖さでもあるわけですから。

-その一方で、嵩も戦場で飢えたとき、食料調達に押し入った民家でもらったゆで卵を殻ごとむさぼるように食べるシーンなど、戦争体験が丁寧に描かれていました。

 ゆで卵のエピソードは、実は私が子どもの頃、ラジオで聞いたニュースがヒントになっています。ある家に泥棒が押し入ったとき、住人の高齢女性が、「お腹空いているんでしょう。うちには今、卵しかないから」と、ゆで卵を出してあげたそうなんです。そうしたら、空腹だった泥棒は泣きながらゆで卵を食べ、自首したんだとか。

空腹の人を救うアンパンマンの正義を描くには、前提として空腹がどれほどつらいものか、空腹がいかに人を変えるかを伝えなければいけない。そう考えていたとき、そのニュースを思い出して。

-劇中ではその通りに再現されていましたね。

 ただ、脚本には「かぶりつく」としか書いていなかったんです。だから、完成した映像を見て、「殻ごと食べるんだ!」と、衝撃を受けました。北村さんは全身全霊で嵩を演じてくださり、戦地のシーンでは本当に痩せていく様子が伝わってきました。キャストやスタッフの皆さんがそれくらい魂を込めて臨んでくださったからこそ、視聴者の皆さんにも伝わったのはないでしょうか。

-のぶと嵩の恋模様は、戦後までつかず離れずで続いた後、上京後に思いを打ち明けて結ばれましたが、そこまでだいぶかかりましたね。

 戦争を経て価値観がひっくり返る姿を描くため、2人を幼なじみに設定し、幼少期から物語を始めましたが、その分、史実通り上京するまで結ばれないようにするのは大変でした。浅田美代子(朝田くら役)さんからは、「嵩は何をしているの!?」と叱咤(しった)激励をいただいたりもして(笑)。最終的に2人が気持ちを通わせ、のぶが「嵩の二倍、嵩のこと好き!」と抱き合うシーンを見たときは、号泣しました。長い間辛い 役目を課されたきたのぶが、ようやく自由で天真爛漫な子どもの頃の自分に戻れたんだな…と思って。

お2人のお芝居も素晴らしく、「本当によかったね。おめでとう」と感激しました。

-本作を通じて、やなせさんについて新しく発見したことはありますか。

 私は、やなせさんをもう少し明るく社交的な方だと思っていたんです。でも、北村さんのお芝居を見ていたら、「素顔はあんなにナイーブな人だったのかも」と思えてきて。私が子どもの頃、明るく楽しそうに振る舞っていたやなせさんは、きっとよそ行きの顔だったんだろうなと。それくらい、北村さんのお芝居には説得力がありました。今では、やなせさんは劇中の嵩のような方だったに違いないと確信しています。

-嵩が世に出ていく一方で、のぶは「自分は何者にもなれなかった」と悩む一幕もありました。

 最近、同窓会に出ると、そういうことを言う方がたくさんいるんです。かつては「自分は何々になりたい」と夢を持っていた女性が、一生懸命生きてきたのに結局、夫や子どもを支える側に回り、自分は何者にもなれなかったと。同じような思いを抱える女性は、世の中に多いのではないでしょうか。

そう考えると、のぶも同様に、幼い頃に父親から聞いた「女子こそ大志を抱け」という言葉を自分は実現できたのかと、立ち止まる瞬間があったのでは…と。そんなことから、世の中の多くの女性の心の叫びを、のぶに代弁してもらったつもりです。

-嵩が戦争体験を詳細にのぶに打ち明ける場面はあまりないですが、やなせさんもある時期まで、戦争体験をしばらく語らなかったそうですね。

 やなせさんは、晩年になって戦争体験を語るようになり、本も出版しています。それは、私たちの親世代共通の姿勢だと思うんです。同級生からも、今まで聞かなかった親の戦争当時の話を、「あんぱん」をきっかけに聞いてみたら、同じような思いをしていたという話をいくつも耳にしました。私も先日、「ファミリーヒストリー」(8月11日放送)で取材していただいたところ、全く知らなかった親や祖父の戦争体験の話が出てきて驚きました。子どもには明るく希望に溢れた未来の話をする一方で、戦争については口を閉ざしてきた。それほど深く心に刺さった棘だったんでしょうね。

-なるほど。

 ただ、やなせさんの場合、それ以前から反戦のメッセージはあらゆる作品にちりばめられています。私たちは親から直接、戦争の話を聞くことができる最後の世代でもあるので、今のうちにぜひ、親や祖父母の方々に戦争体験について聞いておいていただきたい。

この作品がそのきっかけになったらうれしいです。

-実際のやなせ夫妻がこのドラマを見たら、なんと言うでしょうか。

 暢さんからは「全然違うじゃない」と言われそうですね(笑)。幼い頃、気の弱かったやなせさんが、気の強い女の子とばかり遊んでいたのはやなせさん本人から聞きましたが、劇中でその相手をのぶにしたのは私なので、「どうなってんのよ?」と“ハチキンおのぶ”に叱られるかもしれません(笑)。一方で、やなせさんがどう思われるのかは心配でしたが、私以上にやなせさんをよく知る戸田恵子(薪鉄子役/アンパンマンの声優)さんや梯久美子(やなせたかしの下で働いた経験があり、評伝も執筆したノンフィクション作家)さんが、「すごく喜んでいると思います」とおっしゃってくださったので、今はその言葉を信じることにしました。

-脚本を書き終えた今、やなせさんに伝えたい思いはありますか。

 「書かせていただき、ありがとうございます」という感謝の気持ちが一番です。戦争の物語は、やなせさんの史実がなければ、私にはとても書けなかったはずですから。そういう意味では、やなせさんが書かせてくださったと思っています。

-最後に、最終回に向けての意気込みをお聞かせ下さい。

 結末については、知恵を絞って百通りくらいアイデアを出し、チームの皆さんの意見を参考に、全員が納得できる形で最終回を書き上げました。ぜひ最後まで見守っていただけたら嬉しいです。

(取材・文/井上健一)

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