NHKで好評放送中の連続テレビ小説「あんぱん」。『アンパンマン』を生み出したやなせたかしと妻・暢の夫婦をモデルにした柳井のぶ(今田美桜)と嵩(北村匠海)夫婦の戦前から戦後に至る波乱万丈の物語は、ついに『アンパンマン』の誕生にたどり着いた。
-ついに『アンパンマン』が誕生しました。お気持ちはいかがですか。
「ようやくたどり着いた…」と感慨深かったです。その上で、やなせたかしではなく、柳井嵩として生きてきたことを強く実感しました。というのも、やなせさんはこの作品全体を包む存在であり、柳井嵩はその象徴だというのが、演じる中で僕のたどり着いた結論なんです。それを踏まえて、柳井嵩として撮影期間の1年を過ごした結果、似て非なるものになっていて。だから、柳井嵩として『アンパンマン』を見たとき、いとしさとこれまで味わった苦しさと、今まで出会ったさまざまな人たちの顔が浮かびました。
-長期間演じたからこその実感が伝わってきます。
中でも最も大きかったのは、のぶへの思いです。というのも、嵩とのぶは幼なじみの設定だったため、働き始めた新聞社で出会った実際のやなせさんと奥さんの暢さんよりも、一緒に過ごした時間が長いんです。だから、幼少期から軍国主義に染まった戦中期、そして戦後とさまざまなことがあった嵩とのぶの日々を感じて。
-そんなのぶを演じた今田美桜さんとの共演はいかがですか。
特に後半は「支え合う」という言葉がしっくりきました。今田さんが何度も立ち止まり、後ろを振り返る瞬間を、この1年すぐそばで見てきました。同時に僕も、柳井嵩として悩む瞬間が想像以上に多くて。そのたびに話し合い、それぞれの思いや2人の道筋を言葉にして確かめ合い、お互いを支えながら歩んできました。その中で最も感じたのは、常に気丈で、前を向き、現場を明るく照らす今田さんの責任感の強さです。それは1年間変わることなく、のぶにも通じる部分だったと思います。
-撮影中、2人で決めたルールなどはありましたか。
話し合って決めたわけではありませんが、僕が一度も楽屋に戻らず、前室(スタジオのそばにある待機場所)で過ごしていたら、いつの間にか今田さんも前室で過ごすようになっていたんです。そうやって、前室でスタッフさんやキャストの皆さんと会話をしながら現場を作っていた気がします。
-前室で過ごした理由を教えてください。
僕は役者もスタッフの1人だと思っています。役者は、台本や演出があって初めて仕事ができますが、僕は自分が納得した上で取り組むために、皆さんと話し合いたいと考えています。それは他の作品でも同じですが、今回は撮影が長期にわたるので、特に人間関係が大事になると思って。きっと、人との会話の中から日々を生み出していく作業になるはずだから、いろんな人と話をしていこうと。別に作品の話でなくとも、たわいない天気の話でもいい。ただし、距離感だけは生まないようにしようと。
-そういうことでしたか。
ただ、最初はそれを使命のように考えて前室で過ごしていたのですが、どんどん居心地が良くなっていって。最終的には今田さんだけでなく、河合(優実/朝田蘭子役)さんや原(菜乃華/辛島メイコ役)さん、(辛島健太郎役の高橋)文哉くん、(いせたくや役の大森)元貴くんなど、同世代のキャストがみんな前室に集まるようになったんです。おかげで、自分のやり方が間違いでなかったと思えました。
-小学生の頃、絵画教室に通われていたそうですが、演じる上で役立った部分はありますか。
僕は子どもの頃から、絵画教室に通ったり、自宅では粘土で架空のモンスターを作ったりしていました。
-やなせさんは作詞家としても活躍しました。北村さんもバンド“DISH//”で音楽活動をしていますが、影響を受けた部分はありますか。
やなせさんの言葉に込められた価値観や哲学に、自分と近いものを感じました。僕は、人間に光と影があるように、ポジティブな思いを伝えるには、ネガティブな部分を表現することも必要と考え、これまでも歌詞を書いてきました。それを、天国のやなせさんが「大丈夫だよ」と肯定してくださったような感覚になり、僕自身も救われました。
-嵩を導く師のような存在の八木信之介を演じた妻夫木聡さんとは『ブタがいた教室』(08)以来の共演だったそうですね。
実は、僕が人生で初めて会ったいわゆる芸能人が妻夫木さんなんです。『ブタがいた教室』は、小学生たちが子豚を育て、最終的にその豚を「食べるか、食べないか」を議論するという食と命の尊さを伝える教育の実話に基づく映画です。僕ら生徒役の子役たちは、撮影前にみんなで合宿をしたり、ドッジボールをしたりと、本当の学校のような生活を送った後、撮影に入りました。
-現場で、北村さんにとって妻夫木さんはどんな存在でしたか。
妻夫木さんも一緒に前室で過ごし、僕がお芝居で悩んでいると、「嵩のここは…」などと、すくい上げる一言を何度もくださったんです。『アンパンマン』を生み出す過程でも、「嵩の主体性をどこに置くか」という相談に乗っていただいたりして。そんなふうに、嵩にとっての八木さんのように、僕をすくい上げてくれる存在が妻夫木さんでした。
-嵩を演じる上で、妻夫木さんの存在は大きかったのでしょうか。
妻夫木さんはもちろんですが、この作品に登場する誰か1人が欠けても、柳井嵩は『アンパンマン』を生み出せなかったと思います。この作品では、やなせたかしさんの言葉がさまざまな登場人物のせりふにちりばめられています。その言葉を、これまで出会った登場人物たちが嵩に投げかけ、嵩はそれをひたすら受け止めてきた。だから最後に、のぶの後押しをきっかけに、『アンパンマン』を生み出すことができたわけですから。
-柳井嵩を演じたことは、ご自身にとってどんな経験になりましたか。
役と一体になって日々を過ごし、お芝居が普通になる感覚が、ぜいたくな時間だったと改めて感じています。毎日お芝居をしている時間が長いので、嵩としてしゃべっている方が、自分にとってニュートラルになってきたんです。それは今まで経験のない感覚で、僕は常に役を客観的に捉えることを心掛けていますが、1年も続くと、どうしても主観的になってしまう瞬間があって。しかも、そういうときにすごくいいシーンが出来上がったりするんです。そんな成功体験もあり、とても有意義でぜいたくな1年間を過ごすことができました。
-貴重な経験だったわけですね。
そしてもう一つ、僕にとって大きかったのが、“出会い直し”です。今田さんはもちろん、妻夫木さんや主題歌を担当されたRADWIMPSの皆さんなど、これまで出会ってきた多くの方と、この作品で“出会い直し”ができました。僕は来年、役者人生20周年を迎えますが、その総決算のような感覚があって。それくらい多くの再会を経験し、とても大きな財産になりました。
(取材・文/井上健一)