脚本家としても著名な荒井晴彦監督が、『花腐し』(23)に続いて綾野剛を主演に迎え、作家・吉行淳之介の同名小説を映画化した『星と月は天の穴』が12月19日から全国公開された。過去の恋愛経験から女性を愛することを恐れながらも愛されたい願望をこじらせる40代の小説家・矢添の滑稽で切ない愛の行方を、エロティシズムとペーソスを織り交ぜながら描き出した本作で、矢添と交渉を持つ娼婦の千枝子を演じた田中麗奈に話を聞いた。

-まず脚本から読んだ印象から伺います。

 もう脚本の全てが荒井(晴彦)さんという感じでした。「ジャンル荒井晴彦」とでも言うような。荒井さんの香りがすごく湧き立っていて、本当に色っぽいなと思いました。

-純文学のような雰囲気もありましたね。

 そうですね、言葉の美しさなどはまさに純文学。とても文学性と芸術性の高い作品だと思いました。登場人物のそれぞれが選ぶ言葉が本当にすてきで色気があるんです。私が演じる千枝子のせりふを早く言いたいと思いました。

-脚本を読んだ後で原作を読んだんですね。

 はい。読んでみたら「本当に原作そのままだ」と思って。

荒井さんが、脚本として交通整理をしている感じだったので驚きました。吉行淳之介さんの原作のままで脚本が成立していると思いました。

-千枝子のキャラクターをどのように捉えましたか。

 千枝子の矢添への思いはすごく感じました。感じたけれど、矢添という社会的な地位のある有名な作家の立場や状況を考えると、親しくはしているけど、一歩外へ出れば全く立場の違う2人であるということ。一緒に歩いているだけでもスキャンダルになりかねないという思いがある。だから一緒にいれば楽しいけれど、矢添が帰るとすごく寂しいというのは感じました。矢添にとって千枝子は、大きな月だったんじゃないかなと思うんです。暗闇を照らす月のような存在だけど、近いようで遠い。そういう存在です。

-演じる上で、気を付けたことや心掛けたことはありましたか。

 作品に入る前に、千枝子が今まで生きてきた道みたいなものを自分なりにたどってみました。

彼女の家族のことを考えたり、人生の選択の中でなぜ今娼婦をやっているのか、彼女の同世代の人たちはどういう動きをしたのか、友達はいるのか、矢添みたいに話せる相手は他にいるのか、お休みの日は何をしているのかとか、そういうことを全部自分の中でふに落ちるようにしていきました。それで、「私はそうやって生きてきたの」という感じで現場に入れれば、千枝子が生きてきた状態が香り立つのではないかと考えましたけど、いざ現場に入ったら、相手をしっかり見て、相手の声を聞きたいし、相手に集中したいなと思いました。

-自分なりに千枝子のバックグラウンドを考えて、それを役に生かしていった感じでしょうか。

 そうですね。自分でノートを1冊作るんです。彼女のプロフィールや好きなものなどを書いていって、彼女の思いなどを日記風に書いてみる。そんな感じで彼女と私の経験を一体化していくようなことはしました。私の中での千枝子のイメージはドビュッシーの「月の光」なんです。撮影に入る前にこの曲を聴いたら、彼女の心情にピタッとはまって、本当に涙が出てきてしまい、「これだ」と思いました。

-タイトルにも月が入っていますからね。田中さんの娼婦役は新境地というか、新鮮な感じがしましたが。

 娼婦役は(朝ドラの)「ブギウギ」でも演じました。

確かに新境地と言ってくださる方もいらっしゃいますが、自分で決めることではないのかなと思うので、持っていただけた印象のままにしておこうと思っています。私としては新境地だとは思ってはいないのですが…。

-この映画は、ちょっとフランス映画みたいなところがありましたね。

 分かります。私もそう思いました。確かにそういう味わいがありますね。最初の撮影が、矢添と2人で、部屋で紅茶を飲んでいるシーンだったんですけど、プレイバックしてモニターを見た時に、フランス映画みたいだと思いました。モノクロ画面のちょっとけだるい雰囲気の中で、哲学が飛び交って、芸術を愛している感じ。でも、くどいところもあり、それが滑稽でもある。本当にフランス映画のようなところがありますね。

-全編がモノクロ映像ですが、時々赤が入ってくるシーンも斬新というか、面白かったです。

 そうですね。

とてもユーモラスでした。小説を読んでいる時もそういうことがありますよね。想像の中ではモノトーンだったのに急に色が強くなっていったりとか。だから小説を読んでいるような味わいもある作品ですね。

-矢添役の綾野剛さんの印象はいかがでしたか。

 綾野さんは本当に素晴らしかったです。現場に入って、綾野さんの中年の体形や皮膚の感じや、顔をちょっとむくませた感じを見た時に、全部矢添だなと思って。なので、会った瞬間から自分も千枝子になれたところがありました。あとは、私が荒井組は初めてだったので緊張もあったんですけど、綾野さんが、前回の『花腐し』でも荒井さんとタッグを組んでいて、それが本当に素晴らしかったので、そういうところでの安心感もありました。

-荒井監督が脚本を書いた作品には何作か出ていますが、監督作は初めてでしたね。印象はいかがでしたか。

 これまでも脚本家の荒井さんと監督の荒井さんとで、何か印象が変わったことはありましたかと聞かれたことがありましたが、全く変わらなかったです。

いつもの荒井さんのままでフラットな感じでした。今回も何かをおっしゃることはあまりなくて、台本に書いてあるので、それを役者がどう解釈して見せてくれるのかを楽しみにされているようでした。とにかく、役者としては荒井さんが書いたせりふを言いたという衝動があるんです。すごく色気があるというか、色が出るというか。せりふがとても芸術的で哲学的で、香り高くて芳醇(ほうじゅん)。それを早く言葉にしたいなと。荒井さんがまた監督をされたら絶対に出たいです。荒井さんの言葉を言いたい。

-完成作を見た感想は。

 初めて見るような映画だと思いました。他では見ることができない荒井晴彦作品がまたこの世に出た、誕生したことに感動しました。

-見どころも含めて、これから映画を見る観客や読者に向けて一言お願いします。

 こじらせ男の滑稽で切ない愛の行方を皆さんに見届けていただきたいと思います。かっこよく生きたいのだけれど、そうできないダサさの中の愛らしさ。男性ならではの魅力というか、男性という生き物を綾野剛さんが見事に体現しているので。もちろん女性が見ても面白いと思いますし、男性から見ても共感するところがあると思います。

-役を離れて見ると、矢添のような男性は女性にはどう映るのでしょうか。

 「考え過ぎじゃないの」って言いたいところはありますね。「もっと無心になって」と言いたくなるところはあるんだけど、でもやっぱり言葉を大切にしている人だし、言葉にこだわりを持っている人だと思うし、それでご飯も食べているし、それに救われた人もいるわけだから、しょうがないのかなと思うところもあるけれど、彼のいいところも悪いところも含めて愛らしいなとは思います。

(取材・文・写真/田中雄二)

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