今年のヒットドラマ、Netflixシリーズ「おつかれさま」。子どもから親へと成長していく女性の人生とその家族を描き、幅広い世代から支持され大きな話題を呼んだ。

IU(アイユー)との二人一役で主人公エスンを演じたムン・ソリに、ドラマの振り返りとヒットの理由について聞いた。

※本稿は、11月24日に駐大阪韓国文化院で行われたトークイベントとインタビューの内容をまとめたものです。 

▽世界中どこでも

 3月の配信開始後、Netflixの週間グローバルトップ10(非英語TV)入りを果たし、週によっては1位を記録。百想芸術大賞や青龍シリーズアワードなど主要な授賞式も席巻した。

 だが、華やかな実績とは裏腹に、描かれるのは誰もが知る“家族”の情緒だ。1960年代の済州島と90年代以降のソウル。二つの時代を跨ぎながら、前半は高校生のエスンとグァンシクが親になるまで、後半は大学生になった長女グムミョンを軸に展開していく。若かりし二人をIUとパク・ボゴム、その後をムン・ソリとパク・ヘジュンが演じている。

-ドラマの人気を実感していますか。

 今年ケニアに行ってきたのですが、現地のスーパーで声をかけられました。ドバイ空港でも「Tangerines(タンジェリン)?」って。英題が「When Life Gives You Tangerines」っていうんです。

モンゴルでも、周りに何もないようなゲル(遊牧民の移動式住居)の家族からも「エスンじゃないの?」って。全世界どこに行っても「見た」という人に出会い、びっくりしました。

 実は、非常に韓国的な物語だったので、世界的にヒットするとはNetflixも予想していなかったようです。韓国的な情緒だと思っていたものが、実は普遍的な情緒だったんですね。

-出演の決め手は?

 オファー時にはすでに台本が完成しており、読みながらページをめくるたびに泣いてしまって。普通、大事なセリフって1話に1文あるかないか。でも、このドラマは1話の中に大事な言葉がたくさん詰め込まれていました。心に刻んでおきたい、書き留めておきたい言葉があふれていて。こういう台本にはもう二度と出合えないのではと思いました。

-他のキャストは出演が決まっていた?

 IUさんは決まっていたと思います。二人一役への不安ですか? 当然ありました(笑)。(エスン役が)IUさんから私に引き継がれるところで、視聴者を戸惑わせないか心配でした。

同一人物だと思ってもらえなかったらどうしよう、と。監督がすごく細かい方だったので、撮影前に何度も話し合ったんです。決まった口調や表現を繰り返させようとか。胸に手を当てて言う「ノムチョア(すごくうれしい)」みたいな。他にも、IUさんの影響を受けたくて、撮影やYouTubeを見たり、朝の運動時にIUさんの歌を聞いたり。

 IUさんは、ほおに小さなほくろがあって。私は(実年齢より年を取った役だったので)メイクで顔にいっぱいシミを描いていて、小さいほくろなんてあっても見えないんです(笑)。それでも同じ場所にほくろを描いたり、眉毛の形を同じにしたり。

▽家族を世話する母

 ムン・ソリは、「クイーンメーカー」(23年)や「私たちの人生レース」(同)のように、女性の主体性や自分らしさを打ち出す役を担い、エンパワーメントの姿を体現してきた。だが「おつかれさま」では、“肩書きのない母”を真正面から演じた。

-いわゆる普通の母親役でした。

 この作品に出るまでは、子どもや夫の世話をするだけの母親役って、正直に答えると「つまらない」と思っていたんです。

でもこの作品に出ることで、そういうのって偏見だったんだ、そうでない作品もあるんだって。物語全体が面白ければ、どんな役でも面白い。あるいは、そういう役でも別の物語を作ることができる。自分の役柄というより、物語全体の力を信じていました。

-実際の撮影は?

 母親役は、単に座って相手と話をすることがないんです。常に手を動かしている。現場に行く時は、セリフを覚えるだけじゃなくて、そこでする家事をうまくこなさなきゃいけませんでした。のり巻きを巻く、チヂミを焼く、布団を敷く、下駄箱を片付ける。さらにはイカやホヤをさばく。子どもたちはソファーやベッドに寝転がって、あるいは食卓で渡された食べ物を食べながら話すだけだけど、母親はずっと家事をしながら。前のテイクとのつなぎってあるじゃないですか。例えば、セリフを言い始めた時にのり巻きを切り始めたなら、次のカットも動作をそろえないといけない。

そういったことが大変でした。

 それから、撮影スタッフって家事の経験が少ない方も多いんです。なので、キッチンにセットされた小道具の配置とか布団の敷き方が気に入らなくて。私は子育ても家事もそれなりに経験があるので、小言を言ってしまいました(笑)。のり巻きを巻く時にごま油はここに置く、布団はこう畳んだほうがきれいだとか。そういったことが、エスンを演じる上ではとても重要でした。

-エスンはしっかり者の長女で文学少女。ご本人との共通点はありますか?

 私も長女ですし、子どもの頃から作家になりたくて、文学は私にとって唯一の安息所でした。

-そうだったんですね。大学生に成長した娘グムミョン(IU扮)とも共通項がありそうです。

 私はグムミョンより少し下の世代(ムン・ソリは1974年生まれ、グムミョンは1968年生まれの設定)ですが、私も大学生の頃は家庭教師をしていましたし、両親に金銭的に支えられながら大学を卒業したのも同じです。卒業後に「映画界を目指す」と言って両親を困らせたところも。

状況そのものは違っても、いろんな部分で、抱く感情はすごく似ていたなと思います。

▽親や弟のこと

 役者として早期に認められたムン・ソリ。大学卒業後まもなく『ペパーミント・キャンディ』(99年)でデビューし、『オアシス』(02年)の鮮烈な演技で国際映画祭の新人賞に輝いた。06年には、のちに『1987、ある闘いの真実』(17年)を手掛ける映画監督チャン・ジュンファンと結婚。夫を支える妻であり、一人娘を育てる母でもある。

-エスンたちと実際の家族を比べたことは?

 私もグムミョンのように、実際に弟が一人いるんです。撮影中、親や弟のことが重なって見えて、何でもない場面で泣きそうになったり。うちの父も姉(私)びいきだったので、弟も第二子として寂しい思いをしたんだろうなと。だから、弟には「あなたはこのドラマを見ないほうがいいよ」って(笑)。

 それから、エスンは51年生まれ、うちの母は52年生まれなんです。若くして結婚し子育てに明け暮れたエスンが最後に詩人の夢を叶えたように、母も早くに結婚し70代になってから自分の夢を叶えようとしているところが似ています。

-旦那様であるチャン監督とグァンシクが重なったことは?

 グァンシクが「うちのエスン」といって大事にしてくれたように、うちの夫もいつも優しいし、似ているところはありますね。

苦労させられるところも…(笑)。

-エスンを演じていて最もつらかったシーン、楽しかったシーンは?

 (思い出しながら)病気になって最期に自宅に戻ったグァンシクに、夜一緒に寝ながら「もうひとシーズンだけでも一緒にいられないか」とこぼす場面があります。グァンシクに「あなたが泣くのを見るのがつらい」と言われ、腕で涙を隠しながら。あの場面は、リハーサルの時から泣けて泣けて大変でした。もともと、3回以上は涙が出ない方だったのに、次から次へとあふれて。子どもたちのことは、過ぎてみれば「そんなこともあったな」と思えましたが、そのシーンだけはどうしても…。もう一つは、グムミョンの結婚相手の家族と食事をするシーン。奥歯をギュッとかみ締め、悔しさを堪えながら撮影したのを思い出しますね。

 後半の方で、済州島でイカのお店を出して成功しますよね。海女のおばさんたちと賑やかに仕事をするシーンを撮影しに行くのは、実際にも楽しかったです。

▽自分と重ねながら

-エスンの詩の中で心に響いたものは?

 う~ん、子どもの頃に母のことを描いた「くそアワビ」という詩。最後にグァンシクに宛てて書いた「見送る心」も。「あなたが逝った後も、毎日が春のように暮らしていきます」という詩ですが、いまだに心に残っています。

-名セリフが多数ありました。今でも忘れられないセリフは?

 「秋はたわわに実る季節ではなく、ごっそりむしり取られる季節だ」というセリフ。子育てを終え、そろそろゆっくりできるかと思ったら、まだまだ苦労させられるという意味ですが、そういう表現が面白かったです。まあ、子どもにたかられているうちが花ですけどね(笑)。

 何度も撮り直したセリフもありました。長男ウンミョンの子の1歳の誕生日に、チョリョンという悪友からシーバスリーガルというウィスキーをプレゼントされて、ウンミョンが酔っ払うシーン。「人の子の誕生日にシーバなんかプレゼントして!」と怒るのですが、シーバが韓国語の罵り語と音が似ているので、監督から「ののしり語のようでそうでない、あいまいな言い方をしてほしい」と言われ、何度もアフレコをして(笑)。さじ加減が難しかったので今でも忘れられません。

韓国ドラマ史上最高の作品、最も好きなドラマと評価する人もいるほど愛されています。なぜここまでヒットしたのだと思いますか。

 いろいろ観察していて思いましたが、このドラマは、他のことは何も考えずにこのドラマだけに没頭して見るのではなく、自分の持つ記憶、家族などの情報を加えて見ているんです。各自が記憶を重ねるから、見る人によって感動する部分、悲しくなる部分が違い、よりストーリーが豊かになる。そこが、このドラマの特徴だと思いました。自分が出演した作品を見返すのはあまり好きじゃないんです。失敗を見せられているようで。でもこのドラマは、娘が大学生になったら、結婚したら、出産したら、あるいは老後に、もう一度見返したくなるだろうなと。人生のタイミングによって感じることが違い、何度も楽しめるから。視聴者もきっと同じだと思います。子どもの時は子どもの立場、親になったら親の立場で、長い時間をかけて楽しめるのがこのドラマが持つ魅力じゃないかと思っています。

▽演じ手から撮り手へ

-役者を目指した経緯は?

 親には「先生になれ」と言われ、成均館大学に進学し、教育学を専攻しました。でも大学に入ってみて、本当に自分がやりたいことは何かを初めて考えるようになって。演劇や映画を見た時にドキドキしたんです。すてきな男性を見た時以上に。それで、これに挑戦しよう!と思いました。それで、運良くここまで続けてこられました。

-『女優は今日も』(17年)で監督、『三姉妹』(21年)でプロデューサーも務めました。

 監督をしようと思った最初の理由は、大学で映画を専攻しなかったので、もっと勉強したい、もっと勉強することで演技が上手くなるのではないかと思ったからです。出産後、仕事が減った時期に大学院で勉強し始めて、周りから「演出を学ぶと映画全般を学べる」とアドバイスをもらい、その結果として映画を演出したんです。

 演出者と俳優って愛憎関係でもあるんですね。互いに辛い思いをするので。でも、演出を学んだことで、夫も含めて一緒に仕事をしてきた監督の立場が理解できるようになりました。

-作品選びの基準は?

 作品が自分にどう訴えてくるかが大事ですね。年を取ると、誰と働くかも大事になりました。その人と時間を長く過ごすし、影響を受けるから。選択というより、向こうから来てくれる縁を大事にしています。

-日本の監督の中で、一緒に仕事をしてみたい人は?

 たくさんいらっしゃいますが、『国宝』(25年)の李相日監督から、北朝鮮女性として役を下さる話があって。あなたは見るからに北朝鮮人だって。北朝鮮の言葉を必死に練習したのに、その話が成就しなかったのが残念でした。『国宝』が韓国でも公開され、反響もすごく良くてうれしいです。

▽豊かな感情とダイナミックな歴史

-韓国ドラマならではの強みや魅力とは?

 韓国人は楽しむのが得意なんです。歌ったり、ノリが良かったり。感情そのものも豊かだし、その表現も豊かだし。だから、似たようなコンテンツでも、より感情豊かに作られているのではないかなと。それに、韓国は歴史がダイナミックだったので、ドラマもダイナミックになる。こういった韓国人の気質や歴史がコンテンツの中に溶け込んでいるところが、韓国コンテンツの強みなのかなと思います。

-「おつかれさま」のような家族間の感情表現は?

 それもそうですよね。韓国は家族関係が濃いですから。時にはうんざりするほどに(笑)。

-Kカルチャーにおいて韓国ドラマ・映画はどんな存在だと思いますか。

 世界的にKカルチャーがブームになっているような状況ですから、韓国人としては誇らしい思いはあります。ありがたいことですし。でも、良いことばかりではないです。全ての事柄には一長一短がありますから。商業的に成功すればするほど、芸術的な側面、多様性の側面が失われることがあります。なので、そういう時ほど、そういった側面を見失わないように製作していくことを、第一線にいる人たちが考えていくべきではないかと思っています。

-そういう意味で、また演出もされますか?

 (笑って)頑張ります。人生で絶対に「やる」とか「やらない」と断言するのは良くないと思っています。「映画監督とは絶対に結婚しない」と言っていたのに、してるし(笑)。実際に自分で演出をしてみて、その時はもう無理と思いましたが、やることになるかもしれない。人生とはそういうものだと思っています。

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