ここ最近、テニスファンや関係者の間で、何かと話題にのぼる選手がいる。
彼女の名は、伊藤あおい──。
この20歳の新鋭がファンの耳目を集めているのは、戦績もさることながら、ユニークなプレースタイルにある。
伊藤は身長167cmと、日本人選手としては上背に恵まれているほう。ただ彼女に、パワーで相手をねじ伏せようという考えは、毛頭ない。棒立ちに近い姿勢でラケットを上から下へと振り下ろし、文字どおりボールを薄切りするように放つ「スライス」は、今や彼女のトレードマークだ。
バウンド後に角度を変えて低く滑るこのショットで、相手のパワーを時に利用し、時にいなして、撹乱しつつミスを誘うのが伊藤流。かと思えば、予期せぬタイミングでスパーンと鋭く、強打を叩き込む。展開はトリッキー。
ところが当の本人は、表情を変えず、ポイント間の間も取らず、淡々と時を進めていく。その独特のリズムに足を取られたら、もうそこは伊藤の領域だ。
この、特異ながら確固たるプレースタイルには、日本男子の「トップ2」も熱視線を注ぐ。
昨年10月、伊藤がジャパンオープンで上位勢を次々に破った際、西岡良仁は「ひっそりと応援していた」とXで公表。「このプレースタイルのままやり抜いてほしい」と、願いをこめたエールを送った。
さらには錦織圭も、最近スライスに取り組んでいるという話の流れから、「あおいちゃんを目指しながら」と言及する。伊藤の存在を「気になっているといえば、気になっていますね」と認めたうえで、次のように続けた。
「コーチ目線じゃないですけど、これからどうしていくんだろうなと見ています。たぶん、今のままではトップ20や30の選手には勝てないと思うんですが、早いプレーも意外とできるようなので、可能性は全然あるなと。
あのテニスがどこまで通用するのか、見てみたいですね。パワーのある選手に対し、これからどうしていくんだろうなっていうのを、楽しみにしています」
【伊達公子のテニスは見たことがない】
かくも注目を集める、型にハマらぬ「無手勝流テニス」は、どのように形成されたのだろうか?
なお、先に白状しておくと、伊藤は取材対象としてもトリッキーで、いつも翻弄されっぱなし。早口で次々につづられる言葉は、プレー同様、どこまでが真意でどれがフェイクか、判別が難しい。
ひとつはっきりしているのは、彼女のテニスの原点は、週末に家族とボールを追ったファミリーテニスであること。その大枠は今も変わらず、父親がコーチとして主にツアーにも帯同する。
数年前、伊藤に目指すテニスを聞いたところ、「伊達公子さんと、謝淑薇(シエ・スーウェイ)さんを足したテニス」との答えがすかさず返ってきた。ところが「おふたりのテニス、ほとんど見たことがないんです」と続けて肩をすくめる。
「ユニーク」と形容されることの多い伊藤のテニスではあるが、時義氏からしてみれば、アジアの偉大な先達に学んだ合理性の産物。
「伊達さんは、あの小柄な体で世界の4位まで行けることを証明した。あんなにいいお手本を見習わない手はないじゃないですか」と、時義氏はサラリと言った。
では伊藤本人は、どのような思いで今の道を歩むのか?
「今さら、そこからですか?」と笑顔でいなされつつも、キャリアの始まりから今に至る道のりを、本人にうかがった。
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── まずは、テニスを始めたきっかけは、ご家族がやっていたからですよね?
「はい。姉(4歳年長のさつきさん)が先にやっていて。最初はスクールに行かず、完全にプライベートで家族でワイワイと」
── その後は地元・名古屋の『チェリーテニスクラブ』に通うようになったんですよね。何歳の頃からですか?
「忘れましたが、たぶん小学校低学年の時だったと思います」
── テニスを続けていたのは、楽しかったからですか?
「いや、全然。姉がやっていたし、テニス以外の道を知らないので続けていた感じです」
【「私はジュニアの頃、ザコでした」】
── 伊藤さんはイラストを描いたり、オセロや麻雀もたしなむなど多趣味ですよね。そのなかでテニスを選んだのはなぜでしょう?
「子どもの頃って、プロフィール帳を友だちと交換するのが流行るじゃないですか? そのプロフィール帳に『将来の夢ランキング』があって、見てみたら1位がテニス選手。2位が作曲家で、3位が小説家だったんです。見返しながら、私は何を目指していたんだろうって思いました」
── どれもクリエイティブな仕事ですね。
「はい。音楽を聴くのも本を読むのも好きでした。小説......と言ってもかわいらしいものですが、ミステリーをよく読んでいました。中山七里さんの小説は、シリーズを全部揃えるくらい読みました」
── テニス以外の夢を追いたいと思ったことはないんですか?
「ないです。私、テニスは昔からやっていますけど、音楽とかはやってないじゃないですか。結局は、子どもの頃からやっている人、経験がある人には勝てない。だとしたら、一流になれるのはまだテニスのほうじゃないですか。たぶん、テニスが一番才能もありましたし」
── 子どもの頃から大人の大会に出ていたと言っていましたが、どれくらいの頻度で出ていたんですか?
「全然多くないですよ。年に2大会くらい。試合に出ると学校を休めるので、それは優越感で、ルンルン(気分)で行っていました。でも私、学校を全然休んでないですよ。小学校は普通に行っていたし、中学校も、ほぼ休みなく行っていました。
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石井さやかは、伊藤より1歳年少の19歳。父親は元プロ野球選手(現・横浜DeNAベイスターズ野手コーチ)の石井琢朗氏ということもあり、ジュニア時代から将来を嘱望された存在だった。
伊藤と石井は6年前に、全国中学生テニス選手権・決勝で初対戦。その時の石井は、伊藤の変則テニスの前に本人いわく「怒りしか覚えず」自滅的に敗れたという。その後もふたりは戦いのステージを上げつつ、幾度も対戦を重ねている。ダブルスを組むこともある両者は、ライバルにして友人と呼べる関係性だ。
【ランキングトップ100入りも間近】
その石井と伊藤は、プロ登録した時期もほぼ同じ。ただ伊藤は「私は誰にも知られずひっそりプロ登録しましたが、石井さんは大々的にプロ転向記者会見もやっていて......」と、少しすねたように口を尖らす。中学卒業後に海を渡って米国のIMGアカデミーを拠点とした石井に対し、伊藤はコロナ禍もあってジュニア時代の海外遠征経験はほとんどなし。
そんな彼女が、今年は早くも海外9大会に出場し、エレナ・オスタペンコ(ラトビア)やベリンダ・ベンチッチ(スイス)らトップ選手とも対戦を重ねてきた。
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── 先ほど「ジュニアの頃はザコでした」と言っていましたが、いつから上昇気流に乗ったのでしょう?
「今もザコいです。今年もWTA1000(グランドスラムに次ぐハイカテゴリー大会郡)の予選でしか勝ってないんです。本当に予選しか勝ててない。
── トップ選手たちばかりが集う選手ラウンジにも慣れましたか?
「いや、居心地は悪いです。そもそも私がツアーの会場にいること事態、すごい場違い感なので」
── では、今回の長期海外遠征で得た収穫は?
「ごはんが食べられたこと!(即答)」
── 偏食なのに会場のレストランで食べるものがあったということですか?
「はい。バイキング形式のところが多かったので、なんとかなりました」
── 体調面はどうでしたか。以前、遠征から戻るとよく熱を出すと言っていましたが?
「ただでさえ、季節の変わり目は苦手なんです。マイアミオープンのあとにドミニカの大会に出たんですが、思いっきり体調を崩して倒れまして。いちおう試合には出ましたが、結果はボロボロ。体がもろくてすみませんってなりました」
【全仏とウインブルドンに注目】
── 帰国後、ビリー・ジーン・キング・カップ(国別対抗戦)で日本代表に初選出されましたが、そこでも少し体調が悪かったそうですね。
「帰国したあと、1週間くらいで体調もよくなって、代表の皆さんとたくさん練習もできたんです。ただ、大会2日目に熱を測ったら38.5度くらいありまして。もし風邪でほかの方にうつしたら土下座じゃ済まないので、ホテルに戻っていました。
── 次は全仏オープンとウインブルドンが控えています。ヨーロッパ遠征はいつからですか?
「全仏オープン予選の直前に、ひとつ大会に出ます。全仏本戦は今4番アウト(補欠)。賞金が高いから皆さん、多少のケガでもやめないと思うので、予選からになると思います」
── ウインブルドンはもうひと息で本戦から入れそうですね。芝は得意そうですか?
「いやー、(ウインブルドンの芝は)一回もやったことがないのでわからないですが、たぶんボールに追いつけないです。転びそうなので」
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このインタビューの途中、近くを通りかかった関係者に「ウインブルドンは本戦から行ってみたいので、ちょっとがんばります」と宣言した伊藤。そこで最後に「この取材用にも同じことを言ってもらえます?」と聞くと、「ダメです」といたずらっぽい笑みを残して去っていった。
あえてハードルを低めに設定し、プレッシャーをかけないのも伊藤流。
クレー(土)や芝のコートは「イレギュラーが多いので苦手」と本人は明言するが、未知なる化学反応への期待も高まる。
外的要因やイレギュラーに満ちた路(みち)を、独自のライン取りで進んでいく----。そんな新たな旅が、伊藤あおいを待っている。