ケンドーコバヤシ
令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(15) 中編
(前編:超豪華メンバーの「第1回G1クライマックス」 長州力の全敗と闘魂三銃士の飛躍は「驚きの展開」>>)
ケンドーコバヤシさんが語る、「第1回G1クライマックス」。その中編は、武藤敬司さん、蝶野正洋さんとのトークイベント中に思い出したという、両国国技館に舞った座布団に関する話について語った。
【忘れ去られたプロレス史初の場面】
――前編の最後で、第1回G1で「勘違いしていたことがあった」とのことですが、それについて聞かせていただけますか?
「この第1回G1で、プロレスファンがいまだに鮮明に思い出すシーンといえば、蝶野正洋さんと武藤敬司さんの優勝決定戦で蝶野さんが勝ち、リングに座布団が投げ込まれた場面だと思うんです。
蝶野さんの当時の入場曲『FANTASTIC CITY』が鳴り響くなか、ファンたちが桝席の座布団を投げた。ケロちゃん(田中秀和リングアナウンサー)が『両国国技館が使えなくなりますから、座布団を投げるのをやめてください!』とアナウンスするも、舞い続ける座布団。感動的で忘れられない歴史的なシーンなんですけど、実は......あの優勝決定戦がこすられすぎて、忘れられている場面があるんです」
――座布団が舞ったのは、プロレスの歴史において初めてだったと思いますが......。
「そう記憶していますよね。ところが、両国国技館で座布団が舞ったのは、あの試合が初めてじゃないんです。実は、前日の武藤さんとビッグバン・ベイダーの試合でも大量の座布団が投げられているんですよ。優勝決定戦の記憶が強すぎて、武藤vs.ベイダー戦で座布団が舞った記憶が葬り去られているんです」
――ちょっと調べさせてください......。ホントだ! 武藤さんの勝利で座布団が舞ってます! 完全に忘れていました......。
「そうでしょう。その武藤vs.ベイダー戦はベイダーがやりたい放題で、投げっぱなしジャーマン、パワーボムといった荒技を次から次へと繰り出して、武藤さんがくしゃくしゃにやられた試合だった。でも、ベイダーがボディスラムかパワースラムにいこうとしたところを、丸め込んで大逆転の3カウントを奪った、というラストだったかと思います」
――当時は、ベイダーが絶対的な強さを誇っていた時代でしたから、それも番狂わせでしたね。そして、武藤さんは優勝決定戦へと駒を進めます。
「この時も、ケロちゃんは『やめてください』ってアナウンスしていたんですよ。確か東スポの記事で、『両国が使用禁止になる恐れある』というのを知りました」
――新日本プロレスにとって両国国技館は、1987年12月27日にたけしプロレス軍団(TPG)の乱入で、アントニオ猪木vs.長州力が変更になって観客が暴動を起こし、館内を破壊された相撲協会が怒ってしばらく使用禁止になったことがありました。それで田中アナウンサーも、必死で呼びかけたんでしょうね。
「それで思い出すのが、当時、『週刊ゴング』で河口仁さんが連載していた『ワンポイントパフォーマンス』っていうひとコマ漫画のコーナー。その試合のあとにケロちゃんのアナウンスを描いていて、『やめてくれ』みたいな感じのキャプションがついていたはずです」
【蝶野vs武藤は「ふたりのルーツがすべてリング上で出た」】
――河口仁さんのひとコマ漫画は、プロレスへの愛情があふれていて、私も楽しみにしていました。そんな初の座布団の舞があったあと、最終日の優勝決定戦を迎えたわけですね。
「Aブロックは武藤さんが決定戦に進出しましたが、Bブロックは蝶野さんと橋本真也さんが同点になり、最終日に代表者決定戦をやったんですよね。これが、かなり消耗の激しい試合になった。蝶野さんが橋本さんに蹴りまくられて、すぐに終わるのかなと思ったら、かなりのロングマッチになって蝶野さんが大逆転しました」
――そして優勝決定戦は蝶野vs.武藤になり、蝶野さんが劇的な初優勝を飾りましたね。
「この蝶野vs.武藤は、振り返れば振り返るほどすばらしい試合なんです。偶然なのかはわかりませんが、フィニッシュはパワーボムだった。それまで蝶野さんがほとんど出してなかった技だったんですが、あそこで出たのは、蝶野さんのそれまでのストーリーがあったからじゃないかと。蝶野さんはルー・テーズに弟子入りして、その教えを受けていたから、テーズが原型を作ったパワーボムがあそこで出たんじゃないかと思っているんです」
――確かにそうかもしれませんね!
「一方の武藤さんは、直接的には指導を受けていないですが、なんだかんだ言ってカール・ゴッチの流れを受け継いでいるんですよ。
元祖パワーボムとSTFをテーズから伝授された蝶野さんと、ゴッチのパイルドライバーと固め技を繰り出した武藤さん。"鉄人"と"神様"の代理戦争というか、蝶野vs.武藤の背景にテーズvs.ゴッチが垣間見えた試合でした」
――ロマンがある考察ですね。
「でもそれだけじゃなくて、武藤さんが学生時代にやっていた柔道の腕十字とかを出せば、三鷹の暴走族だった蝶野さんが無慈悲に武藤さんを踏みつけたり......2人のルーツがすべてリング上で出ましたね」
【プロレスファン全員が裏切られた結末】
――そして、感動の座布団へとつながるわけですね。
「あのシーンは今でも、近代プロレスの名場面として語られています。僕は会場に行っていないんですけど、前日の武藤vs.ベイダー戦でケロちゃんが『やめてください。国技館が使えなくなります』とアナウンスしていたから、決勝の前にも"座布団は投げないように"という注意喚起があったかもしれませんね。だけど、あの試合と、蝶野さんが優勝した衝撃で、どちらにせよファンは我慢できなかったでしょう。気持ちはわかりますよ」
――プロレス史に残る番狂わせでもありましたね。
「プロレスファン全員が裏切られたと思いますよ。武藤さんがベイダーに勝った時点で、誰もが『このまま優勝だ』と確信したはずです。蝶野さんは橋本さんとの代表者決定戦も
あって、1日で2試合やらないといけなかったですしね。
蝶野さんは決勝に進みましたが、"破壊王"にさんざん蹴られてダメージもすごかった。そりゃあ、武藤さんが勝って、いよいよ天才の時代がくると思うでしょう。でも蝶野さんが勝って、最後は闘魂三銃士が並んでファンの歓声を浴びた。あのシーンは、新たな時代の到来を象徴してましたね」
――ケンコバさんは、闘魂三銃士のなかで誰を推していたんですか?
「武藤さんですね。それは、あるインタビュー記事がきっかけだったんです」
(後編:武藤敬司が突然トイレで「イ~ヤァオ!」と絶叫 それを目撃したケンコバは「いかなる時でもプロレスラーなんやな」>>)
【プロフィール】
ケンドーコバヤシ
お笑い芸人。1972年7月4日生まれ、大阪府大阪市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1992年に大阪NSCに入学。『にけつッ‼』(読売テレビ)、『アメト――ク!』(テレビ朝日)など、多数のテレビ番組に出演。大のプロレス好きとしても知られ、芸名の由来はプロレスラーのケンドー・ナガサキ。