【大学駅伝】東洋大が18年ぶりに伊勢路を逃す 酒井監督が語る...の画像はこちら >>

 5月24日にレモンガススタジアム平塚で開催された全日本大学駅伝関東地区選考会。その大きなトピックのひとつとなったのが、東洋大の敗退だろう。

昨年まで17大会連続で出場していたが、今回の選考会では8位に終わり、ついに伊勢路の切符を逃した。

 全日本大学駅伝での東洋大は、酒井俊幸監督が就任した2009年から5年連続でトップ3入りを果たし、東京五輪マラソン代表の服部勇馬(現・トヨタ自動車)が最上級生だった2015年の第47回大会では悲願の初優勝を果たしている。

 近年は、この5年間で3回シード権を逃しているが、翌年の選考会で勝ち上がり、連続出場を続けてきた。

 しかし、今回の選考会は通過ラインの7位・日本体育大にわずか11秒36届かず、次点の8位に終わった。

「ブレーキがあった組があるにせよ、この11秒というのは、走った選手だけではなくて、チーム全員でしっかり受け止めたい」(酒井監督)

 関東選考会は10000mのトラックレースが4組、出場20校の選手が各組2名ずつ出走し、その合計タイムの上位7校が11月の本戦への推薦を受ける方式で争われたため、ひとり平均の差は約1.4秒。

 2011年の箱根駅伝では21秒差で総合優勝を逃した際に、"その1秒をけずりだせ"という名キャッチフレーズが生まれた。その言葉のもと、東洋大は一丸となり、翌年の王座奪還に成功している。

 今回の11秒を選手たちがどのように受け止めるか。それが、復活のカギになる。

【他校との自力の差が結果に】

【大学駅伝】東洋大が18年ぶりに伊勢路を逃す 酒井監督が語る敗因と「新しい東洋をもう1回作り直す」決意
主将として芳しくないチーム状況のなか、奮闘した網本 photo by Wada Satoshi

 近年、東洋大が選考会に回った2022年と昨年は、いずれの年も、春から好調だった。

 2022年は関東インカレで3000m障害を除き1500mからハーフマラソンまでの長距離種目で入賞者を出し、翌月の全日本選考会は2位通過を果たした。

 そして昨年も関東インカレでは長距離3種目(5000m、10000m、ハーフマラソン)できっちり入賞し、勢いそのままに全日本選考会に臨んだ。トップ通過こそ逃したものの、1組~3組まで3レース連続で東洋大の選手が組1着を取るという圧巻のレース運びで存在感が光った。

 今季は、4月の日本学生個人で松井海斗(2年)が5000mで優勝。5月の関東インカレでは1500mで馬場アンジェロ光(2年)が7位、田中純(3年)が8位、ハーフマラソンで久保田琉月(3年)が4位、3000m障害で小川隼登(2年)が7位と多種目で入賞者を出した。一方で、取りこぼしもあり、全日本選考会に向けて不安は残った。

 加えて、箱根駅伝で10区区間賞、4区3位の実績をもつ岸本遼太郎(4年)が足の裏に感染性のいぼができ、エントリーできず。箱根駅伝5区を走った宮崎優(2年)も股関節に痛みがあり、エントリー外だった。

 ベストメンバーで挑めず、全日本選考会のエントリータイム(10000mの上位8人の合計タイム)は11番目。参考タイムに過ぎないが、ボーダーラインの7番目には1分以上の差があった。

 それゆえ、東洋大の前評判は決して高くなかった。

「本当に危機感しかなかった。通るか通らないか、わからないなか、もしかしたら落ちるかもしれないという思いはみんなが持っていた」

 主将の網本佳悟(4年)が言うように、東洋大の選手たちも不安を抱えながら選考会に臨んだ。

 それでも17年連続で本選出場を果たしている名門だけに、なんとか踏みとどまるだろうと多くの人が思っていたのではないだろうか。

【最終組まで望みをつないだが......】

「本来なら3組目か、最終組を走らなきゃいけなかった」

 こう話すのは先陣を切る1組目を任された、4年生の西村真周だ。3年連続で箱根駅伝の6区を走っている実力者だが、西村もまた箱根駅伝後に負ったケガのため4カ月間練習ができず、万全な状態ではなかった。

「最初からきつかった」と言い、何度も遅れそうになった。それでも、「自分の代で途絶えたらいけない」という一心で最後まで粘り組9着でフィニッシュした。

 濱中尊(3年)も自己ベストで10着と続き、1組目を終えて出場圏内の5位と、まずまずの滑り出しを見せた

 しかし、2組目に落とし穴があった。3年の薄根大河がレース中盤に第2集団から遅れをとってしまった。

 実は、薄根は関東インカレのハーフマラソンのレース中に転倒し、途中棄権に終わっていた。その際に腰や膝を痛めたが、その雪辱を期し「絶対に走ります」と酒井監督に宣言してこの選考会に臨んでいた。

「ペースのアップダウンに対応しすぎて、力んでしまい、打ち上がった感じになった。チームに迷惑をかけてしまった」

 薄根は終盤に踏ん張れず33着。記録も30分台と力を発揮できなかった。そして、チームも、出場圏外の暫定8位に押し出されてしまった。

 大エースのいない今季は前半の組で貯金を作っておきたかったが、ビハインドを抱えて後半の組を迎えることになった。

 3組目は、頼れる4年生、網本と緒方澪那斗(4年)が担った。

「最終組を2年生に任せてしまったので、彼らが安心して走れるような位置で渡すことを目標にしました。2組目で8位になったので、自分たちが取り戻そうという思いでスタートしました」

 こう話すのは主将の網本。会心のレースとはならなかったものの、緒方が12着、網本が15着で、ともに28分台で走った。

「最低限粘ることができたと思うんですけど、もっと前に行って、もっとよい位置に上げたかったのが本音です」

 総合順位は8位のままだったが、ボーダーラインの7位・日本体育大まで7秒差とわずかに差を詰めた。さらに、5位の中央学大とは25秒差、6位の日大とは8秒差と、手の届きそうな範囲に3チームがいた。

「日大さんは(最終組に)留学生がいますので、競っている日体大さん、中央学院大さんの2校をしっかりマークして先着してほしいと伝えました」

 酒井監督は、内堀勇と松井の2年生コンビに命運を託した。

「タイム的にもギリギリになると予想していたので、よくも悪くも思っていた通りの場所で来たかなというイメージでした。

 全日本選考会のために関東インカレをスキップしたので、調子はそんなに悪くなかった。自分よりも持ちタイムが速い選手しかいない組を任されてプレッシャーはあったんですけど、東洋大学を自分が背負っていかなければいけないというプラスの気持ちを持って臨みました」

 鉄紺のエースとしての自覚を持ってレースに臨んだ松井は、最終組での逆転を目指し、日体大の選手に常に先行してレースを進めた。

 だが、経験豊富な日体大の4年生、平島龍斗と山崎丞も引き下がらない。松井は自己ベストの28分29秒08で9着と健闘したが、日体大の平島も好走し、1秒遅れの10着と続いた。内堀も28分53秒14の自己ベストをマークしたものの27着に終わり、山崎に先着を許した。

 また、中央学院大も、近田陽路(4年)が14着、市川大世(3年)が21着と大崩れせず。日大にいたっては、留学生のシャドラック・キップケメイが27分29秒15で2着と快走し、冨田悠晟(4年)も22着と粘った。

 これで勝負あり。東洋大は18大会連続の本大会出場とはならなかった。

【「新しい東洋をもう1回作り直す」】

「日体大さんは関東インカレで入賞した4年生がしっかり最後まとめていますし、中央学院大さんも、吉田君(礼志、現・Honda)が抜けた穴をみんなでカバーしています。両校ともすばらしいパフォーマンスだったと思います。

 東洋は留学生もいないチームですから、本当にミスなく8人中8人が走らなくてはいけなかった。ミスが出れば、こういう結果になってしまう。どのチームもしっかりやっていますから、紙一重の勝負で差が出たのかなと思います」

 酒井監督は、最後まで競り合ったチームを称えつつ、敗因を振り返った。

 全日本選考会は例年6月開催だったが、今回は例年よりも1カ月早い5月24日に行なわれた。近年は蒸し暑さが大敵となっていたが、今回は雨に見舞われたものの、気温は18~21度と比較的走りやすいコンディションだった。それゆえに大きな波乱はなく、エントリータイム上位のチームが順当に伊勢路行きを決めた印象がある。

 東洋大は現在のチーム状態を紐解けば善戦したとも言えるが、結果として力負けしたと言えるのではないか。やはりベストの布陣を築けなかったのが最後まで響いた。

 酒井監督が監督に就任した2009年以来、東洋大は昨年度まで出雲、全日本、箱根に皆勤を続けていた。栄枯盛衰とは無縁にも思われたが、ついに連続出場が途切れた。

「三大駅伝に16年間ずっと出てきましたので、全日本に出られないのは初めてですが、これをプラスに捉えたい。新しい東洋をもう1回作り直し、残りの駅伝で勝負できるように立て直していきます。今年の箱根駅伝はシード権ギリギリでしたので、しっかり上位陣に挑めるように選手とともに作り直していきたいと思います」

 今季は出雲駅伝と箱根駅伝に全力を注ぐことになる。東洋大は逆境を乗り越えるたびに成果を上げてきたチームだ。今回の敗戦も力に変え、秋には手強いチームに変貌を遂げていることを期待したい。

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