Sareeeインタビュー 前編

 5月15日に放送された『アメトーーク!』(テレビ朝日系列)の「今熱い!! 女子プロレス芸人」で、お笑いコンビ・くりぃむしちゅーの有田哲平が"推し女子レスラー"として名前を挙げたSareee。2023年3月に米プロレス団体WWEを契約満了で退団し、日本での活動を再開すると、2024年はマリーゴールドとシードリングのシングル2冠王者として女子プロレス界を席巻、自身初となる「女子プロレス大賞」を受賞した。

 インタビュー前編では2023年に帰国したあとの、ライバルたちとの激しい戦いを振り返ってもらった。

有田哲平の「推し女子レスラー」Sareeeが振り返る、WWE...の画像はこちら >>

【WWEから帰国後に「死ぬんじゃないか」と思った激闘】

――2023年5月、自主興行「Sareee-ISM」でセンダイガールズの橋本千紘選手とシングル対決し、敗れましたね。

あれは忘れられないです。本当に悔しかった。ライバルだと思っていた橋本千紘に敗れ、現実を突きつけられたように思いました。

――WWEのプロレスと日本のプロレスで違いを感じますか?
感じますね。アメリカでの約2年半は、日本のように激しい戦い(ハードヒット)はしていなかったので、そのブランクをめちゃくちゃ感じましたね。

――帰国直後の取材では、「海外では"魅せるプロレス"に重点を置いていた」と話していましたね。

だから橋本との戦いで、アメリカでやってきたことをリセットし、自分の求める理想のプロレスに照準を絞りました。ある意味、帰国後の初戦が橋本で本当によかったです。あの戦いで目が覚めました。

――2023年8月には、中島安里紗さん(当時シードリング→2024年8月に引退)とBEYOND THE SEA SINGLE王座を賭けたシングルマッチを行ないました。

これヤバかった! 本当に今まででないぐらいの激闘でした。

試合中に「死ぬんじゃないか」って思いましたよ。中島のエルボーがアゴに入ると、「パコーン」と音がするんです。「ヒジ禁止にして!」って思うくらいすごくて。でも、私も普段はエルボーは胸に打ち込むんですけど、この日は思いっきりアゴに入れ返しました。なんて言ったらいいのかわからないけど、後にも先にもないんじゃないかな、という戦いでした。

――Saree選手はコロナ禍でWWE行きが1年延期になった2020年にも、"WWEカウントダウン"と題してシードリングのリングにも上がっていましたね。

そうですね。だから、帰国して橋本に敗れたあと、日本のプロレスにアジャストしようと自分を追い込んでいた時期に、シードリングのエースとして活躍してきた中島と戦えたのは、自分の方向性を確かめるために重要でしたね。「やっぱり戻ってきて間違いじゃなかった」と実感しました。

――あの試合の翌日、ダメージが大きすぎて起きられなかったとも聞きます。

起き上がれず、頭を動かせなかったです。目の周りを虫みたいなものがピカピカ光りながら飛んでる感じなんです。

試合の夜には、冷却シートを貼って頭を冷やして寝たんですけど......中島に聞いたら、「私もだよ」って言ってました(笑)。振り返っても、命を賭けて戦っている者同士にしかできない戦いでした。

――中島さんは「2023年8月にSareeeと激しくやり合った上で敗れた。『Sareeeあとは頑張ってくれ』と思い、引退を考え出した」とのことですね。

彼女が引退してしまった今となっては、その言葉は重いし、うれしいですね。

【橋本へのリベンジで"第2章"がスタート】

――2024年1月、自主興行「Sareee-ISMチャプター3」で橋本選手と戦い、2023年5月のリベンジを果たしました。

帰国後の初試合で敗れてから、ずっと悔しくて。常に「早く橋本に追いつきたい」と考えてました。

――ただ、2023年5月の戦いも僅差だった印象です。

戦った私が1番わかります。海外に行っている期間、橋本に差をつけられてしまった。たぶん、橋本も気づいたんじゃないかな? 中島との一戦も、「もう負けたくない」と強い想いで戦いました。だからこそムキになって、自分を追い込むことができた。

帰国後、橋本に負けたからこそ突っ走れました。

だからこそ橋本にリベンジしないと、帰国後の「"Sareee第2章"が始まんないな」って感じていました。2回負けるのは本当に恥ずかしいこと。だけど私は、自分を試すためにも橋本ともう一度戦いたかった。

――再戦までの期間は短かったですね。

私には長かった8カ月でした。自分にとって試練の時間でしたね。

――言葉どおり、橋本選手へのリベンジからSareee選手の日本での第2章が始まり、2024年女子プロレス大賞を受賞するまで一気に駆け抜けたように感じます。

そうですね。ここで自信を取り戻せました。

――昨年の4月27日には、横浜BUNTAIで岩谷麻優選手の保持していたIWGP女子王座に挑戦しました。

IWGP女子王座は2022年7月に設立されたベルト。

IWGPは1983年に"プロレス界における世界最強を決める"と、アントニオ猪木さんが提唱したものです。帰国した時、「絶対にこのベルトが欲しい」と思ったし、闘魂を胸に秘めた私にこそふさわしいベルトです。

――Sareee選手は、WWE渡米前に猪木さんと交流があったんですよね?

はい、それに岩谷とは、2020年2月にワールド・オブ・スターダム王座(赤いベルト)をかけて対戦する予定だったのが、私の体調不良でシングルができなかったんです。そのあとに海外に行ってしまったので、モヤモヤを晴らしたかった。

ファンの方も楽しみにしてくれた戦いです。それが実現できなかった申し訳なさもあるし、帰国したタイミングで岩谷がIWGP女子王者になったし、絶対に戦わないといけなかった。橋本にも勝って「いける」と思って挑戦したけど......負けてしまいました。橋本に負けた時と同じような気持ちになりましたね。やっと橋本にリベンジして、「ここからだ!」と思ったら、今度は岩谷に負けて。でも私って、そういう展開になるほど逆に燃えるんですよ。

【ジュリアと両国で「奇跡」のタイトルマッチ】

――2024年5月20日にはマリーゴールドが旗揚げし、Sareee選手も本格参戦します。当時は、現在WWEで活躍するジュリア選手がいましたね。

ジュリアがアイスリボンの新人だった頃に、シングルで戦ったことがあります。その時に「すごい芯のある、気持ちの強い選手だな」と思いました。そこからすごく気になる存在でしたね。

私は2011年4月デビューで、彼女は2017年10月デビューですからキャリアでは6年以上差があります。でも、「この人、絶対強くなるんだろうな」と思っていました。そうしたら私と戦ったあと、「アイスリボンを退団、スターダムに電撃移籍」と聞いてめちゃくちゃ衝撃を受けましたよ(笑)。当時は、新人で実績もないのに団体を移籍するなんて前例がなかったですから。

――ジュリア選手が参戦したのは、2019年10月にスターダムがブシロード体制になった時期でした。

私がアメリカにいた時期に、女子プロレス界の認知度がいい意味で上がったじゃないですか。スターダムのど真ん中で、団体のトップにいたのが彼女だったし、「ジュリアとも戦いたい」とずっと思っていました。

――マリーゴールドの旗揚げ戦で、Sareee選手はボジラ選手タッグを結成し、ジュリア&林下詩美組と戦いました。

すごかったですね。

ボジラが(笑)。私が決めようと思って攻めてる時に、タッチしてないのにいきなりリング内に入ってきちゃうし、攻撃の権利がないのにムーンサルトプレスを仕掛けてフォールするし......。「お前、邪魔だよ!」と思っていたけど、お客さんが盛り上がっているので私も楽しんじゃいました(笑)。

――久しぶりのジュリア選手はいかがでしたか?

スターダムをやめて、マリーゴールドの旗揚げ戦に参戦するという覚悟を感じました。試合開始直後、ジャリアは右手首を骨折したのに、最後まで戦い抜いた。試合中、私はまったく気づかなかったし、それを感じさせないぐらいのファイトでした。そのあとの試合で私も手首を折ってますけど、「この状態で試合をやり抜いたのか」と驚きました。

――ジュリア選手とは2024年7月13日に、両国国技館でマリーゴールド・ワールド王者決定戦を行ないましたね。

その試合は直前まで、できるかできないか、どうなるかわからないって感じだったんですよね。

――確かに出場が発表されたのは7月10日、マリーゴールドの公式Xでのことでしたね。

そうそう! どうなるか本当ドキドキでしたけど、ジュリアがWWEに行くまでに、両国のメインでシングルマッチを戦えたことは本当に奇跡です。お互いが「戦いたい」って言い続けての対戦だった。前哨戦もなくタイトルマッチ一発勝負、私が勝利して初代王者になることができました。

――7月30日の後楽園では、ジュリア選手とタッグを組んでビクトリア弓月&田中きずな組と対戦。そこで左手首を骨折したんですね。

ジュリアと右と左で違っただけ、みたいな。こういうこともあるんだなって。

――試合後、ジュリアさんからアドバイスがあったとか?

彼女が使用していた、手首にはめるサポーターをもらったんですよ。骨折したあと、ちょうど2週間試合がなかったんです。これだけ試合の期間が空くことも奇跡的なんですけどね。

その間、毎日欠かさずに酸素カプセル入って、病院で電気や超音波を当てて......リハビリしながらトレーニングも続けました。とにかく動かせる部分は動かしたほうが、血の巡りがよくなって治りが早いそうなので。そういった学びもありました。

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【プロフィール】

■Sareee

1996年3月31日、東京都板橋区生まれ。158cm、60kg。中学卒業後の2011年4月17日、ワールド女子プロレス・ディアナ旗揚げ戦でプロレスデビュー。2018年7月22日、井上京子に勝利し第8代W.W.W.D世界シングル王者に。2019年6月8日、橋本千紘とのダブルタイトルマッチを制しW.W.W.D世界シングル選手権&センダイガールズワールドチャンピオンシップ2冠女王となる。2020年2月、世界最高峰の米プロレス団体WWEへの入団を発表。2023年3月9日、WWEを契約満了で退団、同年5月16日、橋本千紘戦で日本復帰。同年8月25日、中島安里紗を破りBEYOND THE SEA SINGLE王者に。2024年7月13日、マリーゴールド両国大会でジュリアを倒しマリーゴールド・ワールド王座初代王者となる。同年12月、プロレス大賞で女子プロレス大賞を初受賞。2025年6月21日、マリーゴールド代々木大会でIWGP女子王座に挑戦する。

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