100周年を迎えた東京六大学野球で、通算100安打を記録した選手はわずか34人しかいない。高田繁(明治大→巨人)、高橋由伸(慶応大→巨人)、岡田彰布(早稲田大→阪神)など名選手がずらりと並ぶ。
しかし大学在籍中の4年間、8シーズンで100安打に到達するのは至難の業。コンスタントに試合に出場し、なおかつヒットを打ち続けなければならないからだ。バッティング技術はもちろん、野手としての総合力、体の丈夫さ、タフな精神力も兼ね備えていなければならない。
【通算100安打達成の条件】
そんな東京六大学で今春、スーパー1年生が神宮デビューを飾った。大阪桐蔭から法政大に入学した境亮陽(さかい・りょうや)は、立教大との1回戦で4安打。その後もヒットを連発してシーズン22安打(1本塁打)をマーク。打率.355(リーグ8位)という成績を残した。
また、昨年秋のリーグ戦で1年生ながら首位打者を獲得した熊谷陸(花巻東→法政大)は、序盤こそ苦しんだものの19安打を放った(打率.339はリーグ10位)。
境は残り7シーズンで78安打、熊谷が5シーズンで65安打を打てば通算100安打に到達することになる。そう書いてしまうと簡単そうに思えるが、実力があるだけでは到達できないのが100安打の難しいところであり、それは歴史が証明している。
では、100安打に到達するための簡単な条件を挙げてみたい。
・下級生のうち(できれば1年春)からレギュラーポジションを獲得する
・打席が多く回る1番~3番を任される
・同じチームに好打者か強打者がいる
・チームが強すぎても、弱すぎてもダメ
第一の条件として重要なことは、レギュラーとして試合に出続け、数多く打席に立つことだ。そのなかで結果を出したとしても、チーム内に自分より上、もしくは匹敵する打者がいなければマークは厳しくなり、場合によっては歩かされるケースもあるだろう。
それにデータ野球全盛の今、チームのキーマンになれば配球パターンは練りに練られ、打球傾向に沿って、守備シフトを敷かれることになる。他チームから研究されるうちに、自身のバッティングを見失う選手も少なくない。ドラフト候補として注目されていた選手が4年生になり、不振に陥るケースは多い。
また、東京六大学リーグの2戦先勝の勝ち点方式ならではの難しさもある。たとえばチームが強すぎて連勝ばかりだと、1シーズン10試合(10連勝)で終わってしまう可能性があるのだ。反対に弱すぎても10試合(10連敗)で終わることがある。
それよりも1勝1敗で3回戦(引き分けで4回戦の場合もある)にもつれ込んだほうが、自ずと試合数が多くなり、打席数も増える。
【ミスターも100安打には届かず】
昨年のドラフトで明治大からドラフト1位で楽天に入団した宗山塁は、4年秋のリーグ戦で100安打に到達したが、4年間で88試合しか出場していない。その理由は、2021年のリーグ戦がコロナ禍の影響により10試合勝ち点制(ポイント制)で行なわれたことと、2024年春のリーグ戦前に故障したためだ。それでも歴代7位の118安打を放つなど、驚異の数字を残した。もし故障がなければ、リーグ記録の131安打を塗り替えていた可能性がある。
宗山の前に100安打に到達した柳町達(慶応大→ソフトバンク)は、1年春からレギュラーとして活躍。
これを基準に現在、東京六大学でプレーする1、2年生の有望選手を挙げたい。
法政大/熊谷陸(2年)/14試合/56打数19安打(打率.339)
法政大/境亮陽(1年)/14試合/62打数22安打(打率.355)
明治大/田上夏衣(2年)/14試合/58打数16安打(打率.276)
立教大/小林隼翔(2年)/13試合/51打数13安打(打率.255)
立教大/村本勇海(2年)/13試合/52打数16安打(打率.308)
※成績は今年春のリーグ戦のもの
このなかでもっとも100安打に近いのが、3シーズンで通算35安打を記録している熊谷と小林だ。1年春に立教大のショートのポジションを獲得した小林は、4本塁打を放つなど長打力もある。
その一方で、2年生の田上と村本はこの春が初めてレギュラーとして臨んだシーズンだったことを考えれば、まだまだ100安打の道のりは長い。
しかし、今年春のリーグ戦で早稲田大と明治大が優勝決定戦までもつれ込んだように、東京六大学は各大学の実力が拮抗しており、1チームあたり13~15試合戦うことになれば、打席数も増えるわけで、当然チャンスも膨らんでくる。
最後に、先日亡くなられた長嶋茂雄氏の立教大時代の成績を振り返ってみたい。
1954年春/11試合/17打数3安打(打率.176)
1954年秋/11試合/19打数3安打(打率.158)
1955年春/11試合/47打数8安打(打率.170)
1955年秋/11試合/35打数12安打(打率.343)
1956年春/14試合/48打数22安打(打率.458)※首位打者
1956年秋/15試合/59打数17安打(打率.288)
1957年春/12試合/40打数9安打(打率.225)
1957年秋/11試合/39打数13安打(打率.333)※首位打者
1年の時は代打での出場が多かったため、規定打席に初めて到達したのは2年春。その秋からヒットを積み重ね、2度の首位打者を獲得したが、東京六大学での通算安打数は87本(96試合)だった。
あの長嶋氏でさえ到達できなかった東京六大学通算100安打の偉業。はたして、今春ブレイクした1、2年の有望株は偉業を達成できるのだろうか。