金子侑司インタビュー(前編)
昨シーズン、12年の現役生活にピリオドを打った西武の金子侑司氏。俊足を武器に盗塁王のタイトルを2度獲得するなど、西武の主力選手として活躍した。
【身長を伸ばすためにバレー部に入部】
── まず、野球を始めたきっかけを教えて下さい。
金子 京都はラグビーが盛んな土地柄で、小学1年生の時からラグビーを始めたのですが、小学4年の頃に幼馴染に誘われて野球をかけ持ちで始めました。
── 小学6年の時には100メートル走で京都市4位になったそうですね。タイムは?
金子 13秒4だったと思います。僕の足が速くなったのは、幼い頃からラグビーをやったおかげですし、足に関しては自信がありました。プロに入ってから50メートル走を計測したら、5秒9でした。
── 中学時代にスイッチヒッターに転向したそうですね。
金子 僕はもともと右投げ右打ちだったのですが、当時、松井稼頭央さんが西武からメジャーに移籍した全盛期で「カッコいいな」というイメージでした。高校野球をやっていた父親も同意見でした。ただ、2倍とまではいかなくても、左右のスイングでそれに近い練習をしなくてはなりません。プロの最後までスイッチヒッターを続けたのは、意地でした。
── 中学時代、京都嵐山ボーイズに在籍する一方、バレーボール部にも所属したのはなぜですか?
金子 僕の通っていた中学は、何かしらの部活に入らないといけなかったのです。
── 立命館宇治高校に進んだ理由は? 京都には龍谷大平安、京都外大西、福知山成美などの強豪校があります。
金子 当時はその4校が中心でした。ボーイズリーグに入っている選手は、中学3年の夏ぐらいには進路が決まっているものです。でも僕は、厳しいところには行きたくなく、せっかく強豪校から誘っていただいたのに断ってしまいました(笑)。僕は優柔不断で10月になっても決めかねていて、いくつか学校見学を始めました。
── 決断した理由は何だったのでしょうか。
金子 正直、立命館宇治高は知らなかったのですが、校舎の前を通りかかったときに「何この学校。きれいだし広いぞ。野球部あるの? えっ、2004年にセンバツ出てるじゃん」と。当初、スポーツ推薦枠は埋まっていると断られたのですが、辞退者がひとり出て、奇跡的に決まったのです。
── 高校3年の夏は府大会決勝で福知山成美高に2対8で敗れましたが、高校通算20本塁打で、プロ注目の選手でした。
金子 僕自身は甲子園出場よりも、将来プロ野球選手になるために野球をやっていたタイプでしたが、さすがに最後の夏は仲間たちと一緒に甲子園の土を踏みたかったですね。高校3年の時、プロ志望届を出せば指名されるかもしれないと言われて迷ったのですが、結局、大学進学を選びました。
【プロ1年目で開幕スタメン】
── 立命館大学では2年春のリーグ戦で、遊撃手としてベストナイン獲得。3年では日米野球、4年時には全日本選手権に出場するなど実績を積み、2012年のドラフトで西武から3位で指名されました。
金子 指名された時は、「これでプロ野球選手になれる」とうれしかったですね。僕が憧れていた松井稼頭央さんがメジャーから日本に戻り、楽天に入った時でした。
── プロ1年目の2013年、「7番・ライト」で開幕スタメン出場を果たしました。プロ初打席で日本ハムの武田勝投手からショートへ内野安打。この年、94試合に出場して、62安打、12盗塁の成績を残しました。プロでやっていける自信めいたものはありましたか。
金子 キャンプから無我夢中でやって、気づけば開幕スタメン、それから2カ月ぐらいはけっこういい成績でしたが、じつは心底疲れていました。
── プロ4年目の2016年、53盗塁で初めてタイトルを獲得します。
金子 佐藤友亮(外野守備・走塁)コーチが就任した年で、「その足があって、3年間、何をしていたんだ!」と言われました。それで「やらんと終わる......」「盗塁王のタイトルを獲れば人生が変わる」という覚悟でした。盗塁は企図しなければ始まりません。とにかく出塁して、まず"スタートを切る"ということです。
── この年、糸井嘉男選手(当時・オリックス)と同じ盗塁数で、3位は西川遥輝選手(当時・日本ハム/現・ヤクルト)の41個でした。
金子 糸井さんに追いついたのですが、膝を痛めていてもう限界でした。糸井さんはまだ残り4試合残していたのですが、肉離れなどで限界だったようです。50個近く走ると、やはり下半身に負担がかかりますね。
【韋駄天が語る盗塁成功の秘訣】
── 盗塁はスタート、スピード、スライディングの「3S」と言われますが、なかでもスタートは大事だと思います。
金子 力まないことです。いいスタートを切れた時は、スッと出られています。歯を食いしばって力んでいたら、絶対に足は動いていかないです。
── 投手のクセを盗むことはありましたか。
金子 投手のクセを見抜けたら、投げる前にスタートを切れるから一番いいのですが、なかなか簡単にはいきません。となれば、投球モーションに対して、いかに自分の反応でスタートを切れるかが大事になってきます。
── 盗塁は、投手がセットポジションから動いて、キャッチャーが二塁に送球するまで"3.3秒の攻防"と言われています。しかも、特にパ・リーグはストレート勝負が多くて、走りづらい部分があったのではないですか。
金子 僕は塁間を3.1秒から3.2秒で走っていました。最近の投手のクイックは、だいたい1.1秒くらいです。最初は投手のクセを盗めばいいという感覚でした。
── 西武は石毛宏典さん(通算242盗塁)、秋山幸二さん(通算227盗塁/盗塁王1回)、松井稼頭央さん(通算307盗塁/盗塁王3回)、片岡治大さん(通算271盗塁/盗塁王4回)、金子さん(通算225盗塁/盗塁王2回)と、スピードスターの系譜ですね。
金子 そういう偉大な選手たちと一緒にしてもらえること自体うれしいですし、盗塁は自分がプロの世界で輝くための武器だと思っていました。盗塁でセーフになった時の歓声は、ヒットを打った時よりも気持ちよかったですね。
── 2018年、2019年の西武は、「山賊打線」でリーグ連覇を果たしました。1番の金子さんから、2番・源田壮亮選手、3番・秋山将吾選手(現・広島)、4番・山川穂高選手(現・ソフトバンク)、5番・森友哉選手(現・オリックス)など、超強力打線でした。
金子 2018年は、守備と走塁はしっかりできていました。右中間のフライをフェンスに頭をぶつけそうになりながら捕球したプレーは、もう一度やれと言われてもできません。自分でも驚きました。でも打撃がイマイチで、モヤモヤした気持ちはありましたね。
── 2019年は116安打を放ち、41盗塁で自身2度目のタイトルを獲得しました。
金子 2位にも10個以上離すことができました。
つづく
金子侑司(かねこ・ゆうじ)/1990年4月24日生まれ、京都府出身。小学生時代にラグビーと並行して野球を始め、中学時代は硬式野球クラブチームの京都嵐山ボーイズに所属し、両打ちに挑戦。立命館宇治高に進学後は遊撃手として高校2年春からレギュラーとなり、高校通算20本塁打。立命大でも1年春からリーグ戦に出場し、3年時に大学日本代表に選出された。2012年ドラフト3位で西武に入団。1年目から開幕スタメンを果たし、初打席初安打を記録。16年、19年に盗塁王のタイトルを獲得。24年シーズンを最後に現役引退。引退後は野球解説者をはじめ、野球教室のコーチを務めるなど精力的に活動し、25年にはジュエリーブランド「KANOA jewelry」を立ち上げ、経営に携わっている