蘇る名馬の真髄
連載第1回:トウカイテイオー
かつて日本の競馬界を席巻した競走馬をモチーフとした育成シミュレーションゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』(Cygames)。2021年のリリースと前後して、アニメ化や漫画連載もされるなど爆発的な人気を誇っている。
圧倒的な才能とセンスを持ち、自信に満ち溢れた存在。それが『ウマ娘』のトウカイテイオーだ。「テイオーステップ」と呼ばれる独特の柔らかなフットワークが特徴で、それが強さの源である一方、ケガの要因にもなってしまう。
また、同じトレセン学園の生徒会長であるシンボリルドルフに憧れており、その姿を追いかけてレースに挑むようになったという背景がある。
こうしたキャラクターは、競走馬のトウカイテイオーをモチーフとしたもの。無敗の三冠馬シンボリルドルフの初年度産駒として生まれた同馬は、偉大な父の背中を追いかけるように、デビュー直後から圧倒的な強さを見せた。
新馬戦から連勝街道を突き進んだ競走馬のトウカイテイオーは、無敗で挑んだ三冠初戦のGⅠ皐月賞(中山・芝2000m)を快勝。
「皇帝」と呼ばれたシンボリルドルフ。その偉大な父が成し遂げた"無敗の三冠"に手が届きそうなところまできたのだ。
しかし先述したアニメでも描かれているとおり、トウカイテイオーは「テイオーステップ」と呼ばれる軽やかなフットワークを持ちながら、その特質によってケガが頻発してしまう。ダービーを勝ったあと、この馬にとって初めての骨折が判明。戦線離脱を余儀なくされ、三冠最終戦のGI菊花賞(京都・芝3000m)に出走することはできなかった。
そしてその後も、復帰してすばらしい走りを見せながら、骨折を繰り返すという競走生活が続いたのだった。
たとえば、5歳(現4歳。※2001年度から国際化の一環として、数え年から満年齢に変更。以下同)の秋。トウカイテイオーはGⅠジャパンC(東京・芝2400m)を制し、皐月賞、ダービーに続いて3つ目のGⅠタイトルを獲得した。しかし、続くGⅠ有馬記念(中山・芝2500m)で11着に大敗すると、再度の骨折により、長い休養を強いられた。
復帰したのは、それから丸1年経った有馬記念。日数にして、364日後のことだった。結果的にこの一戦がキャリア最後の競馬となるのだが、トウカイテイオーにとって、最もドラマチックなレースとなった。
1年ぶりのレースがGⅠの大舞台。まして骨折明けとなれば、常識的に考えて勝つシーンは想像しにくい。大方のファンもそういった見解だっただろう。しかし、"帝王"はそうした常識を覆した。
好スタートをきったトウカイテイオーは、すかさずインコースを取り、内ラチ沿いを進んだ。稀代の逃げ馬メジロパーマーがレースを引っ張り、1番人気に推された4歳馬のビワハヤヒデが先行集団に位置するなか、トウカイテイオーはその後ろでじっと息を潜めていた。
勝負どころとなる3コーナーを迎えて動き出したビワハヤヒデ。4コーナーでは早くもメジロパーマーに並びかけた。直線入口で先頭に立って、横綱相撲の競馬でそのまま押しきると思われた。
だが、ビワハヤヒデに迫る存在が1頭だけいた。トウカイテイオーだった。
道中インコースにいたトウカイテイオーは、3コーナーからスルスルと馬群を縫ってポジションを上げ、直線に入ってからビワハヤヒデの後ろを猛追してきたのだ。レースの実況アナウンサーも驚きを隠せず、「トウカイテイオーが来たぞ、トウカイテイオーが上がってきた!」と声を張り上げた。
芦毛のビワハヤヒデの外に持ち出したトウカイテイオーは、ライバルとの一騎打ちへ。骨折明けのブランクをものともしないフットワークで、自慢のたてがみをなびかせながら、芦毛の馬体をかわしたのだった。
多くの人たちが「奇跡の復活」と口にした。実際に、この勝利はJRAの長期休養明けGⅠ勝利の最長記録となっており、今も破られていない。
その後、トウカイテイオーは現役を続行するが、またも骨折に見舞われてしまう。復帰を目指したものの叶わず、引退することになった。再びその勇姿を見せることはできなかったが、最後までトウカイテイオーは戦い続けたのだった。
皇帝の子に生まれ、圧倒的な才能とセンスを兼ね備えたプリンス。