1月18日、ヤクルト二軍の戸田球場。新人選手合同自主トレが終わり、静まり返ったグラウンドにニット帽を目深にかぶり黙々と走りこんでいる選手がいた。
その選手が走り終えてこちらに向かってくると、2年目のシーズンを迎える伊藤琉偉だとわかった。体のサイズが大きくなり、顔つきもどこか変わっていたことで気がつかなかったのだ。
球場には数人のファンが残っていて、伊藤に「待っていますよ」と声をかけると、「僕のサインをほしい人はいないですよ」と小さく笑った。
【守備の人から打撃の人へ】
あの日からわずか数カ月、伊藤は4月20日の巨人戦で代打としてプロ初安打を放つと、次の打席ではレフトフェンス直撃のサヨナラタイムリー。プロ初のお立ち台も経験した。
6月5日の西武戦では、レフトスタンドへプロ初本塁打を放つと、ロッテとの3連戦では3試合連続打点を記録した。
「1月の時は、自分を応援してくださるファンの方はもちろんいたのですが、『まだまだ全然』という認識だったので......。今は増えていますかね。自分の名前が記されたタオルが見えると、すごくうれしいです」
伊藤は2023年のドラフトで、ヤクルトから5位指名を受けて独立リーグのBC新潟から入団。1年目を「振れる時と振れない時の波が激しくて、ほんとに体力のなさを実感しました」と振り返る伊藤は、二軍ではチームで2番目に多い368打席に立つも、打率は.221。三振はチーム最多タイの96個を喫した。ちなみに、一軍では1打席だけ立ったが三振だった。
昨年は守備での印象が強かったが、今季はここまで(6月26日現在)一軍で36試合に出場し、打率は.221ながら3本塁打、12打点、長打率.412、得点圏打率.357と打撃で存在を示している。
伊藤はここまでの成績について、「たぶんファームのコーチも、自分の今の成績にびっくりしていると思います」と言った。
「ファームでホームランを打ったことはなかったですし、長打もそんなになかったので......。やっぱり去年の松山での秋季キャンプで、一軍のピッチャーの真っすぐに負けない強いスイングに取り組んできて、そこに体重が増えたこともマッチした。練習でできていたことが、試合でもだんだんできるようになってきました。練習中にスイングスピードを測れるんですけど、今年はずっと去年の平均の上をいっているので、そこは成長していると思います」
宮出隆自二軍打撃コーチは「あんなに勝負強かったかな。いいところで打ってくれていますよね」と笑い、昨シーズンの伊藤の印象についてこのように話した。
「もともと引っ張ることが得意ではなく、ボールに差し込まれることが多かった。打ち方的にも、反対方向に打球が飛びやすい形だったんです。ただ体の力はあったので、もう少しボールをしっかりつかまえられるようになれば、長打も打てるだろうなとは思っていました。
去年の終わりくらいから、そのための練習を少しずつ始めて、だいぶいい形になっています。左手の使い方が確実に変わっていますし、本人の感覚と形がマッチしてきたのかなと思います。
【1日1500スイングで打撃強化】
昨年の松山キャンプで、伊藤は1日1500スイング以上バットを振り続け、守備練習もたくさんこなした。キャンプ終盤には「最初は1日が長く感じましたが、終わってみたらあっという間の2週間でした」と振り返り、こう語っていた。
「そのなかで発見もありました。限界に近い状態でも気合いで(バットを)振れましたし、自分って意外とこれくらいはできるんだなと。声も少しずつですけど出るようになって、きつくて苦しかったですけど、よく食べて体重も増えました(笑)。来年、沖縄での一軍キャンプに行って、オープン戦で結果を出して、なんとか食らいついて一軍に残るために踏ん張らなきゃと思ってやっていました」
その言葉どおり、2月は一軍キャンプに参加し、フリー打撃では大きく強い打球を次々と放ち、オープン戦は最後まで帯同。そして念願の開幕一軍を果たしたが、「すべてがうれしいわけじゃなかったです」と、意外なことを口にした。
「やっぱり、(山田)哲人さんやムネさん(村上宗隆)がコンディション的にちょっと時間がかかるということでの開幕一軍でしたので......。できれば実力で勝ち取りたかった」
結局、一度も打席に立つことなく、3月31日に登録抹消となった。
「そのことでモチベーションが下がったり、落ち込んだりすることはなかったです。またいつ呼ばれてもいいように、松山キャンプからやってきたことは変えずに、『もう一回バットをしっかり振れるように』とやっていました」
4月18日に一軍へ再昇格すると、前述の巨人戦で大活躍。この試合では、ショートの守備でもすばらしいプレーを見せた。その後はなかなか出場機会に恵まれなかったが、「まだまだ一軍で試合に出られるレベルではなかったと思っていますし、出た時にはしっかり結果を残せるように」と、日々の練習から気持ちの準備を怠らなかったという。
「試合中は、先輩方がどういうふうに打席に入っているのかとか、守備でのコミュニケーションなどをよく見ていました。ベンチにいるからこそ感じられることもあるので、そこはしっかりできたのかなと思っています」
伊藤は試合後、いつも反省の言葉を口にする。
「一軍の試合はワンプレーが勝負のカギを握る世界というか、ひとつのバントの失敗がそのまま負けにつながることもあります。一軍で生き残っていくためには、作戦面でも走塁面でも、もっと確実にやらないといけない。三振も、フルカウントまで持っていっての三振ならまだいいんですけど、三球三振もあるので、そこは粘って粘ってという姿勢を見せていきたいです」
守備については昨年、土橋勝征二軍内野守備・走塁コーチから「ワンプレーの大事さを口酸っぱく言われてきました」と語った。
「ふつうのゴロを確実にさばくのはもちろんですが、球際の強さや、走者が二塁にいる場面ではアウトにできなくても打球を外野まで行かせないとか、そういう部分をずっと言われてきました。昨日の試合(6月18日の楽天戦)でも、自分が打球を内野で止めていれば1点を防げたかもしれない場面がありました。そういった"見えないファインプレー"というか、そういうところはこれからも大事にしていきたいです」
【人間としても急成長中】
野球選手として急成長を遂げている伊藤は、人見知りの性格も克服しつつある。2度のお立ち台では、少し言葉に詰まる場面もあったが、立派な受け答えを見せた。
「本当に人前に出るのが恥ずかしくて......。昔に比べれば少しはよくなってきたんですけど、それでもまだ人見知りなんです。取材にも少しずつ慣れてきて、少しずつ話せるようになってきた感じです(笑)」
前出の宮出コーチは、伊藤の人間的な成長を喜んでいる。
「人としての成長は、間違いなく野球の上達につながるし、本当に大事なことですよね。僕はどちらかというと、バッティングで打つことよりも、人として周りからきちんと認められる存在になってほしいと思っているので、そこを意識して琉偉には接してきました。『そんなのはアカン』とか、『もう少し自分の意見をちゃんと話したほうがいいよ』とか、そういう声かけをよくしてきました。
野球選手としては、これからもっともっと壁にぶち当たると思うし、打ち始めれば当然相手にも研究されます。むしろ、今よりもこれからのほうが大事です。自分でもっと先を見据えて、現状に満足することなく頑張ってほしいですね」
この先、伊藤が目指すのは実力でレギュラーの座をつかむことだ。
「(長岡)秀樹さんやムネさんがケガから戻ってきても試合に出られるようになりたいので、今は1試合1試合、結果を出すだけだなと思っています。目標は哲人さんのように若い頃からずっと試合に出続けて、あれだけ打って、走れて、守れて......自分はそういう選手になりたいので、そのために練習あるのみです」
伊藤はそう語ると、室内練習場での早出練習に向かったのだった。