6月27日、横浜。アイスショー『ドリーム・オン・アイス』は、試合形式に近い舞台になっていた。
「競技に似た緊張感があった」と選手たちが振り返っているように、まさにシーズン前哨戦の様相を呈(てい)していた。女子シングルのグループは、坂本花織、千葉百音、樋口新葉、松生理乃と、2026年2月開催のミラノ・コルティナ五輪の選考会のようなメンバーだったーー。
【引退表明したふたりのベテラン】
ミラノ五輪で日本の女子シングルは、最大の3つの枠を手にしている。今年3月の世界選手権で坂本、千葉、樋口と3人の獲得ポイントで勝ち獲った枠。前回の北京五輪と同じ数だ。
坂本はいまや五輪代表として有力というよりも確定に近い。全日本選手権は4連覇中。世界選手権の4連覇はならなかったが、直近大会も2位だった。ミラノでも金メダル最有力候補だ。その彼女が、今季限りでの引退をすでに表明している。
「このミラノのシーズンを逃すと引退しそこねるかなっていうのもあって。オリンピックという一大イベントをめざして区切りに。
坂本は決断の理由をそう明かしたが、それだけの覚悟があるのだろう。
そして樋口も実力、実績とも十分のスケーターである。北京五輪で団体銀メダルに貢献し、2度目の五輪出場をめざす。そして、『ドリーム・オン・アイス』の公演後の取材では、同世代の坂本と同じく今季限りでの引退を発表している。
「(今年12月の)全日本選手権が東京開催って知った時は、自分が今シーズンで最後と決めていたのもあって、すごくうれしいなと思いました。地元だし、いつも練習している拠点から近いところなので、いつもどおり落ち着いて滑れるんじゃないかって楽しみにしています」
五輪シーズンの全日本選手権は例年、五輪メンバー選考の"修羅場"と化すわけだが......。ふたりの"ベテラン"が引退を宣言し、士気を最大限に高めて挑む。それだけ五輪にかける思いは強い。スケーター人生の集大成だ。
【ポスト坂本時代を切り拓く次世代】
一方、世界選手権3位と進境著しい"若手"の千葉も負けていない。
この日、『ドリーム・オン・アイス』でも千葉はショートプログラム(SP)『さくらさくら』を披露し、和魂で異彩を放っていた。ミラノ五輪を強く意識したジャパネスクなプログラムだった。ピンクと紺が混ざり合った衣装で、スケーティングは神々しいほど整然としていたし、独特の跳ね上がるようなルッツを成功させていた。
"ポスト坂本"時代を千葉は、島田麻央(ミラノ五輪には年齢制限で出場できない)とともに背負っていくと目される。ミラノは新時代を切り拓く格好の舞台だ。
松生理乃は紆余曲折の天才と言える。もともとスケーティング力の高さは評価されていたが、ケガや体調不良を経て復活を遂げた今は芯の強さを感じさせる。昨季はGPファイナルに出場し、全日本でも5位と躍進した。

この日の『ドリーム・オン・アイス』でも、松生はSP『Lux Aeterna』を滑り、しっとりとした楽曲を品よく表現していた。スローな動きこそ難しいが、ためをつくれることで観客を引きつける力があった。スパイラルやビールマンスピンなど、一つひとつが美しいのだ。
【独自の世界観をもつ注目選手たち】
そして五輪出場枠は、この4人だけで争われるわけではない。
これまで2度の五輪出場枠をめぐっては無念の涙をのんでいる三原舞依も、かける思いは人一倍だろう。昨季は痛みを押しての全日本出場で無念のフリー棄権となったが、その実績は坂本や樋口と比べても遜色ない。
来季のプログラム、SPは2022−2023シーズンの『戦場のメリークリスマス』、フリーは2023−2024シーズンの『ジュピター』を選択。
また、渡辺倫果、吉田陽菜、住吉りをんなどもそれぞれ実力者で虎視眈々だろう。
山下真瑚は伏兵と言える。2023年の全日本はSPが2位、フリーが12位。2024年はSPが12位、フリーが4位と振れ幅は大きいが、ジャンプの高さに定評があるだけに、一気に巻き返す"派手さ"を持つ。「不思議な」キャラクターも含め、彼女だけの世界観も魅力だ。
2023年の全日本で山下はこう話していた。
「ちょっと前にトレーニングでトレーナーさんに『曲かけで息が止まっている』と言われて。気をつけたら、その日から調子がよくて、ショートもフリーも息をするのが大事だなって思いました。今まで呼吸を意識したことはなくて、最後で息が切れちゃうのが多かったんです。最初から呼吸を意識して、吸って吐いてをプログラムのなかでやると、最後で動けなくなることはなくなりました」
普通のことを言っているのだが、何か発見した楽しさが伝わってきて、周りを和やかにする。天性の明るさと無垢さというのか。
夏のリンクで、五輪シーズンが開幕する。