【平成の名力士列伝:豪風】周囲の支えに鼓舞され土俵に上がり続...の画像はこちら >>

連載・平成の名力士列伝48:豪風

平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、記録と記憶に残る息の長い関取人生を送った豪風を紹介する。

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【「師匠が言っていたのは、こういうことだったんだ」】

 中央大4年で学生横綱に輝き、平成14(2002)年5月場所、幕下15枚目格付け出しで角界入りすると、わずか2場所で関取昇進。十両も3場所で通過し、平成15(2003)年3月場所で早くも新入幕を果たした。

「アマチュアから入って10年やって32歳が限界かな」

 当初はそんなことを漠然と考えながら土俵に上がっていた。幕内デビュー場所は右足のケガで途中休場となり、1場所で逆戻りとなると十両で3場所過ごし、同年11月場所で幕内に返り咲いたものの、1年後には左眼の網膜剥離の手術を受けたため、平成17(2005)年1月場所を全休。再び十両へ陥落し、幕内に定着したのは、3度目の入幕となった同年5月場所からだった。

「幕内にいれば、そのうちに三賞も獲って、三役になれるだろうと甘く考えていた。だから時間がかかった」と、のちに語っている。

 平成20(2008)年1月場所、前頭7枚目で12勝の星を挙げ、初の三賞となる敢闘賞を受賞すると、翌場所は新小結に昇進。28歳にして念願が叶ったが、3勝12敗の大敗により1場所で三役の座を明け渡すことに。その後は再び、長きに渡って平幕の上位と下位の行き来に終始。気づけば現役生活も10年を超え、年齢も"限界"と思っていた32歳を過ぎていた。

「立ち合いで当たって、いなしや引きの限られた相撲しか取れない。こんな相撲をお客さんの前で取るのも失礼だし、辞めたほうがいいかな」

 萎えかけた気持ちを師匠(元大関・琴風)にぶつけたこともあった。すると思いもよらぬ言葉が返ってきた。

「お前の気持ちはそうかもしれないけど、パンパンに張ったお前の体はそう言ってない。体がダメになれば1分、1秒で変わることはないが、心は何かのきっかけがあれば、一瞬で変わることができるんだぞ」

 翌日の稽古場では体の内面から、熱いものがほとばしるのを感じた。「師匠が言っていたのは、こういうことだったんだ」と実感すると悩んでいたのが嘘のように、稽古やトレーニングにも一層、身が入るようになった。

【周囲の支えを糧に平幕在位は史上2位の83場所】

 34歳になる直前の平成25(2013)年5月場所後、右ヒジの手術を受けた。今度は心ではなく、体が悲鳴を上げていた。三役も経験し、三賞もすでに2回獲得したことから「辞めるのには、いいきっかけかな」と手負いの身に引き寄せられるように気力も落ちかけたが、「看護師さんや主治医が自分の完全復活のために、一生懸命やってくれている。辞めようと思った自分が恥ずかしくなった」とすぐに気持ちを切り替え、リハビリにもきちんと向き合い、出直しを誓った。

 1年後の平成26(2014)年7月場所9日目、横綱・日馬富士との対戦では、当たってすぐにいなして泳がすと、間髪入れずに攻め続ける会心の相撲で押し出し。初金星としては35歳1カ月という史上最高齢での獲得となった。

前頭4枚目のこの場所で9勝をマークすると、翌場所は35歳2カ月の戦後最高齢で新関脇に昇進。新入幕から所要68場所も史上1位のスロー出世だった。

 平成29(2017)年3月場所後、37歳で2度目の手術を受けたときも、引退が頭を過(よぎ)ることもあったが、リハビリのトレーナーの献身的な姿に感銘を受け「絶対に這い上がって結果を出さないといけない」と元気をもらい、同年7月場所は前頭12枚目で8勝7敗。この場所が幕内での最後の勝ち越しとなった。

 平成30(2018)年5月場所、昭和以降2位となる38歳10カ月の高齢で入幕を果たしたが、1場所で十両へ。翌年の1月場所10日目、39歳で引退を表明した。

 約16年半に及ぶ現役生活はちょうど100場所。そのうち98場所を関取として過ごし、平幕在位は史上2位の83場所にも及んだ。新関脇昇進と初金星の最高齢記録保持者は「記憶はいずれ忘れ去られるけど、記録を残せば記憶にも残る。『豪風を抜かそう』と思える記録を残せたのはうれしい」と記録にもファンの記憶にもその名を刻んだ。

"限界"をはるかに超え、40歳直前まで関取として土俵を務めることができたのは、周囲の支えがありながらもストイックに相撲に打ち込んできたからだ。通常は本場所が終わると1週間は稽古が休みになるが「自分は場所休み後の稽古にすんなり入りたかったので、場所休みは稽古に入るための準備期間として考えていた」と完全休養することなく、体を動かし続けた。

巡業のときは移動先に到着すると、食事を摂る前にビジターとして事前予約した現地のジムで汗を流すのを習慣としていた。

「やらなければいけないことは、すべてやってきた」とノンストップで駆け抜けた長い現役生活だった。

【Profile】
豪風旭(たけかぜ・あきら)/昭和54(1979)年6月21日生まれ、秋田県北秋田市出身/本名:成田旭/所属:尾車部屋/しこ名履歴:成田→豪風/初土俵:平成14(2002)年5月場所/引退場所:平成31(2019)年1月場所/最高位:関脇

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