宮部藍梨 インタビュー
【男子と女子の"差"を感じながら思ったこと】
パリ五輪の出場権をかけて戦った昨年のネーションズリーグから早1年。フェルハト・アクバシュ新監督のもと始動した女子バレー日本代表は、カナダ、香港ラウンドでのネーションズリーグ8試合を終え、6勝2敗で5位につけている。
五輪翌年のシーズンで、全チームがさまざまな戦力を試しながら、個の力はもちろん、組織としていかにフィットしていけるかを測っている。
7月9日に始まる千葉大会へ期待が高まるばかりだが、どれだけの盛り上がりを見せるのか。日本代表シーズンが始まるまでは、不安を口にする選手も実は少なくなかった。国内のSVリーグを戦いながら、観客数の違いやメディア露出などで、男女間の"差"を実感していたからだ。
特に、事あるごとに自らの意見や考えを自らの言葉で口にしてきたのが、ミドルブロッカー兼アウトサイドヒッターの宮部藍梨だった。
アメリカ留学を経て、2022年からヴィクトリーナ姫路へ。プロチームの選手として、ひとりでも多くの人にバレーボールを知り、観てもらうためにはどうあるべきか。そして男子人気を見上げるばかりでなく、女子バレーも盛り上げるためにはどんな意識を持つべきか。
SVリーグのレギュラーシーズンが終わり、間もなくチャンピオンシップが始まるという頃に行なったインタビューでも、彼女の言葉からはストレートな熱が伝わってきた。
「SVリーグを『世界最高峰』というじゃないですか。でも、その定義が曖昧かな、と思うし、試合数や日程の決め方、選手側としてはいろんな疑問があります。
他のリーグと比べるものではないかもしれないですけど、たとえばアメリカのプロリーグはリーグ全体として盛り上げようとしているのが伝わってくるけれど、SVリーグは各クラブが背負う比重がすごく大きい。特に集客や人気の面で男子と女子は大きな差があるなかで、『それぞれが頑張って』と言われても、何をすればいいのかわからない、というクラブもあるかもしれないですよね」
【「妥協せず、とにかく必死で」】
長いシーズンの最中、男女を問わず、さまざまな選手やスタッフ、フロント陣、それぞれの目線で「SVリーグの課題やさらによくなると思われることは何か」と尋ねた。目線や立場が変われば意見は当然異なり、収益を得るためには少しでも多く試合をしてホームゲームを増やしたい、と考える経営陣に対して、選手や現場で戦うスタッフは「それでは身体が壊れる」と警鐘を鳴らす。どちらが正しい、どちらが間違いではなく、聞けば聞くほどさまざまな意見があったが、宮部はその状況こそが「あるべき形」と語っていた。
「選手が声を上げること自体がいけないこと、と感じる機会も、これまでは少なからずありました。特に女子選手は、思っていることがあってもなかなか言わない。私自身もそこはアメリカに行ってすごく変わった部分ですけど、でも自分たちが戦う場所なわけだから、もっとよくなるためには自分たちで変えていくために意見も言わないといけない。もっとちゃんと、意見を発する選手が増えていくことも必要だと思うし、私は、私が思うことはちゃんと伝えていきたいです」
男子と女子、同じバレーボールとはいえ、それぞれ異なる問題があり、解決策も違う。だからこそ、言われるがままに動くのではなく、考えて動きたい。シンプルな言葉は、いつも核心を突いていた。
「男子は人気があるからお客さんが入る、というだけでなく、各クラブの取り組みも積極的だと思うし、選手の発信もそう。
それぞれのチームが地域性を打ち出し、ホームゲームを盛り上げようと試行錯誤を繰り返す。1年目の昨シーズンは集客に苦労する場所や試合もあったが、女子バレーが面白くなっていること、そしてこんな選手たちが日本代表として戦い、SVリーグで戦っている、と知ってもらうために、日本開催の国際試合は絶好の舞台でもある。
「SVリーグも手探りだったように、この代表も1年目。正直ここからどうなるんだろうと思うし、私たちも監督がどんなバレーをしたいのか、まだまだわからないことがたくさんあって、この先、うまくいくこともあれば、いかないこともあるかもしれない。でも、どういう状況でも私にできること、やるべきことはあると思うので。まだまだヘタクソですけど、自分ができることはとにかくやりきる。全然あかん日もありますけど(笑)、妥協せず、とにかく必死で頑張ります」
初の五輪出場や皇后杯優勝、SVリーグ初年度とさまざまな経験を重ねたミドルブロッカー宮部藍梨は、この先の戦いでどんな姿を見せるのか。ひとつひとつのプレーやその時々の"熱"を、どんな言葉で語るのか。
まだまだ始まったばかり。楽しみも、広がるばかりだ。
【プロフィール】
■宮部藍梨(みやべ・あいり)
1998年7月29日生まれ、兵庫県出身。181cm。ミドルブロッカー、アウトサイドヒッター。小学3年でバレーを始め、金蘭会高校では1年から活躍し、インターハイ、国体、春高バレーの高校3冠を達成。ミネソタ大学大学院卒業後、海外チームからのオファーもある中、「プロとしての1年目は原点で」とヴィクトリーナ姫路へ入団。日本代表としては、2024年のパリ五輪に出場した。