堺東高校「公立1位から大阪1位」への挑戦(後編)
堺東は日々の練習、ふだんの生活のなかで「プライドづくり」に励む一方で、野球の戦いのなかで求めるのは「できることをやる」だ。しかし、これが容易ではない。
「特に公立校は、持っている力を発揮する前に自滅してしまい、負けることが多いです。力を出し切らなければ勝負にならないのに、選手たちは萎縮してエラーやフォアボールなどミスを重ねてしまう。私立の強豪といっても、高校野球なので大差はありません。しかし選手たちはそれを感じられず、怖がってしまう。
選手が萎縮しているのを見ると腹が立ちます。これまで何のために練習してきたのか。試合後に『相手が強かった』となるのはわかりますが、やる前から怖がるのはなし。今の子は『無理』という言葉をよく使いますが、そう思った瞬間に勝てるチャンスもなくなる。自分たちの力を出しきって、やるべきことをやる。まずはそこなんです」
【大阪桐蔭戦での反省点】
いかに相手と対等な意識で勝負の場に立てるか。春の大会では、やるべきことをやった結果としてベスト8に進出したものの、反省点もあった。主将で4番の長野真大が、大阪桐蔭戦を振り返る。
「あの試合もイメージとしたら、しっかり守って接戦に持ち込みたかったのに、取れるアウトを取れなかったり、アウトにできずそのあとホームランを打たれたり、センター前ヒットで二塁に進まれたり......。攻撃では、1回に先制できたのはよかったですが、そのあとは三振が多く、いつもできていたことが何もできなかった」
最速は確認できている範囲で129キロ。それでも打者を差し込む球が持ち味の左腕エース・三井颯斗も反省の言葉を口にした。大阪桐蔭戦は4回途中で4失点し、マウンドを降りている。
「試合前はいろいろ攻め方を考えていましたが、ボールが多くなって思うようなピッチングができませんでした。どこに投げても打たれる気がして、打席からの圧をかなり感じました。さらに、整列の時から相手の体格のよさに圧倒され、小さい頃からテレビで見てきた相手だったので、戦う前から押されている気持ちがありました」
正直な感想だろう。しかし、それでは王者相手に食らいつけない。鈴木が言う。
「簡単にストライクを取りにいけないのはわかります。でも、そのなかでストライクを投げて、27個のアウトを取らなければ勝負になりません。大阪桐蔭クラスの投手になると誰が投げても球は速いけど、それに対して三振の山だと何も起こらない。
春の戦いは成長を感じさせたが、大阪桐蔭戦ではまだ選手たちが相手を見上げていた。鈴木が言う。
「ウチの選手の大半は中学時代、軟式野球の部活でプレーしていて、硬式のクラブチームで中心選手として出ていたのは稀です。でもね、選手に言うんです。『おまえは補欠やったかもしれんけど、高校で勝てば大逆転やないか。ここでひっくり返せばカッコええやないか』って。だからいつまでも見上げとったらあかんのですよ」
【本気でやる楽しさと大切さを学んだ】
主将の長野は中学時代、名の知れた硬式クラブチームの補欠だった。自主性を重んじるチームだったが、自分としてはもっと厳しい環境でやりたかったと話す。ただ、堺東にはそこまで強い覚悟を持って入ってきたわけではなかった。それが......。
「高校野球を楽しめたらいいかな......くらいの気持ちだったんです。でも、それがいつの間にか変わっていったというか。今はやるなら本気でやりたい、やるなら絶対に勝ちたいと思うようになって。
真剣にやるほうがしんどいけど、楽しいし、勝った時の喜びも、負けた時の口惜しさも全然違う。以前なら『負けてもしゃあない』って感じだったのが、今は一生懸命やってきた分、本気で悔しい。自分でもびっくりするくらいいろいろ変わりました。まさか高校でキャプテンをやるとは思っていなかったですし、こんな気持ちになって高校野球をやるとも思っていませんでした」
このグラウンドで、本気でやる楽しさと大切さを学び、一つひとつ乗り越えてきた。また、長野はこの2年半で3度も大きな故障を経験している。
「最初は1年の時、ノックの打球を追いかけて頭から突っ込み、防御ネットの足元に頭をぶつけて切り、縫うケガをしました。2年の春には、試合でサードを守っていたら、ゴロが跳ねて唇を縫って、歯も3本折れました。この春も、3月の練習中にノックの打球がライナーであごに当たり、骨折してしまって......。いろいろありました」
鈴木も回想する。
「でもね、あごに当たった時、本人は『大丈夫です』ってそのまま練習を続けたんです。
打球が当たったあと、ノックの途中からいつもの元気な声が聞こえなくなって、おかしいと思って病院に行かせたら骨折していて......。でも、1年の時は頭をぶつけて泣いて、『高校生にもなって痛いくらいで泣くなよ』と言った子が、キャプテンになってチームのために痛みを我慢して、練習したり、遠征にも同行したり。僕にとっては、こういうのが本当の成長で、それ以外にないですよ」
【高校野球は3年がちょうどいい】
大阪大会の開幕が近づいていたある日、鈴木の誇らしげな語りの向こうでは、日が落ちた高台の静かなグラウンドに、ティーバッティングの乾いた音だけが響いていた。このメンバーで過ごす日々も、あとわずか。選手たちが成長し、たくましさを見せ始めた頃に終わりを迎えるのが、高校野球だ。グラウンドを見つめる指揮官の背中は、どこか寂しさが漂っていた。
「高校野球は3年っていうのが本当によくできていて、もう少しこいつらと一緒にやりたいなって思うくらいが、ちょうどいいんですよ」
堺東は1972年創立だが、野球部創部は2000年。これまで夏の最高成績は、10年前の2015年に記録したベスト8。25年の歴史のなかで、20年は3回戦以下で敗退している。そんななか、現チームは昨年の新チーム発足と同時に、ひとつの目標を掲げた。
「公立で1位になる」
しかし昨年秋の大会はすべて公立校と戦い、2勝して3戦目で敗れた。
「ウチは相手次第で勝てるようなチームじゃないので、相手よりも自分たちの力をどれだけ出せるかが大事です。春もベスト8まで行けましたが、負けてもおかしくない試合ばかりでした。子どもたちも、自分たちに野球の力がないことはわかっているので、ベスト8と言っても、野球がうまくて勝てたとは誰も思っていないはずです」
野球も野球以外もやることをやった結果、負けてもおなしくない試合を潜り抜け、ベスト8に残った。
「結果として、8つに残ったなかで公立校はウチだけだったので、こいつらのなかでは一応、目標を達成したってことになったんでしょう。だから、『夏の目標は?』って聞かれたら、そら言いますわね、高校生ですから」
ニヤリと笑顔を見せた指揮官の思いどおり、主将の長野は迷いなく夏の目標を口にした。
【公立1位の次は大阪で1位】
「公立1位の次なんで、夏は大阪で1位になりたいです」
つまりは甲子園出場だ。この時期の高校球児に対し、愚問であることは承知のうえで、長野に聞いた。「大阪で1位ということは、もし大阪桐蔭と当たったとしたら」と。
すると長野は、力強く言った。
「次は勝ちます」
春に当たった時も、「本気で勝てると思っていたか」と少々意地悪な質問にも、長野は視線を逸らすことなく「思っていました」と語った。
さらに、どんな展開なら勝てると思っていたかと聞くと、こんな答えが返ってきた。
「守備からミスなく戦い、タイブレークだったりを想定していました。
大阪桐蔭に限らず、個々の力量やチーム力では、やはり私学を中心に大きな差があるのは明らかだ。その差を埋めるため、春の大会以降も野球だけでなく、野球以外のことも妥協せずに積み重ねてきた。一人ひとりが恐れず全力を出した時、春に続く「ええこと」が待っているのか。
ただひとつ言えるのは、堺東の選手たちが「夏の大阪1位」という大きな目標を堂々と口にできるだけの努力をしてきたということだ。
「こいつらに逆転させてやりたいんです」
鈴木がもう一度力を込めた。
いよいよ、大阪で1位を目指す戦いが始まる。