蘇る名馬の真髄
連載第5回:メジロマックイーン
かつて日本の競馬界を席巻した競走馬をモチーフとした育成シミュレーションゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』(Cygames)。2021年のリリースと前後して、アニメ化や漫画連載もされるなど爆発的な人気を誇っている。
長編ドラマの登場人物を思わせるようなこのキャラ設定は、実在した競走馬・メジロマックイーンに重ねたもの。同馬が生まれながらにして背負った宿命が、『ウマ娘』でも再現されているのだ。
昭和から平成の競馬界で一時代を築いたのは、馬名に「メジロ」の冠名を付した馬たちだった。これらの"メジロ軍団"には、確かな特徴があった。それは、3000mを超えるような長距離戦にめっぽう強いことである。
これは、メジロ軍団の創始者である故・北野豊吉氏の意向によるものだった。
天皇賞は春の京都と秋の東京で行なわれ、もともとはどちらも3200mの長距離で雌雄を決していた。その後、秋の天皇賞は2000mへと距離が短縮されたが、春については今も3200mで争われている。
そんな長距離の天皇賞を勝つため、メジロ軍団からはスタミナに秀でたステイヤーが数々輩出されてきた。その最高傑作が、メジロマックイーンだろう。
祖父メジロアサマ、父メジロティターンは、ともに天皇賞を制しており、文字どおり"メジロの伝統"が内包された血統の持ち主であるメジロマックイーンは、関係者の期待に応えるように長距離戦で抜群の強さを見せつける。
まずはデビューした1990年、4歳(現3歳。※2001年度から国際化の一環として、数え年から満年齢に変更。以下同)の秋に、「牡馬三冠」の最終戦となるGⅠ菊花賞(京都・芝3000m)を制した。
そして翌1991年には、武豊騎手を背にして悲願であるGⅠ天皇賞・春(京都・芝3200m)を難なく快勝。前人未到となる、父仔三代の天皇賞優勝を決めたのだった。
期待どおりの活躍を見せたマックイーンだが、この馬がステイヤーとしての資質を余すことなく体現したのは、連覇を果たした1992年の天皇賞・春だろう。
トウカイテイオーは、七冠馬である"皇帝"シンボリルドルフの仔として生まれ、牡馬三冠のGⅠ皐月賞(中山・芝2000m)と、GⅠ日本ダービー(東京・芝2400m)を完勝。その後は故障に見舞われて三冠達成はならなかったものの、久々の復帰戦となった前走のGII大阪杯(阪神・芝2000m)を持ったままで勝利し、天皇賞・春に挑んできたのである。
長距離界の至宝メジロマックイーンと、若きトウカイテイオーの対決は注目を集めた。鞍上はマックイーンが武豊騎手、テイオーが岡部幸雄騎手という、東西のトップジョッキーが務めることで、一段と盛り上がりを見せた。
初の3200m戦に挑むテイオーについて、岡部騎手が「地の果てまで駆けていける」と強気な姿勢を見せれば、武豊騎手もマックイーンについて「こちらは天までも駆けられる」と応じた。いつしかこの一戦は「世紀の対決」と呼ばれていた。
春の京都に地鳴りのような歓声が鳴り響いた当日。単勝1.5倍の1番人気に推されたのはトウカイテイオー。メジロマックイーンは単勝2.2倍の2番人気だった。
ゲートが開くとマックイーンは先行集団に、テイオーはその後ろにつけた。長距離は自分の庭と言わんばかりに、マックイーンは落ちついて追走。
大きな動きがあったのは、2周目の3コーナー付近。京都名物の坂を上り、下りに差し掛かるところでマックイーンが先頭に立つ。それまで逃げていた"同胞"のメジロパーマーを交わし、ペースを上げたのだ。
すると、それに応じるかのように、テイオーは長距離王者のすぐ後ろをついていった。軍配はどちらに上がるのか。場内はさらなる熱狂に包まれた。
だが、直線に入るとあっさり決着がついた。3000m以上走ってもなお加速するマックイーンに対し、テイオーは手応えがなくなり、2頭の差はみるみると開いていったのである。マックイーンの芦毛の馬体は、悠々と先頭でゴール板を駆け抜けた。片や、テイオーは5着に敗れた。
この距離では負けられない――そんなマックイーンの意地を見たレースだった。メジロ軍団が紡いできた血、その強さを2年連続で感じた瞬間である。
なお、この戦いの1年後、マックイーンは天皇賞・春の3連覇に挑むこととなる。達成すれば、やはりこちらも不滅の大記録。この馬の強さを持ってすれば、きっと実現できると思われていた。
ところが、その夢を打ち砕いた馬がいる。2歳下のライスシャワーだ。こちらも生粋の名ステイヤーであり、すばらしいレースを何度も披露していく。こうして、長距離巧者の系譜は次の時代へと受け継がれていったのである。