短期集中連載・第1回
中谷潤人×ティム・ウィザスプーン ㏌ フィラデルフィア
【元ヘビー級王者の自宅で振り返った中谷vs西田戦】
6月も半ばだというのに、フィラデルフィア国際空港を行き交う人々は、ダウンジャケットやコートに身を包んでいた。過去に当地を訪れた折、マイナス4度を経験したことがあるが、冬に戻ったかのような気分だ。
午前6時を回ったところだった。
「どうだ? 無事に着いたか。俺の愛車がちゃんと動けば、迎えに行ってやったんだが」
声の主は、元世界ヘビー級チャンピオンのティム・ウィザスプーン。ペンシルバニア州フィラデルフィアで生まれ育った彼は、現在、空港から北東に45キロの地、ベンサレムで15歳になる五女と暮らしている。
「こちらはいつでもOKだから、レンタカーを借りたら、すぐに俺の家に来いよ。ジュントが到着するまで、休んだらいい」
「お言葉に甘えます」
そう答えると私は、ベンサレムに向かって白いSUV車を走らせた。

現WBA/WBC/IBF/WBOスーパーバンタム級チャンピオンの井上尚弥が脚光を浴び出した頃から、私はティムにコメントをもらって記事を執筆する機会が増えた。1984年にWBC、1986年にWBAでヘビー級の世界王座に就いた彼の言葉は、いつも「なるほど」と唸らされた。昨今は、井上を追う中谷潤人に関しても論じてもらっている。いつしか、ティムの意見を聞いた中谷が、この元世界ヘビー級チャンプに興味を覚えるようになった。
ティムは常に、ディフェンスの重要性を説いた。
「どんなに攻撃力があっても、ボクサーはできる限り防御を磨かなきゃいけない。理想は、相手のパンチを1発ももらわないこと。不可能だと思うだろうが、目指さなければディフェンス力は向上しない」
そう繰り返した。この考えに、中谷が反応したのだ。
ティムがベンサレムで借りている2LDKのアパートを私がノックしたのは、この日の午前7時20分。再会の挨拶を済ませると、彼はノートパソコンの画面をこちらに向けた。6月8日に中谷が6ラウンド終了TKOで西田凌佑を下した一戦が流れていた。
「あらためて見た。ジュントはファーストラウンドから出たよな。格下を攻め落とすには、初回からガンガン攻めるのもアリだ。が、この相手ならいつものジュントのスタイルでも、間違いなくノックアウトできたね。
うなずくとティムは、画面を食い入るように見つめながら話した。
「ケガもあって、この闘い方にしたんだろうな。右アッパーの連打が光っているよ。相手は、苦し紛れのクリンチが多い。キャリアの差はいかんともし難いね。無敗の世界チャンプの統一戦と言っても、31戦目のジュントと11戦目のニシダじゃプロボクサーとしてのもまれ方が比較にならない。
ジュントが左の拳をかばいながらファイトしていたのなら、多少、大振りになってバランスが崩れる場面があっても仕方ない」
【井上尚弥とのメガ・ファイトで勝負の明暗を分けるのは?】
中谷は、マネージャーを務める2つ年下の弟・龍人と共に日本時間6月17日、午前10時40分発の便でアメリカに向かい、シカゴを経由して、ユナイテッド2182便で14時24分にフィラデルフィアに到着する予定だった。
「もうバンタムに敵はいない。ついに、"モンスター"ナオヤ・イノウエ戦だな。世界中が注目するメガ・ファイトだ。全勝で、複数の階級を制している名チャンピオン同士。2023年7月の4冠統一ウエルター級タイトルマッチ、テレンス・クロフォードvs.エロール・スペンス・ジュニア戦以来のビッグマッチだ。ワクワクするぜ」
ティムは、笑みを浮かべながら「本当に、そんなトップ選手が俺を訪ねて来るんだな」と言った。
「このアパートは、メキシコ、プエルトリコ、インド、ギニアの人なんかが生活している。みんな、気のいい隣人だ。でも、俺の住むH棟はゴキブリだらけ。別棟ではネズミが出るらしい。15の娘と暮らすには安全でいいが、可能なら直ぐにでも引っ越したいよ」
家賃は1600ドル。67歳の彼が毎月受給する年金も、同じ金額だった。
「息子も、彼のワイフもここに来たことは一度もない。寄りたくないんだろう。こうやって、お前が来てくれることがうれしいぜ」
ティムもこの日は起床が早かったので、少しソファで仮眠しようということになったが、互いに寝つけず、井上尚弥vs.ラモン・カルデナス戦の映像を見ることにした。
元世界ヘビー級チャンプは、2ラウンド終盤にカルデナスの左フックで井上がダウンするシーンを何度か巻き戻した。
「最初に目にした時は、イノウエが倒れたことに驚いた。
ただ、これだけは言える。ジュントは、ネリ、カルデナス以上に鋭いパンチを持っている。リーチも長いし、背もモンスターより高い。そのアドバンテージを、どう活かすかだ。そして、ディフェン力が明暗を分ける」
いつも陽気な彼が、険しい表情になってもう一度告げた。
「いいか。このメガ・ファイトはディフェンスで決まる」
【中谷がフィラデルフィア到着。ティム推薦の店で名物を食す】
その後、我々は13時15分にベンサレムを出発し、フィラデルフィア国際空港へ向かった。手荷物受取所のターンテーブルで「ここは寒いな」などと言い合いながら日本からの客人を待っていると、15時少し前に、黒いTシャツに、同色のハーフパンツという出立ちのWBC/IBFバンタム級チャンピオンが現れた。
すかさずティムが駆け寄り、「よう、チャンプ、よく来たな」と抱擁を交わす。

レンタカーに荷物を詰め込むと、バンタム級王者は空腹を訴えた。そこで、当地の名物である、フィリー・チーズ・ステーキを食べることにした。元ヘビー級チャンプが「最良」と推薦する店を目指した。
レンタカーのハンドルは私が握り、助手席にティム、その後ろに中谷、運転席の後ろには龍人が座った。ティムが好むのは、イタリアンマーケットの一角にある「パット」という店であった。
鉄板の上で薄いビーフを焼き、細かく刻む。それにオニオン、トマトと合わせてチーズで絡め、全長20cm強のバンズに挟む。"ステーキ"と呼んでいるが、サンドウィッチだ。全米各地に見られるメニューだが、本場ならではのボリュームだ。
10日前に試合を終えたばかりの中谷は、体重を気にせず、何でも好きな物が摂れた。ティムが、「ぜひ、味わってくれ」と語りかける。
中谷は豪快にかぶりつき、ペロッと平らげた。
フィラデルフィア名物であるチーズ・ステーキは、ホットドッグスタンドを経営していたパット・オリヴィエリとハリー・オリヴィエリ兄弟によって生み出された。1930年代、この兄弟は新しいサンドウィッチを生み出すことを決意し、こんがり焼き上げたロールパンに、グリルビーフと玉ねぎを挟んだ物を考案した。
とはいえ、当初、チーズは入っていなかった。同サンドウィッチが人気メニューとなったあと、1940年代にある支店長がプロヴォローネチーズを加え、チーズ・ステーキが誕生している。時の流れと共に、消費者のニーズに応える形でチキンやピザ味、辛いソースも作られた。

19世紀末から20世紀にかけて、フィラデルフィアへ移り住んだイタリア人の多くは、南部の農村出身で、社会的にも経済的にも恵まれない層だ。貧しきイタリアンがアメリカ合衆国に渡ってブルーカラーとなり、幾ばくかのカネを故郷に送った。移民として当地に居着いた彼らは、フィラデルフィア南部にコミュニティを築いた。
汗まみれで過酷な労働をこなす彼らには、腹持ちの良い食べ物が必要だった。フィリー・チーズ・ステーキは、打って付けの品だったのだ。
「俺はここから車で15分ほどの土地で成長した。イタリアンマーケットってのは、すべてがイタリアンマフィアの手で作られたんだぜ」
ティムは冗談とも思えない表情でそう口にすると、地元の名産品を食べ終えた。
(第2回につづく>>)