世界スーパーバンタム級統一王者の井上尚弥(大橋)は9月14日に愛知・IGアリーナで行なわれるムロジョン・アフマダリエフ(ウズベキスタン)との防衛戦を控えているが、次々戦の挑戦者候補として名前が上がっているのがアラン・ダビ・ピカソ(メキシコ)だ。
そんなピカソがラスベガスで7月に行なったノンタイトル戦は、お世辞にも井上の挑戦者としての技量に見合ったものではなかったが、大学で神経科学を学び、「ノーベル賞」とボクシングの「世界王座」を真剣に目指している。
少し気は早いが、このピカソとはどのようなボクサーなのか。現地で話を聞いた。
【「ボクシングを始めてから17年間ずっと待ち続けてきたもの」】
「イノウエの相手はちょっと荷が重いんじゃないのか?」
アラン・ダビ・ピカソ(メキシコ)vs.亀田京之介(TMK)の試合中、記者席の1列目に座った筆者に、何人かの現地記者がそう声をかけてきた。それは多くのファン、関係者に共通の感想でもあったに違いない。
現地時間7月19日、米国・ラスベガスのMGMグランドガーデン・アリーナで行なわれたスーパーバンタム級10回戦で、WBC同級1位にランクされるピカソは亀田に2-0(98-92、97-93、95-95)の判定勝ち。井上尚弥の近未来の対戦相手候補として注目される24歳の新鋭(試合の3日後・22日に25歳に)が、"世界前哨戦"をクリアした形にはなった。
本来であれば、井上が12月にサウジアラビアで予定する次々戦での挑戦に向けて強烈にアピールしたかったところ。ただ正直、この日のピカソのボクシングには、これからさらに大きな舞台に羽ばたいていこうとするものの勢いはまだ感じられなかった。
「(亀田は)思っていたよりも強かった。もっと楽な試合になると思っていた。彼は間違いなくすべてを出して挑んできた」
ピカソ自身もそう述べていたが、実際に中盤ごろまではほぼ互角の展開だった。7回以降、右とボディ打ちの精度を増したピカソの勝利自体は問題ないとしても、どちらかといえば米リングでも臆することなく打ち合いに臨んだ亀田の頑張りの方が目立った一戦でもあった。
「(世界タイトル戦は)7歳でボクシングを始めてから17年間ずっと待ち続けてきたことだ。
試合後、ピカソ自身は世界挑戦の実現をアピールし続けていたが、ご存じのとおり、この階級の4団体統一王者はいわずとしれた"モンスター"井上尚弥である。つまり、太刀打ちするためには世界最高級の技量が必要だということ。少なくとも現時点で、ピカソがその域に達していると考えたファン、関係者は、ほとんどいなかっただろう。
【「世界王者が最優先だけど、ノーベル賞を取るのも夢のひとつ」】

ピカソが井上の主要な対戦者候補になっていること自体は理解できる。メキシコの名門サンフェルプロモーションの傘下選手として、戦績はここまで32勝(17KO)1分と立派なもの。身長173cm、リーチは178cmとスーパーバンタム級にしてはサイズに恵まれており、インサイド、アウトサイドの両方で戦える多才さも備えている。
昨年8月、井上とのスパーリング経験もあるアザト・ホバニシャン(アルメニア)とのWBCシルバータイトル戦で完勝した経験もある。それに加え、メキシコでも最難関とされるUNAM(メキシコ国立自治大)に在学し、神経学を学んでいる知性派ボクサーというバックグラウンドも面白い。
「学士号(バチェラー)を12月下旬に卒業予定だ。ボクシングに貢献し、神経科学の視点から競技や選手たちをサポートできたらと思っている。
間近で見ると子どものようなベイビーフェイスであり、世界王者になれば人気者になりそうなポテンシャルを感じさせる。"世界王座"と"ノーベル賞"を狙う甘いマスクの秀才ボクサー。ほとんどボクシング漫画のキャラクターのようなプロフィールであり、サンフェルが大事に育てるのも納得がいく。
基本に忠実なボクシング自体も発展途上ではあるのだろう。まだかなり華奢だが、もう少し身体ができてくれば、メキシカン特有の左ボディを軸により筋金の入った戦い方ができるかのかもしれない。同国人のWBO世界フェザー級王者ラファエル・エスピノサが29歳で世界を獲ったような例もある。それと同じように、キャリアを重ねるにつれてたくしくなる可能性はある。
サンフェルがここでの井上戦をうかがっている背景には、すでに指名挑戦者になったという立ち位置ともに、年齢的にも伸び盛りのピカソのアップサイド(伸びしろ)への期待感があるに違いない。ピカソ本人も、予想外に苦しんだ亀田戦を糧にまだまだ成長できることを強調していた。
「ボクシングでも人生でも、学ぶべきことは常にある。この試合は間違いなく、自分にとって価値のある教訓を与えてくれた。
ただ......大舞台での開花を期待するにしても、よりによって井上が相手ではやはり厳しい。一時は井上が5月に行ったラスベガス戦の対戦相手としても最有力候補に挙げられながら、結局は陣営の意向で流れたのも今なら同意できてしまう。少なくとも現状では、まだテストマッチを何戦か重ねるのがベターな段階ではないか。
「井上を倒すための秘密なんてない。特別な秘密兵器があるわけじゃなくて、大事なのは学ぶことだ。学び続けて、成長する――それが自分の目指すところ。武器がないわけじゃない。特に長い距離での戦いや、ボディへの攻撃は井上にとって厄介なものになると思っている。あとは、それらの武器をどう磨いて、どう生かしていくかだ」
ピカソは、一刻も早く井上戦を実現させたい様子でそう語った。サンフェルはここで手塩にかけてきたプロスペクト(有望株)の世界戦にゴーサインを出すのかどうか。今では世界中の強豪から狙われる立場になった井上の陣営は、このメキシコの刺客の現在の力をどう見ているのか。そして、12月の試合がサウジアラビア開催であれば"リヤドシーズン"の主催者であるトゥルキ・アルシェイク長官の考えも大きく働くはずだけに、その意向も気にかかる。
9月にムロジョン・アフマダリエフとの防衛戦戦が控えている今、まだ少々気が早いのも事実。ただ、常に一歩、二歩先が注目されるのが最強王者の常である。"モンスター"の"年末のダンスパートナー探し"は、まだまだ波乱含みのものになりそうな予感が濃厚に漂い始めている。