短期集中連載・第5回
中谷潤人×ティム・ウィザスプーン ㏌ フィラデルフィア
(第4回:元世界ヘビー級王者と訪れたモハメド・アリのライバル「ジョー・フレージャー」像を前に「僕も、そんなレベルのチャンピオンになりたい」>>)
6月半ば、WBC/IBFバンタム級チャンピオンの中谷潤人は、束の間の休暇を利用してアメリカ・フィラデルフィアを訪れた。大ヒット映画『ロッキー』の舞台となった地で、WBA/WBCの元世界ヘビー級王者ティム・ウィザスプーンと出会った中谷は、何を感じたのか。
【ティムが中谷に「本格的にアメリカに進出するべきだ」】
「おおー、ド迫力だな! しっかり食べて、体を作らないと。もう、ナオヤ・イノウエ戦に向けた準備に入るんだからな。来年の5月なんて、あっという間にやってくるぜ。
俺は40年以上、牛肉も豚肉も食べない野菜中心の生活だ。その影響か、体調はすこぶるいいよ」
中谷潤人、龍人兄弟がオーダーした16オンス(約450グラム)のステーキを目にし、一瞬驚いたような表情を浮かべたティム・ウィザスプーンが語った。
WBC/IBFバンタム級チャンピオンは、翌日18時半発の便で日本に帰国する。4泊5日で訪問したフィラデルフィア最後の夜だった。2人のチャンピオンは肩を並べて談笑した。
おもむろに元ヘビー級王者が言った。
「チャンプ、本格的にアメリカに進出するべきだ。すぐにでも。そうしなければダメだ。本場でこそ、実力を正当に評価してもらえる。
中谷はアンガス牛を頬張りながら、ティムの言葉に耳を傾けていた。
「まぁ、俺はドン・キングに競走馬のように使われたが......。チャンプには、そんな思いは絶対にしてほしくない。自分を守るには、やっぱり納得できる契約が必要だ。契約書が大事だ。これもまた、"ディフェンス"さ」
笑顔を浮かべていた中谷だが、先輩王者の口調が強まったことを感じ、真剣な眼差しになる。そして、ポツリと口を開いた。
「ボクシング界の酸いも甘いも知っているティムの言葉だからこそ、スッと入ってきます。もちろん、僕もアメリカで勝負したい気持ちを強く持っています」
希望に溢れた40歳年下のチャンピオンの言葉を聞いたティムは、中谷と拳を突き合わせると話した。
「チャンプはきっと、自分の時代を築ける男だ。
中谷は応じた。
「そのアドバイスをプラスに捉えて、やっていきます」
【スーパーバンタム級のほうが「いい動きができる感覚がある」】
27歳のバンタム級2冠チャンピオンと、2歳下の弟は16オンスのステーキを、10分足らずでペロリと平らげた。食欲にも食べっぷりにも若さがほとばしる。

「登りゆく朝日のようなエネルギーだな。見ていて気持ちがいいし、羨ましさを覚えるよ」
そう言って、ティムは微笑んだ。フィラデルフィアで生まれた元世界ヘビー級チャンピオンより、12歳下の私も同感だった。プロで31連勝中の中谷だが、ここ数試合は自分を出し切っていない。己を搾り尽くさなくても、白星を挙げられるからだ。この伸びしろこそが魅力であり、さらなる成長を見せることは間違いない。
井上尚弥戦は現在のバンタム級リミットの118パウンド(53.524キロ)より、4パウンド(1.83キロ)重くなる。スーパーバンタム級に上げて4冠王者に挑むには、まず肉体をひと回り大きくしなければならない。
「そうですね。今のところバンタムのリミットを作ることに問題はありませんが、階級を上げたほうがいい動きができる感覚があります。どんな闘いになるか、自分でも楽しみです」
中谷は決して大言壮語はしないが、自分を信じきれている。それが伝わってきた。
「チャンプは本当にSky is the limit(可能性は無限)だぜ!」
ティムの言葉に、私と中谷は顔を見合わせた。中谷がWBOフライ級王座に就いていた頃、ある雑誌で彼の記事を書き、私はこの一文で締めくくった。以来、合言葉のようになっていたからだ。
元世界ヘビー級王者にそう告げると、「ほう、チャンプを象徴するフレーズなのか?」と質してきた。
「今は、Big Bangがニックネームになりました」と返すと、「おぉ、いいじゃないか、宇宙の始まり。爆発的膨張。
【フィラデルフィアの5日間で感じたこと】
早いもので、あの旅から1カ月が過ぎようとしている。中谷に、あらためてフィラデルフィアでの5日間を振り返ってもらった。
「ティムの人生経験を聞かせてもらって、それを自分の今後にも役立てていきたいな、と感じています。ディフェンスへの意識は、当然のように高くなりました。足の位置や肩の使い方など、何点かの助言はトライしています。『ボクシングは打たせちゃダメだ』という言葉が、耳に残っていますね。彼との出会いを、力に変えなければ。
フィラデルフィアは、あの階段やイタリアンマーケットなど、映画『ロッキー』で見た情景が、そのまま残っていて趣がありました。自然と歴史を感じる街ですね」
ロッキーが駆け上ったフィラデルフィア美術館前の階段には、毎年、世界中から400万人ほどの観光客が訪れる。そして、マーケット通りの5番街と6番街の間に飾られている「自由の鐘」も、年間100万人以上が訪問する。滞在中の3日目、中谷も10分ほど列に並び、手の届く距離で実際に鐘を目にした。

「ここからアメリカがスタートしたんだと、あの罅(ひび)が長い年月を訴えかけてくるかのようでした。15の頃からアメリカに触れ、プロボクサーとしての基礎だけでなく"今"を作った僕が、合衆国の第一歩という場所に立ててよかったな、と素直に感じました」
自由の鐘には、「国中に住むすべての人々に、自由を宣言せよ」なる言葉が刻まれている。奴隷制度廃止を求める者、女性の参政権を主張した者、そして公民権運動の指導者たちは、この一文から活力を得た。
1753年に造られた折には、「州議事堂の鐘」と呼ばれていた。1846年に罅(ひび)が入ったことで、独立記念館の集会室に展示される。同集会室は、1776年7月4日にイギリスからの独立が宣言され、その4日後に、公の場で初めて独立宣言が読み上げられた場所だ。この時、鐘が高らかに鳴らされたという説と、そんな証拠はないと対立する意見がある。やがて、鐘には2つ目の亀裂が入る。40箇所以上にドリルで穴を開け、修繕を試みるが失敗に終わった。とはいえ、その壊れ方が現在、鐘のシンボルとなっている。
中谷はフィラデルフィアの魅力を述べた。
「映画の舞台、ロッキー像、ジョー・フレージャーの銅像、自由の鐘、名物のフィリー・チーズ・ステーキ、そして、4日目にフィラデルフィア美術館のなかで見た作品の数々と、すべてに人間の歩みを感じました。

鐘もそうですし、ロッキーも、なぜフィラデルフィアで生まれたのかを感じ取ることができました。美術館では、緻密さの積み重ねが大きなアートになっている様を目にしました。アーティストたちがいかに努力しているか、どれだけコツコツやってきたかが作品を通じて見えましたね。
ボクシングと共通しています。例えば、ひとつのパンチをこのタイミングで打つ。ある角度から打つ。ステップのバランスが、ほんの少しでも崩れていたら相手に当たらないといった調子で、繊細さが求められます。それがだんだん大きくなって、コンビネーションやカウンターを打つこと、あるいは相手の攻撃をかわす動きなどに結びつきます。だからこそ、トップ選手はアーティストの域に達するんだと、美術館で再確認しました。
絵でも、ステンドグラスでも、陶器でも、見せ方はいろいろありますが、作者の思いや、心が篭(こも)ってひとつの形になっていく。ひとつひとつ作り手の情熱が注がれているからこそ、芸術になるんですね」

フィラデルフィア美術館には24万もの作品が展示され、倉庫にはさらに20万もの芸術が保管されている。中谷は数々の美術品を噛み締めるように見ながら、自分のボクシングについて想いを巡らせた。
「思いを形にしていくのがアートだと思います。たくさんの良質な作品を見られたからこそ、僕も自分について考えるきっかけを与えてもらいました。通じるものが、数えきれないほどあったんです。自分もアーティストのひとりとして、ボクシングを作品とし、多くの人に見てもらって感動してもらえたらいいな、と思いました。
同じ作品を前にしても、感じ方は十人十色ですよね。僕のパフォーマンスを見て、好きだって言ってくれる人もいれば、そうじゃない人もいます。もっともっと突き詰めて、自分のボクシングを完成させたい。KOにこだわるアーティストになりたい、とフィラデルフィアの5日間で更に決意が固まりました」
ティム・ウィザスプーンとの邂逅、アーティストへの道。中谷潤人の次章は、フィラデルフィアで始まったのかもしれない。