東海大相模・福田拓翔(3年)の投球練習を1球見た時点で、察するものがあった。
── やはり、戻りきらなかったか......。
福田は今年のドラフト上位候補と目された大器だった。ところが、今年3月に右ヒジ痛を発症。復帰後もパフォーマンスが上がらない状態が続いていた。
今夏、東海大相模は神奈川大会決勝戦まで勝ち上がった。エースの福田だけでなく、2番手左腕の島村宏斗までもが故障。それでも、変則左腕の菅野悠や強打線が奮戦し、甲子園まであと一歩に迫っていた。
【宿敵・横浜に3対11と大敗】
決勝の相手は宿敵・横浜。今夏に甲子園春夏連覇を目指すライバルは、ひと筋縄ではいかなかった。東海大相模は中村龍之介の3ランで先制したものの、先発した菅野が4回に逆転を許す。5回までに3対7と、ビハインドが広がっていた。
もう、これ以上は1点もやれない。そんな逆境で6回表のマウンドに立ったのが、背番号1をつけた福田だった。
ワインドアップの始動から、全身をバランスよく使う投球フォームは、以前と変わらないように見える。
福田は以前から、ストレートの質にこだわってきた。2年夏には、こう語っていたことがある。
「ストレートは、絶対に打たれたくないんです。力むと高めに抜けてしまうので、低めに強く、空振りがとれる球を投げたいと考えています」
しかし、1年後のいま、残酷な現実が広がっていた。福田の実力を知っている人間からすれば、「こんなものではない」と言いたくなる状況だろう。もちろん、一番もどかしい思いをしているのは、福田本人に違いない。
福田は黙々と投げ続けた。味方の好守にも助けられ、6回、7回の2イニングは三者凡退。しかし、本調子ではない投手を打ちあぐねるほど、横浜の打線は甘くなかった。
この時点で3対11。強力な横浜投手陣の実力を考えれば、絶望的と言っていい点差だった。
8回裏の東海大相模の攻撃が0点に終わった直後。真っ先にグラウンドへと飛び出していったのは、福田だった。
相変わらず、ストレートは130キロ台。それでも、4点を失ったことで吹っ切れたのだろうか。130キロ台のストレートは、横浜打線のバットを押し返すようになった。ストレート中心の配球で二死を取り、最後は横浜の8番・駒橋優樹を遊撃ゴロに抑える。福田は泰然と三塁側ベンチへと戻ってきた。
ベンチ前で出迎えた東海大相模の原俊介監督が、福田の左肩に手を置いて称えるようなアクションを見せる。結果的に、これが福田の高校最後のマウンドになった。
【もう少し時間があれば...】
勝利した横浜の選手たちが歓喜に包まれるのと対照的に、三塁側ベンチでは東海大相模の選手たちの慟哭が響いていた。
もし、福田が本来の姿を見せていれば......。
東海大相模を応援するファン、関係者の多くは、そう思ったのではないか。だが、当事者たちの受け止め方は違った。
表彰式が終わったあと、原監督は福田についてこんな感想を語っている。
「ケガでコンディションが低下することは、スポーツではあることなので。でも、ケガをする前も、した後も、どういうプロセスを踏むかが大事だと思います。彼にとってはいい経験になったでしょうし、私にとっても、夏に向かうまでの彼との時間は充実したものになりました」
そして、バッテリーを組む捕手の佐藤惇人(あつと)は、こう断言した。
「今、彼が持てる力を出しきってくれたと思います。チーム内に福田を責める人間はひとりもいません」
右ヒジを痛める前も、痛めた後も、福田はチームのエースとしてふるまってきた。その背中を見てきたからだろう。佐藤はこう続けた。
「ボール自体は、いい時のものには戻らなかったかもしれません。
さらに、佐藤は貴重な証言をしてくれた。福田の状態は、夏に向けて少しずつ上向いていたというのだ。
「自分は秋が終わったあとに捕手になったんですけど、その頃はストレートで空振りが取れていました。春にケガをした直後は、腕を振るのが怖かったのか、ストレートで空振りやファウルを取れなくなっていました。でも、だんだん腕が振れるようになってきて、今ではストレートで空振りやファウルを取れるようになっています。あとは出力面だけだったので、もう少し時間があれば......と思ってしまいます」
【最後のストレートはベストピッチ】
登板後のケアや検診を終え、報道陣の前に姿を現した福田に、まずは聞いてみた。今日のストレートの走りについて、どう感じているのかと。
「今日もスピードは出ていなかったですけど、目の前のバッターを打ち取ろうということだけに集中していました。変化球が多かったんですけど、最後の回は佐藤が真っすぐのサインをたくさん出してくれて。
ストレートの質を追求してきた人間が、質のいいストレートを投げられない。その苦しみは、想像を絶する。何度も悔しく、もどかしい思いをしてきたのではないか。そう尋ねると、福田は少し考えてからこう答えた。
「なかなか思っているボールとはほど遠くて、本当に正直『投げたくない』という期間もありました。でも、原先生とケガをしてからの2、3カ月、一緒にやってきたのが、自分のなかで本当に楽しくて。普段の生活から、人一倍厳しいことを言われてきましたけど、それは自分に対する期待と、『チームを変えろ』というメッセージだと受け取っていました。ケガをしたからこそ、いろんなことを考えられたと思いますし、原先生を絶対に胴上げしたいという思いがありました。この2、3カ月は、自分のなかでは充実していたと思います」
図らずも、選手からも監督からも「充実」というフレーズが口をついた。福田は故障から復帰するまで、苦しみに支配されたわけではなかった。
9回表に投げ込んだ130キロ台のストレートは、たしかに横浜打線に通用していた。
「佐藤からずっと真っすぐのサインが出ていたので、『最高のストレートを投げて、攻撃につなげよう』と思っていました。見ている人からしたら、スピードは物足りなかったと思うんですけど、最後のストレートはベストピッチだと思っています」
今後の進路を聞かれた福田は、「原先生や親と話し合って決めたい」と明言を避けている。今夏の投球内容を考えると、プロスカウトから高い評価を勝ち取るのは難しい。その一方で、佐藤が語ったように復調途上という事情もある。今後、福田は難しい選択を迫られることになりそうだ。
福田拓翔は、こんなものではない。おそらく、東海大相模に関係する人間のほとんどがそう感じているはずだ。そんな仲間たちに、次のステージでどんな姿を見せたいか。最後に尋ねると、福田はこう答えた。
「この3年間、みんなと本当に苦労して、助けられてきました。みんながいたから、今の自分がいると思っています。だからこそ、今まで以上にいいボールを見せて、もし見てもらう機会があったら絶対に抑えてやろう。いいピッチングをしていきたいと思っています」
福田の高校野球は終わった。だが、その野球人生まで終わったわけではない。いずれ近い将来、福田のストレートは復活する。東海大相模のメンバーはみな、そう信じているはずだ。










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