MABP、初のトラックシーズン総括(後編)
>>>前編「選手兼監督としてニューイヤー駅伝出場を目指す神野大地が直面した厳しい現実『今のままじゃ勝てない』」を読む。
【実業団では3度の移籍を経験】
7月19日、ホクレンディスタンスチャレンジ第5戦・網走大会、5000mC組に出走したMABPマーヴェリックの鬼塚翔太(27歳)は先頭集団に入って、積極的にレースを進めた。
ラスト400mでは3番手だったが、バックストレートから切り替え、一気に前を行く菊地駿介(NTN)をとらえると、そのままスピードを維持してゴール。
「タイム的にはペースライトの13分45秒に合わせていきたかったんですけど、思いのほかコンディションが悪くて、直前に組トップを取ることに目標を変更して走りました。前半からきつい状況になったんですけど、最後、『ラスト300mからいくぞ』と(指導を受ける)荒井(七海)(Honda)さんに言われて。自信もあったので、しっかり上げきることができてよかったです」
組トップの花束を手にした鬼塚は小さな笑みを浮かべ、そう言った。ここ数年間、レースで結果を出せずに苦しんでいたが、最近のレースでは安定した結果を残している。鬼塚は、どのように自分の走りを取り戻したのだろうか――。
鬼塚は東海大時代、チームの主力選手として活躍した。大学2年時には5000mで13分38秒58、10000mでは28分17秒52の自己ベストをマーク。箱根駅伝でも、大学3年時に1区6位でチームの総合初優勝に貢献するなど4年連続出場を果たした。きれいなフォームから生み出されるトップスピードが魅力で、卒業後も実業団ですばらしい走りを見せてくれるだろうと期待されていた。
だが、なかなか結果を出せず、3度の移籍(DeNA→NTT西日本→メイクス)を経験して、昨年7月、立ち上がったばかりの実業団チーム、MABPに加入した。同チームの神野大地プレイングマネージャー(選手兼監督)は昨年の鬼塚を振り返り、こう語る。
「昨年、ホクレン北見大会で鬼塚に帯同したんです。悪くない気象コンディションだったのですが、14分16秒かかり、本人は絶望したかのような表情をしていました。実は、鬼塚が加入したことがオープンになったあと、『なんで鬼塚を獲ったの?』と言われたこともありました。でも、僕は彼と話をして、競技に対してすごく真面目であることを感じて、能力については疑っていなかったので迷いはなかったです。
ただ、結果が出ないと、考えすぎてしまうタイプなのかなとも感じました。僕もそうなんですけど、そういう選手はちょっとしたボタンのかけ違いでそうなってしまう。でも、自信を持てるきっかけさえつかめば、一気に調子を上げてくると思っていたので、僕は心配していませんでした」
【試合に出るとかそういうレベルじゃなかった】

鬼塚は、昨年から母校の東海大を拠点に練習をしている。東海大の先輩である荒井七海が選手兼任コーチとして、今年の日本選手権1500mで優勝した飯澤千翔(住友電工)を指導しており、鬼塚も先輩の指導を受け、自分の走りを取り戻す覚悟を決めた。
荒井はその時のことをこう振り返る。
「昨年の夏から鬼塚を見ることになり、最初に合宿を行なったのですが、試合に出るとかそういうレベルじゃなかった。今のままいっても厳しいなと思ったので、2カ月半ぐらい休ませ、そのうち2、3週間はノーラン。グラウンドに来なくてよいと伝えました。
そうしたのは、それまでいろんなところを転々として一貫性のあるトレーニングができていなかったからです。
荒井は、鬼塚を「すごい選手」という目線で見るのをやめた。ただ足が速くなりたいと願う学生と同じ目線で見て、練習も学生と一緒にさせた。
「ハードルをかなり下げて練習させました。でも、それがよかったかなと思います。落ちるところまで落ちて、そこからはい上がろうとした時のエネルギーは本人の内側からしか発せられない。鬼塚は練習に必死にくらいついてきた。その根性はすごいなと思いました」
練習をスタートさせた後、荒井は"狙い"について鬼塚と話をした。
「鬼塚のキャリアのビジョンについて話をするなかで、どこにいきたいのかを確認をしました。5000mの自己ベストは大学2年の時に出したもので、さすがに賞味期限切れだから、まずはそこを更新していこう。じゃないと、次のステップには進めない。本人もそのことを理解してくれたので狙いは合致しました。
今回、網走では組トップで走りましたけど、もうちょっと早く戻ってくれるかなと思っていました。そこは僕がうまく持ってこれなかったけど、完全に復活したら何かおごってもらおうかな(笑)」
鬼塚も最初はきつかったと苦笑する。
「昨年の8月に湯の丸(長野県東御市)で合宿をやったんですけど、かなりオーバーワークな感じで、後半は荒井さんのスピードも上がって、練習メニューを全然消化できなかったんです。特にトップスピードが落ちて、以前との差をかなり感じていました。練習ができないですし、疲労もかなりあったので、練習で走るのをいったんストップしました。11月はほぼジョグだけで、本格的にワークアウトを始めたのは12月でした」
本格的な練習に入ると、5000mのターゲットタイムよりもワンランク上のペースで走り、800mを飯澤と一緒に走ることでトップスピードを磨いた。200mや300mの解糖系のスピードトレーニングはついていけないこともあったが、最終的には400mを全力で走る際、50秒前後のスピードで走れるようになった。
「そのくらいのスピードが戻ると、5000mに対してのスピードの余裕度がかなり出てきたので、いけるかなって思いましたね。荒井さんは練習メニューだけではなく、言語化がすごくて、このメニューはこういう意図があるというのを毎回、LINEで伝えてくれますし、一緒に練習する時は口頭で伝えてくれるんです。陸上の知識としても蓄積されているので、ためになります」
今年3月の日体大記録会では5000mに出場し、13分59秒29をマークした。レース後、荒井には「もっといけるだろう。俺の見立てと1カ月ぐらいのタイムラグがある」と言われたが、その後も全力で練習に取り組んだ。
4月からはメニューをもらって練習を継続したが、単独でもかなりいい練習ができて自信がついた。6月1日の日体大記録会5000mで13分50秒18、6月15日の日体大記録会5000mで13分56秒29を出して、いずれも組で日本人トップとなり、走れる感覚をつかんだ。
「タイムはまだまだですが、納得のいくレース展開だったり、日本人トップを取れてひとつ結果が出たので、このまま継続していけばもっと上に行けるという自信がつきました」
【駅伝を走るのはひさしぶりなので楽しみ】
今回の網走大会では、気候コンディションがよければ自己ベスト更新を狙っていた。そのための準備にも余念がなかった。事前に湯ノ丸で合宿をこなして、レースの2日前に北海道に移動してきた。
神野は、鬼塚の競技に対する姿勢の変化を感じたという。
「昨年は記録会にエントリーする際、鬼塚はいつも、『最終組(最もレベルの高い組)でチャレンジしたい』と言ってきました。ただ、レースの結果や状態的には少し組を落としてもいいんじゃないかという話をしたんですが、鬼塚は『上の組でやりたい』と言い続けていたんです。でも、日体大記録会では現状に即した組を希望して、3レース連続で組上位という結果を残した。
荒井君のアドバイスもあったのかもしれませんが、客観的に自分を見て、再現性の高い走りができるようになってきていると思います。生活面でもカフェイン抜きをするなど気を遣っていましたし、レースに対する意識の高さ、覚悟が見えました。そうして今回、結果を出してくれました。
鬼塚が戻ってきたことは、MABPにとって非常に大きい。4名いる新卒メンバーは山平怜生以外、まだよさを発揮できておらず、キャプテンの木付琳も上げきれていない。実績のある堀尾謙介も故障明けで、これから上げていくことになる。鬼塚の走りはチームへのいい刺激になっている。
鬼塚はチームの現状について、こう語る。
「網走での走りを見た感じだと、駅伝で予選(ニューイヤー駅伝の予選を兼ねる東日本実業団駅伝)を突破するのは、まだちょっと厳しいと思っています。ただ、勝負はこれからですし、個々が自分の力を発揮できれば、そんなに難しいことではないと思っています。自分は、駅伝を走るのはひさしぶりなので、楽しみなところがあります。その前に大学2年時に出した10000mの自己ベスト更新をしたいですね。荒井さんからは『(その記録)もう、カビが生えてるな』と言われているので(苦笑)」
トラックシーズンを終え、鬼塚は70%ぐらいまで調子が上がってきているという。網走では、その数字だけでは計れない根性の走りを見せてくれた。「復活だね」と声をかけると、鬼塚は「復活という言葉が好きじゃないんです」と言って、こう続けた。
「進化ですかね」
どんな状況であっても、自分を信じ、前に進む覚悟を持って歩んできた鬼塚らしい言葉だった。