日本人初のNFL選手を目指す元アマ横綱
花田秀虎インタビュー(前編)

 2022年、日本体育大学在学中に「アマチュア横綱」に輝いた花田秀虎が角界を離れ、アメリカンフットボールの世界最高峰「NFL」を目指すという報には、関係者全員が驚かされた。

 アメフトの競技経験はまったくなし。

しかし2023年、NCAAディビジョン1に所属するコロラド州立大学へ編入し、夢を追ってアメリカに渡った。

 あれから2シーズン。相撲で培った技量を土台に、花田は本場アメフトの環境でもまれてきた。明るく屈託のない性格だが、さまざまな苦しみも味わってきたという。23歳になった現在、彼のなかで「NFLとの距離感」はどう変化しているのか。単独インタビューで思いを聞いた。

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元アマ横綱・花田秀虎のNFL挑戦2年目でわかったこと「ドラフ...の画像はこちら >>
── アメフト未経験だった花田選手は2023年に日体大からコロラド州立大へ編入し、アメリカで2シーズンを過ごしてきました。レッドシャツ(練習には参加できるが試合には出場できない。ただし大学でプレーできる年数は減らない)扱いだった編入1年目はいかがでしたか。

「コロラド州立大は僕にとって最初のアメフトチームなので、すぐ試合に出たかったです。だけど、言語はわからないし、食文化も違うし、気候も違うし......。渡米当初はもう、本当に生きることで精一杯。

思い出したくないくらい、きつかったです。

 かなりの覚悟を持って(アメフトの世界に)飛び込んだんですけど、想像していた何十倍も大変でした。

 サマーキャンプから参加したのですが、コロラドはロッキー山脈の中部付近なので空気が薄くて、動くとすぐに呼吸が苦しくなって、ほんとにきつかったです。こんなにも違う世界で、しかもアメリカで一番人気のアメフトをやっている連中を見て、『ここでやっていけるのか......』と」

【「相撲でぶち抜いてこい!」】

── 2023シーズンはレッドシャツ扱いだったとはいえ、守備の最前線を担うディフェンスラインの選手として2試合に出場しています(特例で最大4試合まで出場可能)。これはどういう経緯だったのですか?

「最初に出場したのは、『エアフォース』という空軍(士官学校)との試合でした。オフェンスラインは通常ツーポジションといって、腰を屈めて立った状態からプレーを始めるんですけど、エアフォースは昔ながらのラン中心の戦術なので、オフェンスラインはフォースタンス(手足の4点を地面につけた低い体勢)なんです。

 だからスタートはディフェンスラインと真っ向からのぶつかり合いで、それがほぼ相撲の立ち合いと同じなんですよね。それで僕が起用されることになったんです。戦術的な理由が僕のスタイルとドンピシャだった。『相撲でぶち抜いてこい!』って言われて出場しました」

── 出場すると決まった時に、どのような心境でしたか?

「『ヨッシャ!』って感じでしたね。エアフォースとの試合は10月の中旬くらいだったんですけど、その頃はちょっとずつアメリカの環境にも慣れてきて、やっと周りが見えてきていたので、『やっと(出番が)来たか!』という感じでした」

── その試合では、まさかの雪が降りました。滅多にないデビュー戦ですよね。

「だから、昨日のことのように思い出せるんです。

フィールドに入る瞬間に空を見上げたら、雪がブワーッと降り出して、それがめっちゃきれいだったんですよね。そんな雰囲気のなかで大観衆の見守るフィールドに入っていけたのは、本当に最高でした」

── その次のワイオミング大との試合にも出場しています。同じく戦術的な理由ですか?

「ワイオミング戦は、エアフォースでの出来がよかった(タックルを3つ記録)ので使ってもらえたんです。だけど、ケガを負っていた右ひじをその試合でまた壊してしまって......。トレーナーに『プレーはやめておけ』と言われてしまい、それから出場機会が取れなくなってしまった。もったいなかったなと思います」

【あのレベルはちょっと...異常】

── そして翌2024年シーズンは、出場自体がありませんでした。

「右肩を脱臼してしまったんです。開幕前までは本当に調子がよくて、そのシーズンはバンバン出て活躍するつもりでいたんですけど、初戦のテキサス大(前年度全米ランキング4位)との試合の1週間前に肩を脱臼してしまって......。その瞬間、試合に出られないどころか『今シーズンはもうダメだ』ってなっちゃったんですよね」

── かなり失望されたと思います。

「めちゃめちゃ落ち込みました。あの時はきつかったなぁ」

── 相手が超強豪のテキサス大ですし。

「そこで活躍できていれば、注目されていたと思います。その試合はけっこう楽しみにしていたんですけどね」

── コロラド州立大で2シーズンを過ごし、目指すNFLとの距離感はどうですか?

「やっぱり、NFLはとんでもない世界だと感じました。

あのレベルはちょっと......異常ですね。アメリカに行ってみて『俺はとんでもないことに挑戦したんだ』っていうのを、より身に染みて感じました」

──「NFLがとんでもない世界だと感じた」部分を、もう少し具体的に話してもらえますか。

「ケガをしてしまったのですが、テキサス大戦には連れていってもらえたんです。試合を間近で見て、その試合には、その後ドラフトされて現在NFLで活躍している選手たちがプレーしていました。

 彼らのスピード感、俊敏性......見たことのないような動きをするんです。そしてプレーの完成度が......僕がいるコロラド州立大もけっこうレベルは高いんですが、彼らのレベルはケタ違いという印象でした」

── NFL選手になるための道のりを山登りで例えるなら、今は何合目まで来ていますか?

「本当に狭き門なので......山で例えるのは難しいですね。どうだろうな......『不思議の国のアリス』で、アリスが白うさぎを追って穴に落ちた先で見つけた本当に小さな扉に、僕が入っていく感じですかね......」

【24歳になるので今年が勝負】

── アメリカに渡って現実を見たことで、気持ちは萎えてしまわなかったですか。

「それはなかったです。自分がプレーをする環境のスタンダードを上げれば、自分のレベルも自然に上がっていく。NFLに入りさえすればNFLのスタンダードになれると思っているので、そこはあんまり考えを変えていないです」

── 入ってしまえば、そのレベルに合うようになってくると。

「そうなんです。その環境にとりあえず入っちゃえば、自分の基準も上がってくる感覚ですね」

── そのNFLに入るためのロードマップは、どのように描いているのでしょうか。

「NFLにはインターナショナルプレーヤー・パスウェイプログラム(IPP/NFLの国際化戦略の一環でグローバルに選手を育成するシステム)というものがあります。

アメリカ人やカナダ人以外の才能ある選手を発掘するプログラムで、僕もそこに賭けようと思っています。

 僕ももうすぐ24歳になります。ケガのリスクもあるので、今シーズンはもう試合には出場せずにトレーニングをガンガンやってフィジカルを上げて、そのプログラムに賭けるつもりです」

── コロラド州立大のチームに在籍しながら、ですか?

「選手としての登録からは外れて、今はアシスタントコーチという立場になりました。スチューデント・インターンみたいな感じですね。ヘッドコーチと相談して、アシスタントをしながらアメフトのIQを上げて、自分でトレーニングを続けているんです」

── 今シーズンはプレーをしないことに驚きました。

「本来なら今シーズンはカレッジでプレーして、来年か再来年のIPPに臨むのでしょうが、NFLにフォーカスして年齢的な面を考えると、今年勝負を賭けたほうがいいと思いました」

── SNSを拝見していると、立命館大学などの練習にも加わっていましたね。それもトレーニングの一環ですか?

「そうですね。日体大や立命館大などいろんなところで練習場所をお借りして、アメフトの基礎練習を続けています」

【久々の相撲を取って...全然いける】

── 古巣の日体大では相撲部の練習にも参加されていましたね。

「はい、参加させていただきました」

── あれはなぜ?

「コンタクト練習の一環です。アメリカだとデカくて強い人が多くいるので、コンタクト系の練習には事欠かないんですけど、日本だとそうもいかないので、母校である日体大相撲部の練習に参加させていただきました」

── とはいえ、まわしを締めるのは久々だったのでは?

「久々ですね......。でも、日本に帰ってきた時は相撲場で、四股、すり足くらいはやるんで。稽古では久々に相撲を取りましたけど、まだ全然いけるな、みたいな(笑)」

(つづく)

◆花田秀虎・後編>>「大の里関のポテンシャルは当時から最強」


【profile】
花田秀虎(はなだ・ひでとら)
2001年10月30日生まれ、和歌山県和歌山市出身。

小学2年時から相撲を始める。和歌山商高では1年時に全国高校選抜大会・個人戦で優勝。2年・3年時には世界ジュニア選手権の無差別級で2連覇を果たす。日体大に進学後の2020年、全日本相撲選手権で優勝して「アマチュア横綱」となる。大学1年での優勝は1984年の久嶋啓太(元・久島海)以来36年ぶりふたり目。日本人初NFLプレーヤーとなるべく、現在は日体大を休学してコロラド州立大でプレーしている。185cm、130kg。

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