ヒロド歩美さん インタビュー
『熱闘甲子園』(テレビ朝日系)のキャスターとしてお馴染みのフリーアナウンサー、ヒロド歩美さん。スポーツの最前線を伝え続ける彼女の原点は、小学生時代の「ヨット」と、中学校・高校時代の「バレーボール」にもあった。
【「気づいたら入部していた」ヨットとの出会い】
ーーヒロドさんといえばスポーツ、そして高校野球のイメージが強いですが、ご自身のスポーツの原点は小学生の時に始められたヨットだったと伺いました。
ヒロド歩美(以下同) そうなんです。ただ、私の場合、自分で「やりたい」と言ったわけではなくて。ある日、親に連れられて出かけて、車から降りた場所がヨット教室だったんです。兵庫の「新西宮ヨットハーバー」のジュニアヨットクラブに気づいたら入部していて、毎週日曜日に練習に行くのが当たり前になっていました。本当にそんな始まり方だったんですよ。
今思うと、自分で興味を持って「これをやりたい」と選択している今の中高生は本当にすごいなと。私は幸運にもヨットという世界に導いてもらった、という感覚でしたね。
ーーヨットは体重も重要だと聞きます。当時は小柄だったそうですが、競技にはすぐ馴染めたのでしょうか。
いえ、全然向いていなかったと思います。
午前中に練習して一度陸に上がり、お昼ご飯を食べて、また午後の練習に出るというサイクルですが、夏は日が長い分、練習時間も本当に長くて。どんなスポーツでもそうだと思いますが、しっかり食べないと体づくりができないし、戦えない。だから「食べなさい」と。体重を増やして体をどっしりさせる必要があったので、泣きながらおにぎりを食べていました。
それでも、結果がついてくると「もっともっと」と思えるのが私の単純なところ。あれよあれよという間に、小学6年の時にはジュニアチャンピオンになることができました。
【全日本選手権を目前に断念も「ほっとした」】
ーー全日本選手権の出場枠も獲得されたそうですが、大会には出場されなかったとか。
それが中学2年の時だったのですが、当時通っていた学校の規定で、(平日開催の)大会出場のための公欠が認められなかったんです。(活動を認めている学校に転校して)ヨットを続けるか、い今の学校生活を選ぶか、という選択を迫られて私は学校を選びました。
ーーその決断をした時、悔しい思いはありましたか?
もちろんありました。すぐ身近にオリンピックを目指している子もいて、その子が世界大会でエクアドルに行った話などを聞いていたので、ミーハーな気持ちもありましたが、自分も頑張れば世界に行けるのかな、なんて漠然と思っていたんです。
だから「全日本に出られないのか......」というショックはありました。でも正直に言うと、どこかでほっとした自分もいたんです。練習が本当にしんどかったので。
ーー具体的には、どんな練習を?
ヨットは自然が相手なので、とにかく過酷なんです。とくに強風の時は、マストが顔に当たれば大ケガにつながりますし、実際に亡くなる方もいるくらい危険。ヘルメットも被りませんから。冬は寒いなかでウエットスーツを着て海に出るので、手はかじかむし、トイレも大変。レース中はおむつをしていたこともあるくらいです。優雅で快適そうなイメージを持たれがちですけど、まったくそんなことはなくて。今思えば、よくやっていたなと思います。
ただ振り返ると、もっとやれたこともあったんじゃないかとも思うんです。中学2年って言われたことをやるだけでなく、「こうしたらもっと伸びるんじゃないか」って自分で考え始める一番大事な時期ですよね。
私はそのタイミングでやめてしまった。練習がしんどかったのは事実ですけど、今の自分から見て「あの時、本当の意味でヨットに向き合えていたか」と問われると、少し自信がないんです。
ーーそれでも打ち込めた、ヨットの魅力とは何だったのでしょうか。
自然と対話できる感覚、というのは本当にそうです。それに、ゴールする方法がひとつではないところ。風を読んで最短ルートを狙うか、風がある場所に遠回りしてでも進むか。その駆け引きが本当に面白くて、「急がば回れ」という言葉の意味を体で学びました。今でも海を見ると「あそこは風があるな」なんて、風の通り道が自然と見えたりします。

【個人競技で培った「強さ」と「覚悟」】
ーー過酷なヨット経験が、今のお仕事に生きていると感じることはありますか?
高校球児もプロの方々も、想像を絶する努力やプレッシャーのなかで戦っているので、私の経験を重ねて「気持ちがわかる」なんてことは一生ないですし、言えないです。
ただ、精神的にすごくタフになったのは間違いありません。ジュニアのヨットレースは男女の区別がなかったので、常に男子とも競い合っていたんです。
自分のなかではビクビクしていても、周りの方から「肝が据わっているね」と言われることがあるんですが、それもヨットのおかげかなと。一歩間違えば命に関わるスポーツでしたから。
ーー今まさに高校野球の取材で全国を飛び回り、猛暑のなかでの取材など、体力的なタフさもその頃に培われたのでしょうか。
たしかに屋外での取材は全然苦にならないです。むしろひなたにいたがるくらいで(笑)。ヨットをやっていた当時はまったく日焼け対策をしていなくて、腕時計の跡がくっきりついてすごかったですね。
当時から、唐津(佐賀)や浜名湖(静岡)、琵琶湖(滋賀)など全国を遠征して回っていたので、フットワークの軽さもその頃から培われたものなのかもしれません。
【頑張ることがダサいなんて思わないで】
ーーヨットをやめられたあとは、バレーボール部に入られたそうですね。個人競技からチームスポーツへ、大きな転換だったのでは。
ヨットは個人競技だったので、チームで戦うことにすごく憧れがありました。ただ、部活動にそこまで力を入れている学校ではなかったので、入部したバレーボール部も厳しいものではなかったです。
ーー個人競技と団体競技の両方を経験され、さらに現在は高校野球をはじめとする多くのスポーツ現場を取材されています。そのヒロドさんから見た「部活動の魅力」とは何でしょうか。最後に、今、部活に励む若者たちへエールをお願いします。
高校野球がなぜあれだけ多くの人を熱狂させるのか。それは、球児たちの「泥臭さ」が、見る人の心を震わせるからだと思うんです。全力でベースに走ってスライディングしたり、カメラ席に飛び込んでまでボールを捕ったり。そういうひたむきな姿って、理屈抜きでカッコいいじゃないですか。それは高校野球に限らず、サッカーでも他の競技でも同じだと思います。
だから今、部活を頑張っているみなさんは、「頑張ることがダサい」とは思わないでほしいなと心から願っています。周りの目が気になったり、そう感じてしまったりする気持ちは、私にも覚えがあります。でも、何かに一生懸命打ち込む姿は、本当に尊くて美しい。

<プロフィール>
ヒロド歩美 ひろど・あゆみ/1991年10月25日生まれ。兵庫県宝塚市出身。早稲田大学国際教養学部卒業後、2014年に朝日放送テレビ(ABCテレビ)入社。2016年に『熱闘甲子園』のキャスターに就任。その後は『サンデーLIVE!!』『芸能界常識チェック!~トリニクって何の肉!?~』『芸能人格付けチェック』などに出演。2023年からフリーとなり、現在まで『報道ステーション』のスポーツキャスターを務めている。