Jリーグ創設前は日産自動車サッカー部として、以降はマリノスとして日本サッカー界をリードしてきた横浜F・マリノス。そんな名門が今季はながらく降格圏に沈み、一時は最下位にも。
西野努スポーティングダイレクター(SD)はその壇上で、自らが選任した指揮官の進退について問われると、「アタッキングフットボールの体現には、まだ程遠いところにいる」と認めつつも、即座の解任については否定した。
「言葉に対して力がなくなったら終わりだと思っています。監督の言葉に誰も反応しなくなったら、もう終わりなんですよね。なので、そういった時が来たら仕方ないと思いますけど、今はまだ全然そういう状況だとは思っていない。みんなが少しずつ努力することでチームが良くなっていくと思っているので、そこは強調して伝えたいですね」
だが、すでに求心力は失われていた。ホーランド監督はチェルシーやイングランド代表での実績、経験について雄弁に語ったが、状況を改善するための具体策が一向に出てこない。それでも試合は待ってくれず、プレーすればするだけ状況は悪化していく。チーム内の信頼関係にヒビが入り始め、練習にも重苦しい雰囲気が漂い始めていた。
もともとホーランド監督に関しては、"監督"としての経験不足が懸念材料として指摘されていた。結果的にそれが最大の弱点であったことは明白で、西野SDも「今年最初のプロジェクトのひとつの失敗と認めざるをえない」と話している。
確かに経歴は華やかだ。チェルシー時代にはフース・ヒディンクやジョゼ・モウリーニョ、アントニオ・コンテら錚々たる名将の右腕を務め、プレミアリーグやUEFAチャンピオンズリーグでの優勝経験もある。だが、どれだけ深く関わっていようと最終決裁者は常に"監督"であり、"アシスタントコーチ"ではない。ホーランド監督には重要な決断を下した経験が圧倒的に不足していて、それはマリノスの監督としてチームを導くにあたって極めて大きな障害になっていた。
アンデルソン・ロペスがチームを批判
さらに言えば、マリノスの監督就任が内定してからの数カ月にわたってJリーグの試合を分析しながらプランを練っていたにもかかわらず、日本サッカーの特徴やトレンドを完全に読み違えていた。報道陣に対して「Jリーグには、ダイレクトなサッカーをしてくるチームが想定より多かった。もっとパスを繋ぐ、"ジャパニーズ・ティキ・タカ"が見られると思っていたのだが......」と漏らしたこともある。
そうした認識の誤りを、西野SDら周囲のスタッフの働きかけで軌道修正できたのではないかという指摘はもっともだが、チームにおける最終決裁者が監督である以上、全てが聞き入れられるとも限らない。
プレシーズンで積み上げてきたものがあったはずなのに3バックの導入をあっさり諦めた判断に始まり、一部の選手に負担が偏る選手起用や、個々の特徴に沿わない要求など、優柔不断ぶりが目立ち、ホーランド監督は徐々に信頼を失っていった。
ただ、監督交代ですぐに状況が好転したわけではない。キスノーボコーチが暫定的に指揮を執った4月20日のJ1第11節浦和レッズ戦は1-3の完敗。
「4カ月間、何も変わらなかった。監督は代わっても、やり方は変わっておらず、同じ戦術を続けている。前線のブラジル人たちを同時に使うこともなかった。まだ苦しい状況は続くし、やり方を変えずにこのままサウジアラビアに行ったら恥をかくと思う。ズルズルといったら、リーグでも降格してしまう」
それまでも際どい発言は何度かあったが、副キャプテンも任されている選手が采配を公然と批判したことは、クラブ内で大きな問題に発展した。浦和戦後にはすぐACLEファイナルズを戦うためサウジアラビアへ飛ぶ予定になっていたが、クラブ関係者によれば「恥をかく」など一連のコメントがクラブ内部で問題視され、ロペスを遠征に帯同させるべきではないという意見もあったという。
最終的には出国前に西野SDとロペスが面談し、言動に対して厳重注意をしたうえでサウジアラビア遠征に帯同させることに。10番を背負うエースストライカーはアル・ナスルとのACLE準々決勝でベンチスタートとなり、後半開始から出場してアシストを記録したが、マリノスは1-4で敗北。悲願のアジア制覇に向けた道は、あっけなく途切れてしまった。
クラブ史上初、1シーズンに二度目の監督交代
チーム内に不協和音が鳴り響くなかで、監督交代直後には選手や現場スタッフだけでなく強化部スタッフも全員が参加したミーティングが開かれた。そのなかで、ある選手が「同じようなシチュエーションでの失敗を何度も繰り返して、それが何試合もやってきてまったく改善されないのは、どう考えてもおかしい」と声を上げた。
今季に入ってから出場機会に恵まれない選手のひとりではあったが、自らの立場に不満があるのではなく、心からチームのことを思っての行動だった。本来ならミーティングの内容などは表に出るものではないが、その選手は「明らかに改善されていないものを提示し続けるのは、僕は違うと思ったので」と筆者に打ち明けてくれた。6月上旬のある日の練習後のことだ。
ACLEファイナルズから戻った後も、状況は好転しない。暫定指揮官だったキスノーボコーチは監督に昇格したものの、監督交代の前後で公式戦8連敗と負の連鎖を断ち切れずにいた。浦和に敗れたことでマリノスは最下位に転落し、残留圏内の17位との勝ち点差はどんどん開いていく。
相変わらず攻撃は不発で、ACLEファイナルズ後のリーグ戦3試合は無得点6失点での3連敗。チーム状態がどん底まで沈み込むなか、キスノーボ監督は5月21日のJ1第13節延期分・ヴィッセル神戸戦でスタイルの転換を図った。
システムこそ同じだが、それまでとは異なり、前線から激しくプレッシャーをかけて、ボールを奪えばロングボールも多用して、効果的な速攻を披露。マリノスは1-2で敗れたものの、縦方向にダイレクトなサッカーを持ち味とする神戸と真正面からやり合い、多くのチャンスを作ったことで改善への確かな手応えを得た。キスノーボ監督も「今夜は今シーズンのベストゲームができた」と満足げだった。
その後、同じアプローチで戦ったJ1第18節の鹿島アントラーズ戦、同19節のFC町田ゼルビア戦で今季初のリーグ戦連勝を達成。
だが、現実はそう甘くはなかった。6月11日に行なわれた天皇杯2回戦で3カテゴリー下のラインメール青森に内容乏しく0-2で敗れると、再び歯車が狂い始める。そして、続く6月15日のJ1第20節アルビレックス新潟戦を0-1で落とした直後、キスノーボ監督は職を解かれた。
シーズン中に2度目の監督交代というのは、一度も降格を経験していないマリノスにとって前代未聞の事態。最下位から抜け出せぬまま約2カ月が経過し、一体これからどうなっていくのかと不安ばかりが募っていく。
「マリノス、大丈夫?」という問いにも、「大丈夫じゃないから......とも言っていられないくらいやばい」としか答えられなくなっていた。
(つづく)
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