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MLBのサムライたち~大谷翔平につながる道
連載03:マック鈴木

届かぬ世界と思われていたメジャーリーグに飛び込み、既成概念を打ち破ってきたサムライたち。果敢なチャレンジの軌跡は今もなお、脈々と受け継がれている。

MLBの歴史に確かな足跡を残した日本人メジャーリーガーを綴る今連載。第3回は、日本プロ野球界を経由しない初めての日本人メジャーリーガーとなったマック鈴木を紹介する。

【『投げるか?』から『鈴木くん』へ】

 マック鈴木がメジャーリーグのマウンドに立つのを初めて見たのは、2000年の5月20日、アナハイムでのことだった。

 その時、私はシドニー・オリンピックの日本競泳チーム取材でロサンゼルスの南を訪ねていたが、報道陣の仲間と「マックが投げるって」という情報を耳にし、車を走らせたのだった。

 当時、マック鈴木はカンザスシティ・ロイヤルズに所属していた。

 2000年当時、メジャーリーグで活躍している日本出身の選手は野茂英雄、伊良部秀輝、そして2000年になって「大魔神」佐々木主浩がシアトル・マリナーズに移籍したものの、プレーしているのは10人に満たず、野手はまだメジャーリーグでデビューしていない。

 マックが異色だったのは、日本のプロ野球を経ることなく、アメリカに渡ってメジャーリーグまで駆け上がったことだ。

「いろいろな事情で高校にいられなくなってしまいまして......それでも野球は続けたい。そこで思いきってアメリカに行くことにしました」

 マック鈴木は1992年、エージェントの団野村氏が経営に参画していたシングルAのサリナス・スパーズ(カリフォルニア州・1992年を最後に球団は消滅)に球団職員兼任練習生として参加し、アメリカでの生活をスタートさせる。このときのことを、本人はこう振り返っている。

「父親から、『いろいろ困って来い。お金のことも、野球のことでも、なんでも』と言われまして、ひとりでポンとアメリカに放り出されました。結果的には、それが本当に正解だったと思います。

まだ16歳でしたが、英語を勉強しに行くとかそんなことではなく、覚悟を持たないと生きていけない、そうした形で放り出されたのがよかったと思います」

 誇張ではなく、底辺も底辺、最下層からのスタートである。とにかく腕一本でのし上がっていくしかない。

「スパースの最終戦、142試合目にたまたま団野村さんの前を通ったら、『投げるか?』って聞かれまして。その試合で94マイル(約151キロ)を記録して三者凡退に抑えると、試合後には、『鈴木くん』って呼ばれました(笑)」

 偶然のチャンスをつかみ、1993年に当時マリナーズ傘下だったシングルAアドバンスのサンバーナーディーノでプレーし、4勝12セーブと活躍する。

 1994年にはマリナーズとマイナー契約を結んで、AA、AAAを経験し、1996年7月7日、ついにメジャーデビューを果たし、村上雅則、野茂英雄に次ぐ3人目の日本人メジャーリーガーとなった。また、日本プロ野球界を経由しない初めての日本人メジャーリーガーだった。

【「グラブひとつ持って飛行機に乗り込めば」】

【MLB日本人選手列伝】マック鈴木:NPB経験なしでメジャーリーガーとなった初の日本人は、グラブひとつで世界中を駆け巡った
ロイヤルズ時代の2000年はMLBでの自身最高成績を収めた photo by Getty Images

 初勝利は1998年の9月14日、ミネソタ・ツインズ戦でマーク。翌年、カンザスシティ・ロイヤルズにトレードされるが、マックがメジャーリーグで最も成功を収めたのは2000年のシーズンだった。

 この年はローテーションをしっかりと守り、シーズンを通して29試合に先発し、188回3分の2を投げ、8勝10敗の成績を残した。私がこの年の6月、アナハイムで見た時のマックは、まさに充実期を迎えていたのだった。

 アナハイムでのマックは、実にたくましかった。

 まず、体のサイズがメジャーリーガーそのものだった。

もともとの素質に恵まれていたにせよ、191センチの長身で、すらりとした体型は、ロイヤルズのグレーのユニフォームがよく似合っていた。

 しかし好調は長くは続かなかった。その後、ロッキーズ、ブルワーズ、再びロイヤルズでプレーしたが、先発、ブルペン投手としても結果を残せず、2002年を最後にアメリカ球界を去る。同年秋のNPBドラフトを経て、オリックス・ブルーウェーブに入団を決める。オリックスからすれば、兵庫県出身のマック鈴木を"逆輸入"した形になった。

 ただし、オリックスでプレーした3年間は満足な結果を残すことはできず、2005年のオフに戦力外通告を受けた。ちょうど30歳の時だった。

 しかし、そのあとのキャリアがすごい。

 30歳ならば、もうひと花咲かせたいと思うのは自然なこと。マックは活躍の場をメキシコ、アメリカのマイナーリーグ、ベネズエラのウィンターリーグ、台湾、ドミニカ、関西独立リーグと、さまざまな国の野球界に身を投じた。

「グラブひとつ持って飛行機に乗り込めば、世界中、どの国に行っても野球ができるチャンスは転がってるんです」

 これはマック鈴木にしか言えない言葉だろう。

 いま、日本のプロ野球を経由せずにアメリカを目指す選手が増えている。

独立独歩で自らの道を切り拓いたマック鈴木の歩みは、かえって輝きを増しているように思える。

 引退後は、テレビのバラエティ番組で話す姿も見られた。彼の言葉は、まさに「ネタの宝庫」だった。

【Profile】本名:鈴木誠(すずき・まこと)/1975年5月31日生まれ、兵庫県出身。滝川二高(兵庫)中退。MLBでプレーしたのち、2002年ドラフト2位(オリックス)でNPB入り。2005年にオリックスから戦力外となると、メキシコをはじめ世界各国のリーグで現役を継続した。
●MLB所属歴(6年):シアトル・マリナーズ(ア/1996、98~99途)―カンザスシティ・ロイヤルズ(ア/99途~2001途)―コロラド・ロッキーズ(ナ/01)―ミルウォーキー・ブルワーズ(ナ/01)―ロイヤルズ(ア/02) *ナ=ナショナルリーグ、ア=アメリカンリーグ
●MLB通算成績:16勝31敗(117試合)/防御率5.72/投球回465.2/奪三振327
●NPB所属歴(2年):オリックス(2003~04)
●NPB通算成績:5勝15敗1セーブ(53試合)/防御率 7.53/投球回156.2/奪三振130

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