東北学院「悲運のエース」が語るあの夏(中編)
2021年夏、異変が起きたのは7月17日だった。石巻市民球場での宮城大会4回戦。
東北学院のエースで4番打者の伊東大夢は、その結果を知って「あれ?」と首をかしげたという。
絶対的な王者が敗れた。自分たちにも、チャンスが出てきたのではないか......。そんな淡い思いがもたげてきた。
とはいえ、東北学院は夏の宮城大会でベスト8が最高戦績である。戦いぶりも盤石とは言いがたかった。
【3回戦以降はすべて逆転勝利】
初戦(2回戦)はリードを許すも、7回に逆転して泉松陵に6対1で勝利。3回戦は石巻工に6対3。4回戦は仙台東に9対3で逆転勝ち。準々決勝は東北学院榴ケ岡に先取されるも、直後に逆転。最終的には15対2で5回コールド勝ちを収めた。3回戦以外はすべて逆転勝ちである。
伊東は自虐的に、東北学院のチームカラーを説明した。
「東北学院は『お坊ちゃん』というか、性格的におっとりしている人が多いんです。好戦的な人がいなくて、試合が始まっても始動が遅い。だから逆転のチームカラーになったのかもしれません」
準決勝の相手は、因縁のある古川学園だった。春は伊東が「ベストピッチ」と振り返る快投で完封勝ちしたとはいえ、夏は独特のムードがある。
伊東は「調子がいい」と感じつつも、マウンドから古川学園の圧を味わっていた。
「古川学園はチーム全体がギラギラしていて、監督さんからも『気持ちで負けちゃダメだ』と言われていたんですけど、序盤からのまれてしまいました」
2回までに3点を奪われるなど、苦しい展開。それでも、東北学院には「切り札」があった。伊東は笑顔で振り返る。
「直井(良偉人/らいと)という学生コーチがいて、試合には出ずにノッカーや三塁コーチャーをやっていました。すごくポジティブなヤツで、直井が伝令にくると流れが変わるんです。1年秋から学生コーチに転身して、チームを支えてくれていました」
チームは尻上がりに主導権を握り、5対4で逆転。
「あのユニホームを着たかったな......という思いはありました」
伊東はそんな本音を明かす。ただし、その頃には東北学院への嫌悪感もなくなっていた。男子校のノリにも慣れ、「気づいたら好きな学校になっていた」と伊東は笑う。
決勝戦も2点を先取されるお決まりの展開だったが、チームとして取り組んできた打撃強化が結実する。5回表に伊東の2点適時二塁打など、一挙8得点を挙げて逆転。12対5で勝利した。
「外野の芝生席までお客さんがいっぱいいて、すごい経験だな......と思いながら試合をしていました。優勝が決まった瞬間は本当にうれしくて、キャッチャーの加藤(翔也)に抱きついてしまいました」
それまで「甲子園」をリアルなものとして思い描けなかったのに、すんなりと喜べたのか。そう尋ねると、伊東はこんな内幕を暴露した。
「じつは、前日に加藤と勝ったあとの練習をしていました。やり方がわからないので、とりあえずマウンドに集まって、ふたりで抱き合って。周りからは笑われて、恥ずかしかったんですけど」
【甲子園初戦の相手は愛工大名電】
春夏通じて初めての甲子園出場。エースで4番打者というわかりやすい中心選手だった伊東は、当然ながら注目を浴びた。伊東は「一生分の取材を受けたと思う」と苦笑する。そんな伊東に、渡辺徹監督が声をかけた。
「みんなの代表として、たまたまおまえが取材を受けるだけだから。勘違いするなよ」
この言葉があったからこそ、伊東は平静を保っていられたのかもしれない。
抽選会の結果、初戦の対戦相手は愛工大名電(愛知)に決まった。伊東の脳裏に浮かんだのは、「やりたくないな」というネガティブな感情だった。
「レベルが違いすぎるので。田村くん(俊介/現・広島)なんて、中学時代から雑誌に載っていたので知っていました。『明徳中の田村じゃん! なんで名電にいるの?』って驚きました。
8月11日、東北学院は愛工大名電と激突する。だが、当時の記憶を尋ねても、伊東は急に口数が減ってしまうのだった。
「田村くんから1打席目にデッドボールを受けて、すごく痛かったんです。テーピングで肋骨をグルグル巻きにされて、すごく投げづらかったです。でも、とにかく試合中は無我夢中で......」
そして、伊東は噛み締めるように言葉を絞り出した。
「僕にとって甲子園はテレビのなかの存在なんですよね。試合中はずっと夢心地のまま、必死でプレーしていました」
序盤から制球の定まらない田村を攻め、東北学院は序盤からリードを奪う。5回までに5対1と優位な展開に持ち込んだ。
第4試合ということもあり、空はみるみるうちに暗くなり、照明が点灯された。伊東はナイトゲームが楽しみでもあり、不安でもあったという。
「ウチはナイターになる前に練習が終わっちゃうので、照明が初体験なんです。
伊東は4打席目に寺嶋大希(現・NTT東日本)から左翼線に二塁打を放っている。だが、じつは打球の行方を見失っていたという。
「コーチャーは止めていたんですけど、僕はボールが見えなくて行っちゃったんです。あれは完全に結果オーライでしたね」
【止まらないスマホの通知】
5対2で迎えた8回表。快調な投球を見せていた伊東は、打席に田村を迎えた。
伊東が投じたのは、チェンジアップ。左打席で待ち構える田村が、バットを一閃する。その時の光景を伊東は今も鮮明に記憶している。
「打球が自分の左側を、今まで見たことのない角度で上がっていきました。これは嘘でもなんでもなく、『海まで飛んでいくんじゃないか』と思ったくらいです。あの放物線は忘れられないですね」
田村のバックスクリーン右へのソロ本塁打が飛び出し、点差は縮まった。だが、「いつか打たれると思っていた」という無欲な伊東に、大きな動揺はなかった。
結局、試合は5対3で東北学院が勝利。試合後に取材を受けたあと、伊東は宿舎に戻るためにバスに乗り込んだ。
ふとスマートフォンを取り出すと、異常事態が起きたことを伊東は悟った。
通知が止まらない。家族、友人、関係者からの祝福の連絡が、次から次へと届く。ここで初めて、伊東は我に返ったという。
「ほかの人はわからないですけど、僕はずっと夢心地で野球をしていたんです。帰りのバスで通知が止まらなくなって、初めて正気に戻りました。自分たちなんて、ただ運がよくて甲子園に出たとしか思えないのに、とんでもないことをやっちゃったんだなって」
この年の甲子園はコロナ禍が終息する以前に開催されたこともあり、感染拡大を防ぐために入場規制が取られた。来場者は大会関係者、メディア、プロ球団スカウト、出場チームの応援団に限られ、甲子園球場のスタンドは一部のエリアを除いて空席が広がっていた。
この環境も東北学院の快挙につながったのかもしれないと、伊東は見ている。
「今にして思えば大観衆のなかで試合がしたかったですけど、5万近くもお客さんがいるなかでは正気じゃいられないですよね。東北学院の選手は緊張で朝食が食べられない選手や、試合前に吐いているような選手、野次に一喜一憂してしまう選手もたくさんいるので。僕たちからしたら、お客さんがいなかったことも、いい方向に作用したのかもしれません」
そして、正気に戻った伊東たちを待ち受けていたのは、過酷な現実だった。
つづく