【陸上】桐生祥秀は「厚底スパイク」に本格対応して8年ぶり10...の画像はこちら >>

前編:東京2025世界陸上へ活気づく男子100m/桐生祥秀

今年9月、34年ぶりに東京で開催される世界陸上選手権。ここまで男子100mの日本代表争いは静かに展開されてきたが、ここにきて好記録が続出し、活気づいてきた。

7月26日のインターハイでは16歳の清水空跳(そらと/星稜高2年)が10秒00の日本高校記録をマークしたのに続き、8月3日に行なわれた富士北麓ワールドトライアルでは桐生祥秀(日本生命)が9秒99、また守祐陽(もり・ゆうひ/大東文化大4年)も10秒00を叩き出した。わずか10日の間に東京世界陸上の参加標準記録(10秒00)突破者が3名出る中、あらためてその存在感にスポットライトが当たったのは桐生だろう。

自身8年ぶりの9秒台を叩き出したことについて、長い紆余曲折の競技人生を経てきたスプリンターだからこその思いもあった。

【一気に活性化し始めた男子100mの代表争い】

 7月上旬の日本選手権では、それまで唯一東京世界陸上の参加標準記録(10秒00)を突破していたサニブラウン・アブデル・ハキーム(東レ)が開幕前日に右股関節上部骨挫傷で3週間ほどの安静を勧められていると明かし、翌日の予選は第7組4位で敗退。さらに世界陸連が定める世界ランキング(ポイント制)で出場圏内に入っていた6月のアジア選手権優勝の栁田大輝(東洋大4年)も予選第6組でフライングをして失格。

 大会での即時内定者が出ないどころか、その時点ではサニブラウンと栁田しか世界ランキングにおける出場資格保持者がおらず、世界選手権代表がどうなるのか混沌とした状況に陥っていた。日本選手権優勝の桐生祥秀(日本生命)は7月23日にオーストリアの大会で予選と決勝で10秒0台を連発して世界陸上出場圏内の下位に食い込んできたが、同26日には日本選手権準決勝敗退だった高校2年生の清水空跳(星稜高)がインターハイで10秒00を出し、代表圏内に入ってきた。

 そんな状況で迎えた8月3日の富士北麓ワールドトライアル2025では、「午後(決勝)は雷雨になるという予報なので予選から記録を狙った」と話す桐生が予選第2組の追い風1.5mの条件下で9秒99を出し、次の第3組の守祐陽も10秒00で東京世界陸上の参加標準記録を突破。日本陸連が定めた代表選考条件に照らし合わせると、日本選手権優勝の桐生は代表がほぼ確定的で、日本選手権7位の守は桐生に次ぐ2番手に。清水の10秒00に刺激された選手たちが覚醒したかのように、男子100mは一気に活気あふれる状況になってきた。

【薄底好きだった桐生が下した厚底への変更】

 2017年9月に日本人初の9秒台となる9秒98を出して以来、8年ぶりの9秒台を出した桐生。高校3年だった2013年4月に10秒01を出して以降、日本短距離の牽引者として走り続けていたが、世界陸上の100m代表の座は2019年 ドーハ大会が最後で、2021年東京五輪は4×100mリレーのみの代表に。2022年には大学2年時に潰瘍性大腸炎が発症していたことを明かして6月の日本選手権以降は休養。昨年はシーズンベストが10秒20に止まり、パリ五輪も個人種目での出場を逃し、リレーでの出場となっていた。

 そんな桐生が昨年の秋から取り組んできたのは、今や世界の主流になっている厚底スパイクへの本格的な対応だった。

「走り方も感覚もまったく違う。僕はどちらかというと薄底が好きだったので、慣れるまでには時間がかかったけど、やっぱりその武器を手にしなければ......。厚底が世界で主流になってからはウサイン・ボルト選手(世界記録保持者)を除けば世界のアベレージはたぶん上がっていると思うし、日本人でも高校生などの厚底世代というか、薄底を履いたことない人たちが結構タイムを出している。だから自分の感覚を少し裏切ってでも厚底に慣れることを、この1年間はやりました」

 桐生は私生活から厚底を履いていた。普段履きシューズやスリッパも含めて10足ほどいろいろ試した。「日常生活でも靴によって反発が違うので、いろいろ履いて『この感覚は歩いていてもいいな』と判断したり。最初は厚底を履くだけでも疲れて、散歩をしてもふくらはぎなどが張り、慣れるのに本当に時間がかかりました」と笑う。

「力の使い方やタイミングは、もう薄底を忘れたぐらい違いますね。やることが全然違ってくる。反発というのはある程度靴がやってくれる(起こす)ところもありますが、薄底の時は中盤や後半でスピードが上がってくる時に若干自分で足を上げて反発をもらうという動きがありました。でも、厚底で足を上げ過ぎると反発で上にいったり、下に踏み過ぎるとタイミングが長すぎたりする。

そこはレースをやっていても『違うな、違うな』というのはちょっと続きました」

 今年は3月の記録会から厚底を使用しているが、4月の織田記念でも前日練習では力をあまり使わないスタートからうまく加速し、10秒0台は確実に出せそうな走りをしていた。事実、予選では追い風2.7mながら10秒06で走った。だが決勝は勝負を意識して力みが出たのか10秒15で3位という結果だった。

「アキレス腱痛の影響でジャンプ系の練習が2020年くらいから3~4年、ちゃんとできていなかったけど、去年の秋くらいからできるようになったことが、現在いい状態でいれる要因。ひどいときは朝起きたら片足で風呂場に行き、熱湯で足を温めてから超音波を当てる生活がずっと続いていて、競技以外でもつらかった。でもジャンプ練習をして力を使わなくても上にいく動作ができたことで、スタートで力を使わなくても前に進むようになったのだと思う」

 織田記念後、桐生は明るい表情でそう話していた。

【悔しい時のほうが多かったからこそ......】

 そんな桐生が厚底スパイクでの走りの感覚をしっかりつかめてきたのは、日本選手権の前ごろからだった。日本選手権本番は、記録こそ狙ったものの、決勝は勝負優先の場だったこともあり、準決勝の10秒21を上回ることはできなかったが、その後オーストリアに行っていい感覚をつかみ、その調子を落とさずこの大会に臨めた。

 桐生を指導する小島茂之コーチは、富士北麓のレースを踏まえ、ここまでの流れを振り返る。

「日本選手権くらいの調子なら参加標準は破れると思っていましたけど、今日はウォーミングアップからすごくスタートの感じがよかったので、スタートでポンと出られたら面白いなって思っていました。後半もピッチを落とさず100mをしっかり走り抜けた。

 悪い時があったから『もっと強くなりたい』という思いも強くなるものだと思います。

これまでの彼を見ると、たぶん、うれしい時よりも悔しい時のほうが多かった。東京五輪もパリ五輪も個人の出場を逃がしたから、地元の世界陸上で個人種目で走りたい、標準(記録)を切って戦いたいという目標は、冬期練習に入るときから立てていた。それがしっかりできたと思います」

 スタートもうまく出て、中盤からは一気に後続を突き放して実現した2017年以来2度目の9秒台。桐生はこの8年間を感慨深く、そして前向きに振り返った。

「調子が悪くて全然速くない時もあれば、またこうやって戻ってきた時もあるけど、それが陸上競技だと思う。競技にまだいられる、まだ勝負できるというのも今日で証明できたのかなと思うので、まだまだ速いうちはずっと陸上やっていたいなと思います」

 今後も、自分に課したノルマをきっちり果たし、さらなる自己記録更新と世界との勝負を再び目指していく気持ちは強くなった。

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