東京2025世界陸上、男子100m代表争いで急浮上の守祐陽 ...の画像はこちら >>

後編:東京2025世界陸上へ活気づく男子100m/守祐陽

9月に開催される東京世界陸上選手権の男子100m日本代表争いが活気を帯びてきた。

富士北麓ワールドトライアル2025で桐生祥秀(日本生命)が自身8年ぶりとなる9秒台を出した直後のレース、今季好調の守祐陽(大東文化大4年)が東京世界陸上の参加標準記録10秒00をマークし一気に代表争いの主役に躍り出た。

世間的にはまだその名を知られていなかった守だが、今回の好走はこれまでの積み重ねから導き出した必然の結果でもあった。

前編〉〉〉桐生祥秀は「厚底スパイク」に本格対応して8年ぶり100ⅿ9秒台

【「出せるだろうという自信はあったので」】

 8月3日に行なわれた富士北麓ワールドトライアル2025、男子100m予選第2組で桐生祥秀が9秒99を出して観客席が沸いたあとの第3組のレース。守祐陽(もり・ゆうひ)は、落ち着いた気持ちでスタートラインに立った。

「前の組で9秒99が出て、会場的にも記録が出る雰囲気になっているというのはなんとなく感じていました。自分なら(参加標準記録は)出せるだろうという自信はあったので、自分の動きをすることにフォーカスしました」

 自身の走りの特徴を「高速ピッチだと思う。それを最後まで維持できるのが自分の強みかなと思います」と話す守。レースでは最後までしっかり刻みきってゴールする納得の走りができた。

「スタートから落ち着いて加速でき、隣のレーンにいた樋口陸人さん(スズキ)にもスタートから並べたので、ここから自分の持ち味を出せると思い、とにかく足を前に返していくイメージで走りました。後半スピードが出すぎて一歩だけ踏み外したというか足が吹っ飛びそうな感じはあったが、うまく体幹でコントロールできたのでしっかりきれいに走れたレースだったかなと思います」

 電光掲示板に表示された速報は「10秒01」だったが、「今日はもう、10秒00になってくれというだけの気持ちでずっと祈りながら待っていました。日本選手の準決勝も1着でゴールしたかわからなくて祈っていたけど、次からはしっかり速報で速いタイムを出せるように頑張ります」と苦笑する。

【佐藤コーチが見出した100mへの適性】

 守が一躍、トップシーンで注目されるようになったのは今年5月の関東インカレ2部の決勝で、追い風3.9mの参考記録ながら9秒97を出した時だ。その後の同1部決勝ではパリ五輪代表の栁田大輝(東洋大4年)が追い風4.5mで9秒95を出し、ともに強烈なインパクトを与えた。

「いい意味でも悪い意味でも、あれで注目されるようになりましたけど、9秒97がアダとなって『変に注目されるな』とプレッシャーに感じていた部分はありました。でも一度、6月の日本インカレで調子が落ちて10秒50もかかり(7位)、そこでまた一から見つめ直して7月の日本選手権からは上り調子でこられた。

今回もしっかり10秒00のスピードに(体が)耐えられたというのは、関東インカレの9秒97を走れたこともいい影響になっていたと思います」

 守を指導する佐藤真太郎コーチは「日本インカレの前に練習はかなり積んでいて、本人にも(試合に向けた)『調整はしないよ』と話していた」と言う。その時の練習では200m2本、その間3分ほどの休みを入れてともに20秒台で揃えていた。

「記録を出した(参加標準記録を突破した)あとに電話で話した時、『(走り込みを優先するので)日本インカレは調子が下がるけど、伝えていたよね』と言うと、『本当にそうでした。あの時走っていてよかったです』と話していました。ただ、日本インカレも練習で体がバキバキになった状態でも10秒2では走るだろうと思っていたけど、それより遅かった。でも、1位が10秒31だから『それはしょうがないね』という話はしていました」

 市立船橋高時代、インターハイは3年時に出場して100mは8位、200mは準決勝敗退だった守。大学1年では関東インカレの2部200mで2位になったが、佐藤コーチは「200m専門というより(適性は)100mだな」と思っていたという。

「200mは地面から力をもらって大きいタイミングで走る選手が向いていますが、自分で積極的にその空間を潰して細かく刻める選手は100mもできる」と佐藤コーチ。

「高速ピッチ」という守の強みについては「空中で挟み込んで足を切り替え、前に出てきた足を逆の足が追っていくような連続運動になっている感じなので、しっかり(地面を)踏み込むことはしてなくて空中で切り替えているから、むしろ『踏み込むな』と言っているぐらいの感じです」と説明する。

【体の成長が能力に追いつき結果に反映】

 守は自身の成長の要因を、大学に入ってから始めたウエイトトレーニングの効果を口にする。体重は7~8kg増加し、さらに「去年だと3カ月に1回ぐらいはどこかが痛いとかケガがあったけど、そこを乗り越えて練習量も少し調整してきました。そのなかでショートスプリントに向けた練習を増やして、去年ほどシーズン中には長い距離もバンバン走らなくなったので、うまく練習の組み立てができていると思う」とも話す。

 また、佐藤コーチは守の飛躍について、同級生のライバルの存在もその一因に挙げる。

「同学年に栁田くんや、今年5月の世界リレーで活躍した井上直紀くん(早大)がいるのは大きいし、絶対に刺激を受けていると思います。ただ、彼らふたりは中学から活躍していて高校でも強かったのは、早い段階から体がしっかりしていたからだと思います。成長曲線はだぶん彼らより2~3年ぐらい遅れているんだろうという印象で、今になってやっと、成長が追いついてきたのだと思います」

 体がやっと追いつき始めたという昨年は、100mで安定した結果を残した。4月の織田記念を10秒26で優勝し、関東インカレも1部で早大の井上を抑えて優勝。6月の日本学生個人選手権では予選で10秒13の自己新を出し、決勝は10秒19で栁田に次ぐ2位になった。佐藤コーチはこう続ける。

「去年の関東インカレは10秒37での優勝でしたけど10秒2台も出るようになり、『もうどこでも10秒15ぐらいで走れるんだけどな』と思っていたし、追い風参考に近い環境なら10秒05くらいでも走れるなと感じていました。でもまだ体がしっかりしていなかったので、よい記録を出したあとはその反動で次がダメになってしまっていた。もう普通ではあり得ない、大会のラウンド間でもヘタるくらいでしたから。

 でも今年は体の基礎の底上げがボンとできて、体つきも変わり、環境のいいとこだったら『10秒05で走れる』というのが、『9秒台に入れる』というところまで上がった感じです」

 守本人も「僕は大きな目標を立てるのではなく、現実的な目標をしっかり積み上げていくタイプなので世界陸上のこともあまり考えていなかった」と言うように、日本選手権の目標も「決勝に進出して5位くらいになればいい」と考える程度だった。佐藤コーチが「卒業してから伸びていってくれればいい。決勝進出は実業団に入れる条件のひとつでもある」と考えていたからだ。

【今年の日本選手権準決勝が心理的伏線に】

「でも、日本選手権の準決勝3組1位になった走りの感じで、『これは10秒0くらいだな』というのはありました。決勝は7番に沈みましたが、それはまだ体の操作にまだ波があるから。ただ、波がある選手は爆発力もあるので、それは魅力ですね。同じ場所でジリジリ行ったり来たりしないというか、ちょっと疲れが出たらすごく悪くてもいい時はものすごくいいというところがあるのが、彼の魅力だと思っています」(佐藤コーチ)

 そんななか、高校2年生の清水空跳(星稜高)の10秒00は大きな刺激になった。シニアの選手たちにとってみればその記録は目標と言うよりも、超えなければいけないものになり、心の中にあった枷も吹き飛ばされたような心境になったはずだ。

「特に清水くんの10秒00のことは話さなかったですけど、守にとって大きかったのは清水くんと直接日本選手権の準決勝で走り、『この子にはちゃんと勝てるな』という感覚を得られたことです。桐生くんにも先着していて、『気持ちよくいければ桐生さんにも勝てるレースができる』という感覚が本人のなかにあった。だから清水くんが10秒00、桐生くんが9秒99で走っても、『それなら俺が走れないわけはないじゃん』と思っていたのだろうなと思います。実際に走る力を備えていた意味では、日本選手権の準決勝で勝ったのがよかったのかもしれません」

 4×100mリレーに関しては「2走と4走はやっているから直線は得意だと思うが、後半は強い自信がある」と守は言うが、佐藤コーチは「コーナーも猛烈なピッチで曲がってくるし、200mができるから直線も伸びやかに走り、ラスト20~30mもメチャクチャ追い込めるし速い。どこでも走れると思う」と評価するように、貴重な戦力になりそうだ。

 東京2025世界陸上・男子100mの3枠の代表争いは、日本陸連が定めた内定優先事項に照らし合わせていくと、8月24日までの指定期間内に参加標準記録(10秒00)突破と7月の日本選手権優勝の桐生が確実、そして富士北麓で桐生に続き参加標準記録を突破した日本選手権7位の守が2番手につける形となっている。3番手は9秒96を出しているサニブラウン・ハキーム(東レ)、10秒00の清水は4番手の位置につけ、世界ランキングでは圏内にいる栁田は5番手となり、逆転で個人代表に選ばれるためにはサニブラウンの記録を上回る必要がある。

 一方で4×100mリレーを考えればこの5人に加え、200mで19秒台を視野に入れる鵜澤飛羽(JAL)もおり、鉄壁な布陣になりそうだ。

 清水のインターハイの10秒00で火がついたなかでの桐生、守のふたりの快走は、銀メダルを獲得した2016年リオデジャネイロ五輪を彷彿させる新たな活況を作り出す気配を見せる。

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