東北学院「悲運のエース」が語るあの夏(後編)
2021年8月17日、ショッキングなニュースが駆け巡った。
東北学院(宮城)の出場辞退。
東北学院としては、当該選手をベンチから外して試合に出場する選択肢もあった。それだけに、出場辞退に納得のいかない選手もいたのではないか。そう想像して伊東大夢に聞いてみると、意外な反応が返ってきた。
【これ以上、求めてどうするの?】
「僕は素直に受け入れていました」
じつは、伊東は濃厚接触者に認定されており、隔離対象になっていた。出場辞退の報告は、リモートで参加したミーティングで知らされたという。
「画面越しに、泣いている選手の姿も見えました。でも、僕は『どうしたの?』と思っていて。すんなりと受け入れていましたね」
そして、伊東はポツリとこう続けた。
「1回勝って、燃え尽きちゃったんですかね」
チームとして「甲子園で1回勝つ」というスローガンを掲げ、実現していた。そもそも伊東は、甲子園に出ることすら、リアルに思い描けなかった人間である。
「はっきり言って、できすぎです。これ以上、求めてどうするの? と思っていました」
その後、伊東は約1週間の隔離期間を大阪で過ごしている。「ずっとテレビで甲子園を見ていて、楽しかった」とホテルでの生活をエンジョイした。
悲運のエース。
そんなイメージと実像のあまりのギャップに、私は戸惑いを隠せなかった。
当時、伊東が複雑な心境を語った記事も公開されている。だが、伊東はあっけらかんと「そんなこと言っていないんですよ」と明かす。伊東本人も、自分と世間の隔たりを痛感していたという。
「『悲劇のヒーロー』みたいに言われましたけど、そんなことはまったく思っていませんでした。僕は今、立教大の社会学部でメディア系の授業を取っているんですけど、当時の記事は『誇張して書かれていたんだな』と感じます。ひねくれた見方かもしれないけど、いかにも資本主義っぽいですよね。商業的な内容で、読者を増やそうという。
夏が終わり、秋が近づくと、うれしいイベントがあった。甲子園で対戦するはずだった松商学園から、交流試合が申し込まれたのだ。伊東は「きっぱりと終われて、ありがたい機会でした」と振り返る。
長野県松本市の四賀球場を借り切っての試合。伊東はそこで、松商学園と東北学院の決定的な違いを見たという。
「ウチはみんな受験勉強をしていたので、ぶっつけ本番でした。でも、松商学園の選手は木製バットで試合に臨んでいて。大学に向けて、ガンガン練習していたんだろうなと思いました」
試合は4対5でサヨナラ負け。伊東は2回途中からリリーフ登板したが、打者と対戦したのは甲子園以来だった。
【立教大学では準硬式でプレー】
進路を決めるにあたり、周囲は「プロ野球選手になるんでしょ?」と沸き立った。実際に硬式野球を続ける選択肢もあり、伊東は逡巡した。それでも、最後に選んだのは、立教大の準硬式野球部で競技を継続する道だった。
「3学年上の先輩が、立教の準硬式でやっていたんです。『ゆるくて、楽しい部だからいいよ』と言われて。立教は東京六大学でもあるし、入れるのであれば入りたいと思って、決断しました」
大学では、マイペースで楽しもう。そう考えていた伊東だったが、周囲はそうとらえていなかった。
チームの内外から「大型ルーキーが来るぞ」「すごいヤツが入ってくる」という声があがり、伊東の耳にも入ってきた。誰かに紹介される際には、いつも「甲子園で名電を倒した」という枕詞がつきまとった。
「大学に入った当初は、肩が痛くてずっと野手をやっていたんです。でも、意外と知られていないんですけど、準硬式ってレベルが高くて。全然打てずにいたら、いろんな声がチラホラ聞こえてきて。『たいしたことなくない?』『甲子園で4番を打っていたのに』って。でも、自分からしたら、『もともとたいした選手じゃないんです』って言いたいわけです。周囲の過度な期待に苦しんでいましたね」
大学2年の春までは、野球への情熱も失われていた。
ところが2年夏にグラウンド近くに転居し、「野球に集中しよう」と一念発起。肩の故障も癒え、トレーニングに集中する。すると、最速146キロと球速が上がり、3年春には9試合に先発登板するなどフル回転。リーグのベストナインに輝いた。今年8月には、北海道で開催される全日本大学準硬式野球選手権というビッグイベントが控えている。
そして、伊東には密かな楽しみがある。
「準硬式は甲子園で試合をする機会もあるんです。11月21日に全日本大学9ブロック対抗準硬式野球大会の決勝戦や、東日本代表と西日本代表の試合(全日本大学準硬式野球東西対抗日本一決定戦)が甲子園であるんです。去年は9ブロック対抗で関東選抜に選んでもらっていたんですけど、肩の状態が悪くて辞退して。今年は選ばれて、また甲子園で投げている姿を両親や友達に見せたいですね」
そして、伊東はふっと笑いながら続けた。
「でも、また甲子園のマウンドに立ったら、夢からさめちゃいそうですよね」
【大学卒業後は社会人でのプレーを希望】
伊東にとって、あらためて甲子園とはなんだったのか。
夢のまた夢だった甲子園という舞台。愛工大名電という強すぎる相手。空席だらけの特殊な環境。ナイトゲームという非日常的な空間。それらの要素が絡まり、伊東から現実感を奪ったのではないか。だからこそ、伊東は甲子園で輝いたのではないか。
そんな仮説をぶつけると、伊東はにっこりと笑って「本当にそのとおりだと思います」と答えた。
「僕としては、過去の自分がひとり歩きして、いまだに残っているのは、あまり気持ちのいいものではないです。『名電を倒した伊東だよ』って紹介されるたびに、『それ、まだやるか』って思ってしまって。当時はただ、無我夢中でやっただけですから」
大学卒業後、伊東は再び硬式ボールに握り替えて、社会人野球でプレーする希望を持っている。今では、自分の可能性をリアルに信じることができる。
もしかしたら、夢からさめていないのは「伊東大夢」に幻影を見ている周囲なのではないか。