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前編:新生・桜花学園が挑んだ己との戦い

今夏のインターハイで4年ぶりに覇権を奪還した桜花学園(愛知)。日本のバスケットボール史に多大な功績を残したカリスマ的名将・井上眞一が昨年末に他界したことは、その跡を受け継いだ経験の浅いコーチ陣、トップアスリートとはいえ多感な高校生たちの心に影響を及ぼしていた。

そしてさらなる試練も......。

名門中の名門は、己といかに戦い続けてきたのか。

【問答無用の実績と近年の状況】

「絶対に譲れない戦い」があるとしたら、愛知・桜花学園高校バスケットボール部のコーチ、白慶花(ペク・キョンファ)にとってのそれは、7月27日から8月1日まで岡山県で行なわれたインターハイ(全国高校総体)だった。そして、その思いは結実する。26回目のインターハイ優勝、同校としては国体(現・国スポ)、ウインターカップを含めた全国制覇の回数を「72」に伸ばした。

 結果だけを見れば、高校女子バスケットボール界の名門が、またひとつその実績を積み上げただけと思われるかもしれない。しかし今回のインターハイ優勝は単にそれだけでは言い表わすことのできない、むしろいくつもの困難を乗り越えての優勝だった。

 桜花学園は1986年のインターハイ初優勝以来、3年連続でインターハイの優勝を逃したことがなかった。全国制覇の回数だけでなく、それもまた同校が「名門」と呼ばれる理由として挙げることもできる。しかし直近の3年――2022年から2024年でその前例が崩れてしまった。しかもその間、2022年の国体こそ「愛知県少年女子」として優勝を果たしているが、ウインターカップでも3年連続で優勝を逃している。

 むろん毎年のように選手が入れ替わる学生スポーツである。3年連続で優勝から離れることなど、驚くべきことではないかもしれない。

十分に考えられることだ。しかし2022年以降、インターハイとウインターカップに限れば、2023年のインターハイで決勝戦に勝ち進んでいる以外、いずれの大会でもメインコート、すなわち準決勝以上にさえ勝ち進めていない。高校女子バスケット界をリードしてきた桜花学園としては異例の事態だったと言っていい。

 その要因の一つとして、井上眞一・前コーチの体調不良があった。井上コーチは桜花学園の礎を築いただけでなく、近年の日本女子バスケット界の土台をつくったといっても過言ではない。7月のアジアカップで準優勝を果たした女子日本代表の髙田真希や渡嘉敷来夢、馬瓜ステファニー、そして同大会でブレイクした田中こころを育て上げた名将である。その井上コーチが体調を崩したことで、チームづくりがもうひとつ噛み合わず、「名門・桜花」が暗闇へと迷い込んでいたのである。

 その井上コーチが2024年12月31日に逝去された。享年78だった。

【主力ふたりの大ケガで直面した難局】

【高校バスケ】全国優勝71回の名門校は、カリスマ的名将の他界をどう乗り越えたのか 桜花学園、4年ぶりインターハイ制覇の舞台裏
厳しい状況のなか、白コーチは自分たちにできることに注力した photo by Kato Yoshio

 これで桜花学園はさらなる闇へと落ち込んでしまうのではないか――多くのバスケットファンがそう予想するなか、彼女たちは井上・前コーチが逝去されてから初めてのインターハイで、劇的に優勝してみせたのである。

「井上先生が亡くなったときは本当に落ち込んじゃって、これからどうしたらいいんだろう? みたいな思いが個人としても、チームとしてもあって、そのときは気持ちを切り替えるのが本当に難しかったです」

 チームの中心選手である2年生の竹内みやは、当時のことをそう振り返る。いったんは気持ちを立て直したものの、葬儀で最期の姿を見たときに再び落ち込んだと言う。

名門チームの、将来を嘱望されるような選手であっても、コートを離れれば普通の高校生である。恩師との別れは簡単に受け入れられるものではない。

「それでもチームメイトがいて、コーチやスタッフの方々もいて、皆さんからいろいろ声をかけてもらったので、自分のなかでも気持ちを整理して、井上先生のために戦おうって思えるようになりました」

 竹内だけではない。インターハイでキャプテンを務めた濱田ななの(3年)も同じ思いだったと認める。

「不安がなかったわけではないですけど、いつまでも落ち込んでいられないという気持ちもあったので、チーム全員で......キョンさん(白コーチ)や(アシスタントコーチの佐藤)ひかるさんもいるので、全員で声掛け合って乗り越えました」

 ここからのインターハイ優勝でも十分にストーリーだが、彼女たちの苦難はなおも続く。

 2月に行なわれた東海ブロック新人大会や、3月に行なわれたカップ戦「全関西バスケットボール大会」で、ライバルの岐阜女子(岐阜)に敗れたことではない。それだけであれば、チームとしての力を積み上げ、立て直していくだけである。しかし次に彼女たちを襲ったのは、今年度の主力として期待されていた金澤杏と、キャプテンの棚倉七菜子(ともに3年)が、春先にそろって大ケガを負ってしまったことである。当然、インターハイに間に合わない。

「棚倉、金澤がいないのはめちゃめちゃ苦しいです。正直に言うと、棚倉、金澤はチームの中心格だったので、彼女たちがケガをしたことでチームの作り直しからになりました」

 白コーチはそう認めている。

 ここに経験豊富な井上・前コーチがいれば、主力ふたりの離脱から短期間でチームを立て直すことは、あるいはもう少しやさしかったかもしれない。

しかし白コーチは母校でコーチングを始めてまだ2年。桜花学園を卒業後、筑波大学を経て、Wリーグで8シーズンプレーしたとはいえ、コーチとしてのキャリアは圧倒的に少ない。支える佐藤アシスタントコーチも白コーチと同じタイミングで母校に戻ってきた、Wリーグの元選手である。彼女のコーチングキャリアもまた少ない。

 そんな"若い"コーチたちが、カリスマ的名将を失った名門チームを引き継ぎ、しかも突然の負傷で主力がふたりも離脱してしまえば、混乱したとしてもおかしくはない。それでも母校のためにと立ち上がった以上、逃げ出すことはしなかった。

「桜花学園は本当に偉大なチームで、私も佐藤もコーチとしての経験が全然少なくて、井上先生みたいなコーチングはできません。ただ私たちに何ができるかと考えたときに、一生懸命に、情熱で指導することと、選手とバスケットに誠心誠意向き合って、正面からぶつかっていくしかありませんでした」

つづく

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