愛媛が野球王国と言われなくなってどれくらい経つだろうか。

 松山商が"奇跡のバックホーム"で、7度目の全国制覇を果たしたのが1996年。

その松山商が最後に聖地を踏んだのが四半世紀前の2001年のことだ。

 ここ10大会(2014年~2024年)で、愛媛代表は通算7勝10敗と負け越している。初戦敗退は7回にのぼり、この7年間で勝利を挙げたのはわずか1校だけだ。

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【愛媛勢4年連続の初戦敗退】

 そんななか、全国の舞台で勝ち上がった実績を持つのが済美である。

 2017年夏の甲子園では2勝を挙げ、翌2018年には星稜(石川)や報徳学園(兵庫)といった優勝候補を次々と破り、ベスト4進出を果たした(済美の試合を除けば、愛媛代表の勝率は1割台にまで下がる)。

 その済美が7年ぶりに甲子園に帰ってきた。指揮を執るのは、名将・上甲正典に率いられ、2004年春の選抜優勝、夏の甲子園で準優勝した時のメンバーだった田坂僚馬監督だ。

 済美が1回戦で対戦したのは、優勝候補の一角である東洋大姫路(兵庫)だった。兵庫大会では、エースナンバーを背負う木下鷹大が安定した投球を見せ、打線はチーム打率.396、16二塁打、4三塁打、3本塁打と破壊力抜群だった。

 愛媛大会決勝で松山商を下して甲子園に乗り込んできた済美のチーム打率は.304(6二塁打、2三塁打、0本塁打)、戦力的には及ばないというのが大方の予想だった。

 済美の先発マウンドに上がったのは、背番号10のサウスポー・田河悠斗だった。左の強打者を揃えた東洋大姫路の打線に対して「ひと回りくらい抑えてくれれば」(田坂監督)という願いはむなしく、2回にピンチを招いて、2対3とリードを許す展開になった。しかし6回、済美が相手のエラーに乗じて、3対3の同点に追いついた。

 競り合いになれば勝機がつかめるかもしれない──期待は高まったが、7回裏に2点を奪われて、3対5で敗れた。2021年夏に新田が1勝して以来、愛媛勢は4年連続の初戦敗退となった。

【今のままでは全国で通用しない】

 甲子園で数々の劇的な試合を演じてきた済美に勝利の女神はほほえまなかった。だが、投手層や全国での経験値を考えれば大善戦と言える内容だった。

 長く甲子園から遠ざかったチームと全国トップレベルでは何が違うのか。

 田坂監督はこう言う。

「正直、地力の差は感じました。でも、高校生同士がトーナメントで戦うわけですから、勝つための戦い方はあります。競った状態で中盤までゲームを進めるという、ウチのやりたかった野球はできました。でも、最後は相手のバッターのレベルの差が出たのかなと思います」

 1年時から正捕手としてマスクを被る2年生の森勇琉(たける)は、試合をこう振り返った。

「絶対に勝てないと思うほどの力の差はありませんでした。ただ、少し甘く入ったボールは弾き返されますし、チャンスの場面での勝負強さがあります。バッターのスイングスピードもすごいけど、コンタクト率がかなり高いなと感じました」

 7回裏の攻撃がそうだった。

レフト前ヒットの1番・渡辺拓雲をバントで送ったあと、3番・高畑知季の二塁打で1点、4番・白鳥翔哉真のヒットでもう1点を加えた。

 森が続ける。

「今日は本当にいいチームと試合をさせてもらいました。今のままの自分の感覚では、全国では通用しないと思いました。新チームでいろいろなことを試しながら、甲子園に戻ってきてやり返したいですね。チームとしてもっとレベルを上げないと」

 甲子園に出ることを目標にしていては、全国制覇を狙うチームには勝てない。

【校歌を歌わせてやりたい】

 1984年に松山商のキャプテンとしてベスト8を経験した乗松征記部長は言う。

「突出した選手がいないなか、よくここまで勝ち上がってくれました。ここ数年で一番まとまりのあるチームでした。甲子園を経験した選手が在学している時にまた戻ってこないと、今回の反省を生かせません」

 ここ4年、愛媛勢は春の選抜出場権を逃している。済美にとっても、秋から新たな挑戦が始まる。まずは県大会を勝ち抜き、四国の強豪を倒さなければいけない。

 監督として初めて甲子園の土を踏んだ田坂監督は言う。

「ここまで連れてきてくれたのは選手なんですけど、この球場で勝ちたかった。僕はめっちゃ負けず嫌いなんで。ウチに何が足りないのかをしっかり振り返りたいと思います。またこの球場に来て、今度は勝って選手たちに校歌を歌わせてやりたいですね」

「やれば出来るは魔法の合ことば」
 
 高校野球ファンがよく知るこの歌詞が聖地で聞ける日は、そう遠くないかもしれない。

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