栄光の夏から60年~三池工業の今(後編)

 久しぶりにその校名をニュースで聞いた。今夏の福岡大会開会式。

選手宣誓を務めたのは、三池工主将の安武仁だった。

「自分のため、チームのため、支えてくれたすべての方に感謝を伝えるため、力の全てを出し切って戦うことを誓います」
 
 力強い宣誓を終えた瞬間、観客から暖かな拍手が送られた。「MIIKE」の黒文字が胸部分に刺繍された白地のユニホームが、久留米市野球場の砂煙と、緑の芝生に映えて見えた。

【高校野球】夏の甲子園唯一の勝率10割校・三池工を再び聖地へ...の画像はこちら >>

【全国唯一の夏の甲子園勝率10割校】

 1965年夏の甲子園で初出場初優勝を飾った伝統校を率いるのは45歳OBの境直紀監督だ。今夏は初戦となる2回戦で、NHKの朝ドラ『あんぱん』のヒロインを務める今田美桜の母校である福岡講倫館に1対6で敗れた。2021年より監督に就任して5度目の夏。2023年こそ4回戦まで進出したが、初戦敗退が3度と苦しい戦いが続く。

「私も母校ではあるので、全国制覇した学校だよと言われ続けてきました。OBが監督を務めるのは、久しぶりというか、もしかしたら初めてかもしれません。優勝して60年の年に選手宣誓が回ってきたので、それをいい材料にして勝ち上がれたらと思っていましたが......。成績が振るっていればもっと盛り上がったのかもしれませんが、なかなか厳しいですね」

 現在は3年生6名が引退し、2年生15名、1年生18名、マネージャー2名の計35名で、秋に向けて汗を流している。もちろん、甲子園を目標としているが、出場したのは原辰徳さん(前巨人監督)の実父である原貢さんが監督を務めた60年前の一度しかない。全国で唯一となる「夏の甲子園勝率10割校」だ。

 ちなみに選抜の勝率10割校は、1964年春の徳島海南(現・海部)のみ。のちに「ジャンボ」の愛称でプロゴルフ界を牽引した尾崎将司(当時正司)が3試合連続完封を挙げるなど、全5試合に完投してわずか3失点の活躍で初出場初優勝を飾っている。

 閑話休題。長らく閉ざされた三池工の甲子園への扉。境さんは、部員たちに聖地の雰囲気を知ってもらおうと、今夏、甲子園見学ツアーを計画。希望者を募ったところ、わずか5名しかいなかったため、あえなく断念した。

「何かを変えないとずっと定位置(初戦敗退)だなと思い、意識を変えるために甲子園とはどういうところか、同じ高校生がプレーしている場所の雰囲気を見せたいと思ったのですが......。もちろん、お金もかかることなのでしょうがないですが、ちょっとショックでしたね」

【指導の原点は大村工での4年間】

 三池工が所在する大牟田市は、かつて三池炭鉱の発展とともに栄えた炭鉱の街だ。しかし、主要なエネルギーが石油へと転換されていくなかで、石炭産業が急速に衰退。市の人口も1959年に20万人を突破したのをピークに、今では半減の10万人まで減少した。

 境さんが在学時の1990年代後半は1クラス40人の7クラス、1学年300人近い生徒がいたが、今は4クラスで1学年160人ほど。少子化が進むにつれ、部員数も次第に減っていった。

「私たちの時代は、私学に行くような実力を持った子も県立に流れていましたが、最近はそういう子は私学一択になっている印象ですね。

野球部に入る子たちも、やはり昔の方が一人ひとりの能力は高かったなと思います」

 境さんは大学を卒業後、一般企業で勤めながら、教員免許を取得。講師として最初に赴任した鳥栖工(佐賀)は、原貢さんの母校だ。

「原貢さんとつながりがあるなと思いながら、鳥栖工で4年間、そして三池工に戻って2年間講師をさせてもらいました。そして長崎県で土木課教員の採用試験を受けて合格し、大村工に赴任しました」

 副部長、部長として過ごした大村工での4年間は「私の指導の原点です」と振り返る。高比良俊作監督のモットーは「10点取られても11点を取り返す」。打力アップに重点を置いた指導を行なっていた。

 原貢さんも三池工、そして東海大相模(神奈川)で「アグレッシブ・ベースボール(攻撃的野球)」を貫き、両校を日本一へと導いた。そして境さんのなかにも次第に「打って勝ちたい」という指導方針が根付いていった。

 そして大村工は強力打線を築き上げ、2016年夏の長崎大会で決勝まで進出。長崎商に0対1と惜敗したが、長崎県の公立校のレベルの高さに驚き、鍛え方次第で強豪私学と互角に渡り合えることを学んだ。

【待望の三池工OB監督の誕生】

 その後、福岡県の採用試験を受け直し、2018年から八女工へと赴任。そして2021年から監督として三池工に再び戻ってきた。

やはり頭の片隅には、地元の大牟田、そして母校があった。

「教員になりたいと思ったのも、野球に携わりたいと思ったからです。そして野球を教えるのはやっぱり地元、できれば母校で監督をやりたいという目標がありましたので、福岡でもう一度試験を受け直しました」

 こうして待望のOB監督が誕生した。日本一から節目の50年となる2015年に設立されたOB会も打撃マシンを寄贈するなど、協力を惜しまない。日本ハムとヤクルトでコーチを務めた猿渡寛茂さんも定期的にグラウンドを訪れ、現役部員に指導を行なっている。

「猿渡さんは基本を言われますね。守備であれば、まずしっかりと捕ってからスローイングすること。三池工の歴史についてお話されてから技術指導に移ることもあります」

 7月下旬。地元の強豪私立である大牟田高と、同校のグラウンドで新チーム初の練習試合を行ない、4対4と善戦した。現地集合、現地解散にも関わらず、自転車で学校に戻り、自主練を行なう選手たちの姿もあった。

「今まで現地集合、現地解散の時にグラウンドに戻ってきて自主練をする姿はあまり見なかったです。今の2年生、1年生は試合を経験している子がけっこういるので、そこをいいように捉えています。

全国制覇から60年、この秋上位にいけば、21世紀枠に選ばれるチャンスもあると思うので、選手たちと一緒に頑張っていきたいです」

 支えてくれる大牟田の街に再び活気を与えるべく、三池工の戦いは続く。

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