ダイヤの原石の記憶~プロ野球選手のアマチュア時代
第6回 達孝太(日本ハム)後編
高校時代の達は表情豊かに大人ともコミュニケーションも取れ、聞けばなんでも返してくる選手だった。そんな取材のなかで、技術系の話を聞くのが何よりの楽しみだった。
【3人の憧れの投手】
当時から、世界一の投手になることとサイ・ヤング賞を目標に掲げ、憧れの投手はダルビッシュ有、サイ・ヤング賞3度受賞のマックス・シャーザー、2020年の受賞者で、現在はDeNAでプレーするトレバー・バウアーの名前を挙げていた。
それも単に3人の名前を並べるだけでなく、それぞれの投手のどこに魅力を感じているのか、きちんと語ってきた。
「ダルビッシュさんは、特に変化球でのボールの操り方や力強いストレートが魅力です。シャーザーさんは、力感のないフォームからメジャーでもトップクラスの回転数のボールを投げるのがすごいですし、バウアーさんは野球に対する考え方といったところで、すごくリスペクトしています」
それぞれの個性をしっかりと把握したうえでの、過不足のない説明に「さすが......」と感心させられた。ある時、長身の達には「角度」という表現がよく寸評についていたため、そのことを話題に振ってみると、こんなふうに話が広がった。
「角度を強く意識するようになったのは、1年秋の近畿大会決勝と神宮大会準決勝で投げた映像を見てからです。腕の出どころがスリークォーター気味で、球の勢いもないなと思ったのがきっかけでした。そこで、骨盤の回転が横回転気味だとわかり、冬からは回転を縦にするようトレーニングを始めました。それができるようになると、リリースの位置も徐々に高くなり、ボールに角度もつくようになったんです」
単に腕を上げようとしたわけではなく、体の使い方から見直し、無理なくリリースポイントを高めていったという。同じ長身投手でも、たとえば藤浪晋太郎はもっと低い位置からのリリースで、ダルビッシュもそれほど高くはない。そう例を挙げながら、解説に入った。
「藤浪さんとダルビッシュさんは、骨盤の回転が横回転なので、今より上から投げようとすると、骨盤の回転と上半身の回転が合わなくなってしまいます。今の体の使い方では、リリースの高さはこれが限界というか、いっぱいなのかなと思います」
【プロの体の使い方を解説】
さらに話題は角度から投球フォーム、そして体の使い方へと移った。
「下半身の使い方がすごい! でも、真似しようとしてもなかなかできないんです」と絶賛したのは千賀滉大だった。
体の部位の役割や動きの原理原則を理解し、自分のフォームも他人のフォームも課題意識を持って見ているからこそ、言葉がすらすらと出てくる。解説がひと段落すると、再び話題は「角度」に戻った。
「角度は、つけばつくほどいいというわけではありません。人間の目で認識できるには限界があり、たとえばリリースポイントがボール3つ分違っていても、バッターの目線ではほぼ同じ高さに見えるというデータがあるんです」
ボール3つ分といえば、けっこうな差に思えるが......。
「だいたい20センチくらいまでの差なら、バッターの目には同じ高さに見えるというデータがあります。つまり、バッターが認識できる範囲を超えた角度のボールを投げないと、その面での効果はあまり期待できないということです。逆に、打者の頭にない角度からボールが投げることができれば、甘いコースでも対応できない」
技術の吸収に貪欲な達は、ダルビッシュが愛読する本を読み込み、投球動画も繰り返し視聴した。そこで「どんな視点で見ているのか?」と尋ねると、ここでも感心させられる答えが返ってきた。
「ダルビッシュさんは何より変化球がすごいと思っているので、まず変化球の感覚を語っている動画を見て、その感覚を頭に入れてから、そのボールを投げている時のフォームや指先のスロー動画を見ます。ダルビッシュさんの感覚とすり合わせながら見る感じです。
【沢村賞の選考基準にも言及】
高校生とは思えない話として、こんなやり取りも印象に残っている。甲子園での球数問題から、メジャーリーグでは先発投手が中4日で100球を目安に投げるのに対し、日本では中6日でも100球投げるのが当たり前のようになっているという話題になった時、達が思わぬ方向へ話を展開していった。
「日本では沢村賞の基準に年間200イニング以上という条件があるじゃないですか。でも、中6日で100球を目安に交代していると、年間200イニングに到達しません。だから、年間200イニング以上という沢村賞の選考基準を見直すか、1試合100球を目安にする習慣をなくすか、どちらかを変えていかないといけないと思います」
その達の言葉を聞いて、「そうしていかないと僕が獲れないじゃないですか」と、心の声が聞こえてくるようだった。ここでも言わせてもらうが、これまで高校生を取材してきて「沢村賞」について語ってきたのは達が初めてだった。
振り返ると、スケール感あふれる楽しいインタビューの数々だった。今やプロ4年目でこの活躍を見せている。18歳のときに語っていた「サイ・ヤング賞」という夢も、早くも壮大な目標にとどまらなくなっている。まずは日本で、日本ハムの先輩である大谷翔平やダルビッシュに迫り、やがて海を渡って世界屈指の投手へと成長していくだろう。高校時代のやり取りを懐かしく思い出す機会は、これからもまだまだ多くありそうだ。