競輪・郡司浩平「もう親子じゃない」の言葉で決意し競輪界へ S...の画像はこちら >>

【時代の変化に合わせて】

 強烈な脚力と巧みなレース運びで抜群の安定感を誇る郡司浩平(神奈川県・99期)。ここまで賞金ランキングでも上位につけており、12月末に行なわれる最高峰のレース「KEIRINグランプリ2026」出場に向け、視界は良好だ。現在、34歳と競輪選手としてはキャリアのピーク期にあるが、真摯かつ謙虚に競輪に向き合いつづける。

「トレーニングがいちばん大事なことは間違いありませんが、キャリアを重ねていくなか、最近は体のケアに気を配り、コンディションを崩さないことも重視するようになりました。それもあって体や調子の波がない状態でレースに挑めています。時代の変化に合わせながらトレーニングもレーススタイルも新しい形を作っていかないといけないと考えています」

 トップレーサーとしての地位を不動のものにしている郡司だが、「今の若い選手は脚力がめちゃめちゃあるので、力だけでは勝てません。常に試行錯誤を続けていかないと置いていかれます」と危機感も口にする。この向上心を持ち続ける姿勢も、安定した強さを生み出している要因だ。

【初のグランプリで得た感覚】

 父、盛夫氏(神奈川県・50期/引退)も競輪選手。その背中を見て育ったため、郡司にとって競輪は常に身近な存在だった。しかし少年時代に取り組んだのは野球。小学生でリトルリーグ日本一となり、高校は名門・横浜商業高校に進み、外野手として活躍した。

「子供の頃、自転車に興味はなかったですね(笑)。ただ高校で野球をやりきり、卒業後の進路を考えた際に身近にあった自転車に目がいき、父に相談したんです。最初は反対されましたが、自分の意思で決断しました。父と師弟関係になるにあたり、"これからはもう親子じゃない"と言われたことを覚えています。

ここで"もう引き下がれないな"と思いました」

 競輪選手としての郡司は順調な歩みを見せる。競輪学校(現日本競輪選手養成所)を卒業後、2011年にプロデビューすると、2年で上位の階級であるS級へと昇級。2017年にはウィナーズカップでGII初優勝、そして2019年には獲得賞金上位者としてKEIRINグランプリに初出場した。初の大舞台は5着だった。

「S級に思ったより早く上がれましたが、そこで壁を感じました。最初の2~3カ月は自分の力を出させてもらえず、決勝にもほとんど進めませんでした。脚力だけでは勝てず、駆け引きなどを磨いていかないと上では通用しないと痛感しました。そこで勝てるようになってからもなかなか、"自分はいける"という感覚は持てなかったですね。

 初めてのグランプリはよく覚えています。コロナ禍前だったこともあり、お客さんの入り方もすごく、レース前にバンクに入った瞬間の観客席の景色がこれまでと違いました。武者震いのような自分のなかにない感情が湧いてきましたし、走り終わってからも"またここで戦いたい"と強く思いました」

 このグランプリの光景は強烈に心に刻み込まれたと郡司は振り返る。

競輪・郡司浩平「もう親子じゃない」の言葉で決意し競輪界へ S級S班からの陥落&再昇格で芽生えた新境地も語る
安定して高い結果を残し続ける郡司 photo by Gunki Hiroshi

【S級S班降格がもたらしたもの】

 2019年に初めてグランプリに出場した郡司。2020年は2000人を超える競輪選手のトップのなかのトップである9人のみが所属する最上位クラス、S級S班での戦いとなった。

「もちろん喜びはありましたが、"自分でよかったのかな"という思いのほうが強かったです。受けて立つ立場になりましたが、自分としては常に必死でした。もちろん、またグランプリに出てさらに上を目指そうと思って頑張っていましたが、それ以上に、ここから落ちてはいけない、という気持ちのほうが大きく、消極的に過ごしていたと思います」

 そこから4年間、S級S班の地位を守り続けるも、2023年は奮わず、その座から陥落。2024年はS級1班として戦うことになる。だが本人は「逆にスッキリしました。また新たな気持ちで上を目指せるというスイッチが入りました」と前向きに受け止めた。それを示すかのように2024年最初のGIである全日本選抜競輪で優勝を果たし、S級S班への再昇格が決まった。

「落ちて最初のGIで勝てたときには、さすがに出来すぎだと思いましたが、気持ちを結果として出せてよかったですし、本当にうれしかったです。一度、落ちたことで今は堂々と受けて立てる心境になりましたし、以前とは違う気持ちです。もう守っている感覚はありませんし、新たな気持ちで上を目指せています」

 一度、トップカテゴリーから降りたことで、精神的な変化を手にできたと郡司は考えている。

競輪・郡司浩平「もう親子じゃない」の言葉で決意し競輪界へ S級S班からの陥落&再昇格で芽生えた新境地も語る
メンタル面の成長も実感する郡司 photo by Gunki Hiroshi

【これからも悔いなく、自然体で】

 S級S班に所属し、グランプリ優勝という頂点を目指す、紛うことなきトップレーサーの郡司だが、本人としては「特別なことはしていない」という認識だ。「ただ常に強くなることだけを考えて生活してきた」と、こともなげに話す。

「今、振り返ってみても、自分なりに精一杯やってきましたし、ああしておけばよかったと思うことはありません。野球をやっていたときも毎日、悔いなくやろうと過ごし、実際にそのとおりにできましたし、それは競輪選手になっても変わりません。逆に練習をやっていないと、また落ちてしまうんじゃないか、置いていかれてしまうんじゃないかと、不安になってしまうところも少なからずあります。これは性格ですね」

 ただレースになると不安な気持ちはいっさい感じないという。近年はGIやグランプリといった大舞台になると自然と気持ちが高ぶるなか、冷静な視点で自分を見つめ直し、メンタルのコントロールができるようになった。「レースになればやりたいことはだいたいできますし、練習よりレースのほうがパフォーマンスを発揮できています」と心身の充実ぶりを口にする。日々の生活や練習でやるべきことをやり、心を落ちつかせて自然体でレースに挑む。それが郡司のスタイルだ。

 出場するGIはすべて優勝を狙い、その先のグランプリ制覇という夢もある。グランプリはこれまで5回出場して、3着が2回。レーサーとして最高峰の頂点を極めたいという思いは強い。

「自分自身がグランプリを獲った瞬間の景色を見たいという思いもありますし、応援してくれたり、お世話になった方たちにその景色を見せたいとも思っています。

過去2回も自分のなかでは優勝まで遠く感じたので、もっとやらないといけないことはあります。その練習は苦しいですし、キツいことのほうが圧倒的に多いでしょうが、勝ったときの喜びを考えれば、その苦しさは苦しさに感じないはずです」

 努力することは当然のこと。これまで同様、それを淡々とこなしていくだけだと話す。郡司はこれからも悔いのない毎日を過ごし、自然体で高みを目指し続ける。

【Profile】
郡司浩平(ぐんじ・こうへい)
1990年9月4日生まれ、神奈川県出身。幼き頃から野球に励み、小学生時代には全国リトルリーグ野球大会で優勝。高校まで野球に打ち込んだあと、競輪選手を目指す。競輪学校(現日本競輪選手養成所)を経て、2011年にデビュー。2年後(2013年)にはS級に昇級するなど順調に成長し、2020年には競輪祭でGI初優勝を飾る。同年から4年連続で最高ランク(上位9選手)のS級S班に所属。一時陥落するも、翌年には復帰した。KEIRINグランプリには過去5回出場している。

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