【短期集中連載】
若かりし角田裕毅の素顔01(全5回)前編
「2017年~2018年:渡欧前夜」

 F1ドライバー角田裕毅は、どのようにして形づくられていったのか。

 入門フォーミュラのFIA F4を制すると同時にヨーロッパへと飛び出した角田裕毅は、FIA F3、FIA F2とステップアップして、一気にF1へと駆け上がった。

 デビューシーズンは順風満帆の開幕戦の直後から大きな挫折と不振を味わいながら、最終戦で4位入賞を果たした。そうやって5年目を迎えた今年、レッドブルに昇格して再び目の前の壁と戦い、それを乗り越えようと悪戦苦闘している。

 カート時代からF1に至るまで、角田のキャリアを支えた人物は数多く存在する。しかし、角田がF1に駆け上がるその姿を最も間近で支え、見守ってきたキーマンのひとりが、ホンダのF1マネージングディレクターを務めていた山本雅史だというのは間違いない。

 SRS(鈴鹿レーシングスクール)からF1に至るまで、知られざる角田裕毅の素顔と成長を紐解いてもらうことにした。

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【F1】15歳の角田裕毅は「いい意味で変わっていて面白い」中...の画像はこちら >>
── 2017年にFIA F4に参戦する前、2016年にSRS-F(鈴鹿レーシングスクール・フォーミュラ、現HRS-F)を受講した当時15~16歳の角田選手の印象を教えてください。山本さんはホンダのモータースポーツ部長として、モータースポーツ活動全体を統括する立場にありました。

「SRS-Fの角田は主席でなくて、スカラシップが獲れなかったんですよね。でも、中嶋(悟/当時SRS校長)さんが後押ししてくれたんです。

『角田っていうのがいて、彼の走りはいい意味で変わっていて、面白くて速いんだ。面白いドライバーだから、ホンダが支援したほうがいいんじゃないか』とおっしゃって、中嶋さんがそう評価されるくらいなら支援したらいいんじゃないかと。それでホンダからも、ある程度の支援をすることになったんです」

【F4の角田はダントツに速かった】

── 中嶋さんが高く評価されていたんですね。

「ただ個人的には、当時SRSやF4といった育成プログラムは担当者に任せていたので、正直言うと、当時の角田の印象はそのくらいしかないんです。

成績ではその年、大湯都史樹(おおゆ・としき)と笹原右京(ささはら・うきょう)がスカラシップを獲りましたから。

 やはり大きかったのは、中嶋さんの言葉でした。中嶋さんが拾ってくれていなくて、僕に話してくれていなかったら、僕も角田のことは印象に残っていなかったかもしれません」

── 結果として2017年、角田選手は日本のFIA F4に実質的なホンダワークスチームから参戦することになりました。

「2017年は、現場で担当者から『檄(げき)を飛ばしにいってください』と言われて、グリッドに行って少し言葉を交わしました。その時の印象も『この子が角田くんかぁ』というくらい。だから1年目は、本当に印象に残っていないんです。

 でも、成績を見ればランキング3位(ポールポジション4回・3勝)で、大湯や笹原と全然見劣りがしなかったんですよね。そして2年目の2018年は、開幕からダントツに速くてトップにしかいなかった(最終的にポールポジション8回・7勝でチャンピオン獲得)。

 そうこうしているうちに、7月くらいにF1の現場で(ヘルムート・)マルコさん(レッドブル・モータースポーツアドバイザー)と『ホンダとレッドブルで育成プログラムをやろう』という話になったんです」

── 2018年からホンダはトロロッソにパワーユニット供給先が変わり、2019年からレッドブルにも供給を開始することが決まった時期でした。

「日本人でF1の表彰台の真ん中に立ったドライバーはまだいないので、僕もマルコさんも『絶対にそれを実現させたい』というのをずっと話していました。僕としても、自分がF1活動に携わっている間に何としても日本人をF1に乗せたい、できれば表彰台の真ん中に立たせたい、という思いがあったんです」

【鳥肌が立ったモナコでの君が代】

── いつか日本人をF1の表彰台の中央へ......。

「当時FIA F2では松下信治(まつした・のぶはる)ががんばっていて、モナコで日の丸が揚がって『君が代』が流れた時、鳥肌モノですごく感動的だったんですよね(GP2シリーズ第2戦モナコで松下が日本人ドライバー初となるモナコ市街地サーキットでの優勝を飾った)。

 そういうのを何度か経験していると、F1でもこれを実現したいという思いが強くなりました。だから、レッドブルジュニアチームと提携をして、日本人ドライバーをF1に昇格させようと。

 そんな矢先の7月に、マルコさんから『ハンガリーでF3マシンを使ったテストをするから、日本人の育成プログラムのなかで一番いいドライバーを連れてこい』と言われたんです。角田が序盤戦で何勝も挙げていたので、国内の担当と話したら『今シーズンは角田がダントツです』と。それでホンダの本社に角田を呼んで会ったのが、初めて彼としっかりと話した機会でした」

(つづく)

◆角田裕毅の素顔01後編>>「たった2日間のF3ドライブでトップタイムをマーク」


【profile】
山本雅史(やまもと・まさし)
1964年3月15日生まれ、奈良県出身。高校卒業後の1982年、本田技術研究所に入社。2016年、マネージメントの手腕を買われてホンダ本社のモータースポーツ部長に就任。2019年にF1担当マネージングディレクターとなり、2020年のアルファタウリ優勝や2021年のレッドブル・ドライバーズタイトル獲得に貢献。2022年1月にホンダを退職し、現在はMASAコンサルティング・コミュニケーションズ代表を務める。

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