【不定期連載】五輪の42.195km レジェンドランナーの記憶.8
福士加代子さん(中編)
陸上競技のなかでもひときわ高い人気と注目度を誇るマラソン。五輪の大舞台で世界の強豪としのぎを削った、個性豊かな日本人選手たちのドラマは、時代を越えて人々の心を揺さぶる。
そんなレジェンドランナーの記憶をたどる本連載。今回は、オリンピックにトラック種目で3回(2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドン)、マラソンで1回(2016年リオデジャネイロ)と、日本の陸上女子選手として史上初めて4大会連続出場を果たした福士加代子さん。全3回のインタビュー中編は、34歳の時に出場したリオ五輪での苦闘を振り返ってもらった。
>>>前編「『トラックの女王』福士加代子は初マラソンでゴール直前に何度も転倒『完全になめてましたね。ボロボロでした』」を読む
【不定期連載】五輪の42.195km レジェンドランナーの記憶
【リオ五輪の時は体の声が聞こえなくなっていた】
2016年リオデジャネイロ五輪の女子マラソン代表は、2015年世界陸上北京大会で7位入賞の伊藤舞(大塚製薬)がすでに内定を得ており、残りの枠は2つだった。
2016年1月の大阪国際女子マラソンで、その伊藤の世界陸上でのタイム(2時間29分48秒)をはるかに上回る2時間22分17秒で優勝した福士加代子(ワコール)には、即内定が出てもおかしくはなかった。だが、日本陸連は判断を保留。そのため、ワコールの永山忠幸監督は、抗議の意味もこめて国内最終選考レースとなる3月の名古屋ウィメンズマラソンでも福士を走らせると宣言した。
「監督は『名古屋に出ると言ったよ』って言っていたけど、私はまだ覚悟が決まっていなかったので、正直、『どうすんの?』って思っていました(苦笑)。そこからいろいろ注目されて、けっこう批判もされましたね。まぁ、でも、叩かれるのは苦じゃなかったです。それまでも何度も叩かれてきましたし。私はパフォーマンスで見返せばいいと思っていました。
永山監督と福士が選考に一石を投じた波紋は大きく、賛否両論、様々な意見が飛び交い、俄然、名古屋ウィメンズは注目された。最終的には、日本陸連が福士に出場回避を要望し、福士はそれを受け入れた。そして、レースでも福士を上回るタイムを出せた選手はひとりもおらず、福士は自身初めてとなるマラソンでのオリンピック出場を決めた。
リオ五輪のマラソン代表になった福士は、本番に向けて合宿に入った。その際、それまでと異なる感覚を覚えた。
「その時は34歳だったんですけど、体の声が聞こえなくなってきたんです。1回練習で叩いて刺激が残り、その2日後に返ってくるみたいな感じで、トレーニングと休養が合わなくなったんです。やりたい気持ちとトレーニングとその成果の流れがうまくつながらなくて、面倒くせーなって思っていました(苦笑)」
大阪国際女子マラソンで日本人トップを獲ったレースの再現を目指して、福士はその時の練習メニューをトレースした。スポーツではよく再現性という言葉が使用されるが、それは選手のさらなるパフォーマンス向上に必要なものだ。
ただ、マラソンについては、必ずしも自分のよかった時やほかの誰かと同じ練習メニューをこなせばいいというわけではなく、実際、高橋尚子や野口みずきも「ハーフマラソンまでと違って、マラソンは別もの」と語っている。
「高橋さんと野口さんは、練習でやりきって結果を出してきた人たちじゃないですか。
でも、野口さんの練習をうまくアレンジして(2024年に)日本記録を出したのが前田(穂南)さん(天満屋)で、その練習を完璧にこなして(2020年の)名古屋ウィメンズで優勝したのが一山(麻緒)さん(当時ワコール)でした。私はその半分もこなせなかったし、練習ができないのが、ほんとストレスでした」
【自分の逃げ場をなくすための金メダル宣言】

リオ五輪の前は、単独合宿ではなく、チームの海外合宿に参加した。
「私は、マンツーマンはダメなんです。練習中に1対1で声をかけられるじゃないですか。『がんばれ』って言われても、『うるさい。黙れ。もう無理』って言ってしまうんです(苦笑)。しかも、マンツーマンの合宿でちゃんと走れた記憶がない。仲間が3、4人いるなかで混ぜてもらって練習していました」
リオ五輪のコースは、前半10kmと後半10kmを軽く走って確認し、全体をざっくりと把握した。レース前日、永山監督からは「最初は前についていけ。
「監督はもう20年間、同じことしか言わない(笑)。そういう意味ではブレない人なんだなって思いましたね。メンタルも『前に攻めるだけでいい』って感じで、もうやるか、やられるかの世界でした。実際、私自身もいくならとことんいくしかないというスタイルで、前にしかいけない人だったんです」
リオ五輪前、福士にしては珍しくメダルに言及し、「金メダルを獲る」と宣言した。
「金メダルと言ったのは、言わないとモチベーション的にも気持ち的にも持たなかったからです。それまで(トラックで)オリンピックに3回出て、オリンピックはどんなものかもわかっていたし、正直、飽きてきていたんです。
でも、リオはマラソンだから初出場みたいな感覚で、オリンピックに出ただけでいいみたいにならないようにしないといけない。だから、目標を明確にして、自分の逃げ場をなくし、自分に負けないようにするために必要なことだったんです」
金メダルを目指すと言った以上、やらないといけないと思い、練習で自分を追い込んだ。レース本番前日には、あとはスタートを待つだけという穏やか気持ちになれた。
2016年8月14日、リオ五輪の女子マラソンがスタートした。
序盤の5kmは17分23秒というスローペースで入った。12kmの給水ポイントで第2集団に位置していた福士は前を追い、先頭集団に追いついた。だが、中間地点で先頭集団がペースアップすると、福士はそのスピードについていけず、25km地点ではトップと1分の差がついた。
「20kmぐらいかな、ふっと力を抜いたら、その間に前がいってしまって......。切り替えて、前に追いつけばよかったんですけど、そのままいかれてしまいました。そこから自分の調子が戻ってくることもなく、気がついた時にはもうガス欠でしたね」
【「『みんな、落ちてこい』と呪いをかけていた(笑)」】
前との距離は開いたが、福士は懸命に腕を振り、最後まで目標をあきらめなかった。
「どれだけ離されても金メダルを目指すと思いながら走っていました。周囲の選手は気にしてないですね。5000m、10000mなら気にする余裕もありますけど、マラソンは自分が一番下だと思っているので、速い人たちにどれだけついていけるかしか考えていないです。そうして最後、勝負できるところまで一緒にいれたら面白いじゃんって。
そこまでいくと、相手のしんどさとか息づかいもわかるので、レース後、お互いに称え合ったり、仲間になった感じがある。それがマラソンの面白さでもあるんです。
福士はお祭り騒ぎのゴール会場に入り、最後の最後でひとりを抜き、日本選手トップの14位でゴールした。
「『おぉ、これがリオのカーニバルかぁ。お疲れっ』て思いました。最後までやりきった感がありましたし、充実してたなぁと。ただ、結果がついてこなかったので、物足りなさもありました。14位ですからね(苦笑)。まさか、あんなに落ちこぼれるとは思っていなかったので自分でもびっくりでした」
それまでオリンピックに3度出場し、そこでメダルを獲ることの難しさは理解していたはずだが、マラソンで出場したリオ五輪であらためて実感した。
「メダルを獲りたいと有言実行できる人はすごいですよ。その思いが濃厚な人がメダルを獲るんだなって思いました。私は、メダルを獲るためには、もうちょっと走りを含めて細かく分析して、何をすべきか自分で理解すべきだったと思います。監督は『お前はそんなことができないタイプだから、俺が全部やってやる』という感じだったと思うんですけど、それならもうちょっと緻密にいろんなことを教えてくれてもよかったのにとも思いますが、私が監督とその部分でもっとコミュニケーションをとる必要があったかもしれないですね(苦笑)」
(つづく。文中敬称略)
>>>後編「現役引退から3年半、福士加代子は『いまだにマラソンのことはわからないし、走りたいと思うこともない(苦笑)』」は8月17日(日)に配信予定
福士加代子(ふくし・かよこ)/1982年生まれ、青森県出身。