高校野球の継投は難しい。
絶対的なエースに頼る時代は終わり、複数の投手で酷暑の甲子園を戦う時代になった。
高校野球監督に「継投の鉄則」を聞くと、多くの監督はこう答えるだろう。
「替えるなら、イニングの頭から」
イニング途中に走者がたまった状態で交代するよりも、イニングの最初からマウンドに立たせたほうがいい。それは高校野球界の「常識」と言っても過言ではない。
しかし、そんな常識を打ち破るような存在が、横浜(神奈川)にいる。
【神奈川大会はすべて打者一人で交代】
背番号18、片山大輔(3年)。
片山は高校野球では極めて珍しい、ワンポイントリリーフである。
「横浜の大輔」と聞けば、伝説的な大投手である松坂大輔(元西武ほか)を連想するだろう。だが、片山の名前の読みは「おおすけ」である。
「親から言われるんです。『おおすけ』のほうが、逆に覚えてもらいやすいんじゃない? って」
片山は苦笑交じりに、そう漏らした。
身長183センチ、体重86キロのたくましい体躯。
横浜には奥村頼人(3年)と織田翔希(2年)というプロ注目の左右二枚看板がいる。そのチーム事情を差し置いても、片山をワンポイントリリーフとして使うのは、あまりにも贅沢に感じられる。
ワンポイントで投げるために、どんな準備をしているのか。もっと長いイニングを投げたくはないのか。「横浜以外のチームならエースになれるのに......」と恨めしく思うことはないのか。片山に聞きたいことは、たくさんあった。
【選抜決勝戦での1球リリーフ】
片山の存在を世に広く知らしめたのは、今春の選抜決勝戦(横浜対智辯和歌山)だろう。
横浜が3対1とリードした6回表、一死三塁の場面で智辯和歌山の主砲・福元聖矢が打席に入った。カウントが2ボール2ストライクになった時点で、横浜の村田浩明監督は投手交代を指示する。先発した織田に替わり、片山がマウンドに上がった。
片山はスライダーを投げ込み、福元を空振り三振に仕留める。たった1球で片山は交代が告げられ、ベンチへと戻った。
「投げた瞬間、『やべ!』って思いました。スライダーが抜けたので、見逃されたらボールでした。でも、腕を強く振れたから三振を取れたのかなと思います」
片山は極限状態をそのように振り返る。この「片山の1球」の直後、横浜打線が6得点と爆発。最終的には11対4のスコアで優勝を飾っている。
村田監督は試合後、片山の集中力を考慮して打者1人で交代させたという主旨のコメントを残している。本人はどう感じていたのか。
「自分のなかでも三振が取れてホッとしたところがあったので、あのまま次のバッターに投げていたらどうなったのかな......と思ってしまいますね」
決勝戦の前日、村田監督から「1球(のみの登板)もあるぞ」と告げられていた。片山は「ここで(自分の出番が)くるとは思わなかった」と戸惑いつつも、ブルペンで準備は進めていた。
【集中力は自然と高まる】
片山はチームのムードメーカーという側面もある。ベンチでは大きな声を出してチームを鼓舞し、守備中には伝令として監督からの指示を伝える。
「監督から『この場面でいく』とは言われません。でも、『(肩を)つくっとけ』と言われたら、心の準備を始めます。ブルペンでピッチングをしながら、『そろそろくるんだろうな』と思った瞬間に(出番が)くることもあれば、『えっ、ここでくる?』ということもあります。監督の考えを理解して、準備するようにしています」
どのようにして、気持ちを高めていくのか。そう尋ねると、片山は少し難そうな顔で考え込んだ。
「集中力って、自然と高まっていくものだと思うんです。人からつくられた集中は長く続かないと、村田監督から何回も言われていました。監督から『つくれ』と言われて、準備して、『そろそろかな......』と思う時には、もう自然と集中している。そんな感じです」
もちろん、公式戦で「ぶっつけ本番」というわけではない。練習試合では、さまざまなシチュエーションでテストされたという。
「バッターの途中で替わるパターンは、けっこうやってきました。
ここで、どうしても気になっていたことを聞くことにした。「もっと長いイニングを投げたい」と思うことはないのか。
すると、片山は少し間を置いてから、静かに語り始めた。
「新チームになってすぐ、『自分が先発することはないな』と思いました。奥村と織田のふたりがいるので。それなら、自分の役割を見つけて、まっとうしようと思いました」
【コントロールもメンタルも奥村には勝てない】
片山は茨城県日立市出身で、中学は常陸太田シニアで活躍した。当然、強豪校から誘いを受けたが、片山は名門・横浜への進学を希望する。同校のOBであり、同じ左腕である杉山遥希(西武)に憧れたからだ。
「杉山さんのようなエースになって、甲子園で活躍したい」
入学当初は、そんな思いを胸に秘めていた。同期の左腕・奥村に対しては、「負けたくない」とライバル心を燃やした。だが、片山が1年時にケガをしたこともあり、差は開く一方だった。
「コントロールもメンタルも、奥村に勝てないことばかりでした。人間的にも実力的にも、真のエースにふさわしいのは奥村です。左ピッチャー同士で話すこともありますけど、吸収させてもらうのはいつも自分ばかりで。だから、自分は自分の役割で、力を発揮したいと思うようになったんです」
主役になりたい──腕に自身のある者ならば、誰もが抱く感情だろう。しかし、野球は同時にフィールドに立てる人数が9人までと決まっている。チームが勝つために自分にできる仕事を探し、とことん追求する。それができたからこそ、横浜は今春の選抜を制し、今夏も甲子園で勝ち進んでいるのだろう。
強調しておきたいのは、片山は決して卑屈な感情でワンポイントリリーフをこなしているわけではないということだ。
片山は不思議そうな表情で、こう語っている。
「何でかはわからないんですけど、自分がリリーフに成功した試合は、その直後に打線が点を取ってくれるんです。秋の健大高崎戦(関東大会決勝)もそうだったし、選抜の智辯和歌山戦(決勝)も、春の相洋戦(神奈川大会準決勝)も、夏の立花学園戦(神奈川大会準決勝)もそうでした」
片山がリリーフに成功した試合は、打線が爆発する。
最後に、愚問と思いつつも聞いてみた。「『他校ならエースなのに......』と思うことはないですか?」と。片山はフッと笑い、即答した。
「今の実力があるのは、横浜高校にいるからです。監督、コーチ、いろんな先生方や仲間たちに支えてもらって、今の自分がいます。もし、そんなことを言う人がいたとしても、『言わせておけ』と思っています」
片山大輔、ワンポイントの矜持。
甲子園のブルペンでも、ひっそりとドラマが展開されている。