MLBのサムライたち~大谷翔平につながる道
連載04:新庄剛志
届かぬ世界と思われていたメジャーリーグに飛び込み、既成概念を打ち破ってきたサムライたち。果敢なチャレンジの軌跡は今もなお、脈々と受け継がれている。
MLBの歴史に確かな足跡を残した日本人メジャーリーガーを綴る今連載。
第4回は、イチローとともに日本人野手として初のメジャーリーガーとなり、日本人として初めてワールドシリーズに出場した新庄剛志を紹介する。
【20年以上経っても色褪せない実働3年の記憶】
わずか3年間で、通算成績は303試合で打率.245、20本塁打。そんな最終成績だけを見れば、新庄剛志のメジャー挑戦は失敗に終わったと考えるファンもいるのかもしれない。しかし、実際にはイチローとともに日本人野手では初のメジャーリーガーとなった新庄のアメリカでのキャリアは、ハイライトに満ちていた。
少なくともニューヨークでは"Shinjo"が好意的に記憶されていることは、『ニューズデイ』紙の記者としてニューヨーク・メッツ時代の新庄を取材したデイビッド・レノン記者のこんな言葉が象徴しているのだろう。
「間違いなくメジャーでも足跡を残した選手だと思う。最初に来たときも、みんなが彼の話をしていたし、彼が現れると周囲の注目を一身に集める"磁石"のような存在だった。今でもニューヨークで"Shinjo"の名前を出すと、誰もが笑顔になる。メジャーやニューヨークでのキャリアは彗星のように短かったけれど、確かに人々の心に残っているよ」
阪神のスターだった新庄は2000年11月にFA(フリーエージェント)を宣言すると、残留を願う阪神など数チームからオファーがあるなか、メッツへの移籍を発表。契約内容は契約金30万ドル(約4350万円)、年俸20万ドル(約2900万円)、プラス出来高50万ドル(約7250万円)という破格の安さであり、当初は"第4の外野手"という役割でのスタートだった。
ただ、その後は独特の勝負強さ、優れた外野守備、稀有なスター性で主力選手への階段を駆け上がっていく。満塁では12打数7安打、打点17をマークし、勝利打点11もチーム最多タイ。
この年のメッツはナ・リーグ東地区優勝を飾るアトランタ・ブレーブスに一時は大差をつけられたが、9月に16勝5敗と猛追。9月11日の米同時多発テロ直後では初めてのホームゲームとなった同21日のブレーブス戦には、ピアザの逆転2ランで勝利を飾るなど、ドラマチックな軌跡を辿った。
そんなチームのなかで存在感を存分に発揮したのが背番号5だった。結局はプレーオフ進出を果たせなかったものの、外野の3つのポジションで攻守を連発し、チームを助けた新庄を、メッツファンも好意的に記憶していることは間違いない。
【「いつ死ぬかわからないでしょ? だから−−」】
何より、その派手なファッションとスター性は、ニューヨークに最高のハマり具合を見せた。大きなピアスやネックレスといったアクセサリー、金髪などの奇抜なヘアスタイルは個性的で、ルーキーながらファッションリーダーになった度胸、フィールド上のハッスルプレーが相まって、新庄は地元のカルトヒーローになったのだった。
「"大都市向き"の性格だったと思う。スポットライトを浴びてもまったくひるむことがなかったし、注目されることを避ける必要も感じていなかった。とても社交的で、スポットライトを好む人間だった。だからニューヨークは彼にとって完璧な場所だったのだろう。スポットライトを浴びるということは批判も受けるということだから、強いメンタルが必要だけど、彼はそういう部分をあまり気にしていないように見えた」
レノン記者のそんな記憶どおり、新庄とメッツの邂逅(かいこう)は幸せな出会いだったのだろう。
2001年末、トレードでサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。バリー・ボンズとチームメイトになったことも話題になり、その年は日本人初のワールドシリーズでプレーする選手にはなったものの、個人成績は精彩を欠いた。2003年にはメッツに復帰したものの、1年目の輝きを取り戻すことは叶わなかった。たとえそうだとしても、短期間に強烈な輝きを放った新庄の"成功者"という印象は多くのニューヨーカーの中で変わることはない。
一度は球界から離れていた2020年。新庄がこう語っていたことがある。
「いつ死ぬかわからないでしょ? それまでに思いっきり自分のやりたいことをやりたい。それが目標。後悔はせずに、いつ死んでもいいですよっていう気持ちのモチベーションを毎日持って生きていきたい」
"自分のやりたいことをやりたい"と願いながら誰もが生きているが、それをやり遂げるのは並大抵のことではない。そこには責任が伴い、"いつ死んでもいいように生きる"のは現実的には年齢を重ねるごとに容易ではなくなる。
そんな社会のなかで、生き馬の目を抜くようなニューヨークの街でも誰よりも自分らしさを貫いたのが新庄だった。楽しそうにベースボールをプレーする姿を見せられ、ニューヨーカーも素直に脱帽し、万雷のスタンディングオベーションを送ったのである。
【Profile】本名:新庄剛志(しんじょう・つよし)/1972年1月28日生まれ、福岡県出身。西日本短期大学附属高―1989年NPBドラフト5位(阪神)。2000年にフリーエージェントで、ニューヨーク・メッツと契約。メジャーリーグから日本球界に復帰した後は北海道日本ハムでプレー。2022年から北海道日本ハムファイターズ監督。
●NPB所属歴(13年):阪神(1991~2000)―北海道日本ハム(2004~06)
●NPB通算成績:1411試合出場/打率.254/1309安打/205本塁打/716打点/73盗塁/出塁率.305/長打率.432
●MLB所属歴(3年):ニューヨーク・メッツ(ナ/2001)―サンフランシスコ・ジェイアンツ(ナ/2002)―ニューヨーク・メッツ(ナ/2003) *ナ=ナショナルリーグ
●MLB通算成績:303試合出場/打率.245/215安打/20本塁打/100打点/9盗塁/出塁率.299/長打率.370