連載・日本人フィギュアスケーターの軌跡
第3回 高橋大輔 前編(全3回)

 2026年2月のミラノ・コルティナ五輪を前に、21世紀の五輪(2002年ソルトレイクシティ大会~2022年北京大会)に出場した日本人フィギュアスケーターの活躍や苦悩を振り返る本連載。第3回は、トリノ、バンクーバー、ソチの3大会に出場した高橋大輔の軌跡を振り返る。

前編は、日本男子の唯一の代表として戦った初の五輪となったトリノ大会について。

高橋大輔が「素直に喜べなかった」初の五輪代表入り 焦り、緊張...の画像はこちら >>

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【ひとりで世界と戦い「つらかった」】

 フィギュアスケート日本男子が世界と戦う礎を築いた本田武史の努力を受け継ぎ、さらなる躍進の中心的存在となった高橋大輔。2002年世界ジュニア選手権では日本男子として初優勝を果たし、シニア移行2シーズン目には世界選手権にも出場した彼が、世界との戦いを強く意識したのは、2005年世界選手権の苦戦からだっただろう。

 その世界選手権は、翌2006年トリノ五輪出場枠獲得がかかった重要な大会だった。この2004−2005シーズン、高橋は全日本選手権6位ながら、四大陸選手権では3位になって世界選手権の代表になっていた。

 予選前日の公式練習で全日本選手権優勝の本田が右足首をねんざ。強行出場したが、最初の4回転トーループで激痛のために倒れて担架(たんか)で運ばれて棄権する事態になった。予選不通過は20位の扱いになるため、日本の五輪出場枠2枠獲得のためには高橋が8位以内に入らなくてはいけなくなった。

 そんななか、ショートプログラム(SP)で高橋は冒頭の4回転トーループ+3回転トーループも決め72.18点の7位といい滑り出しをした。しかし、フリーでは強烈なプレッシャーに襲われていた。

「予選とショートでは次があると思って演技できたが、(フリーの)今日はウォーミングアップの時から焦ってそわそわしてしまいました。出場枠のことは考えないようにしたけれど、今の順位より下がりたくないと守りに入ってしまった......」

 予選とSPで決めていた最初の4回転トーループが3回転になって転倒すると、焦りは大きくなった。トリプルアクセル2本はなんとか決めたが、後半のループが2回転になって再び転倒。

次の3回転ルッツは着氷を乱し、3回転フリップも転倒とミスを連発した。

 フリーは108.04点の18位で総合順位は15位。高橋は「ひとりで戦うのはつらかった。自分がやらなければいけないと思ってしまい、気持ちが3日間持ちませんでした。今は落ち込んでいます」と、呆然とした表情で話していた。

【「素直に喜べない」優勝で唯一の五輪代表に】

 だがトリノ五輪シーズンは順調だった。GPシリーズ1戦目のスケートアメリカで優勝し、GPファイナルは日本男子初の表彰台となる3位に入った。

 NHK杯優勝の織田信成との五輪代表をめぐる最終決戦となった2005年12月の全日本選手権。SPで高橋は、最初の3回転フリップ+3回転トーループをきっちり決めたが、次のトリプルアクセルがパンクしてシングルになるミスとなる。

「6分間練習でトリプルアクセルがそんなによくなかったので、不安になった部分もあります。跳んでやろうというのが強くなりすぎて力が入ってしまったけれど、最後までバテないで元気に滑れたのはよかったです」と、高橋が振り返る演技だった。

「失敗したわりに得点が出た」というように74.52点。ノーミスの滑りで79.90点を出した織田に次ぐ2位発進だった。

 フリーは織田が先に滑った。織田は最初に入れたトリプルアクセル+3回転トーループ+2回転ループの最後で転倒したが、そのあとはきっちり滑って146.20点を獲得。合計を226.10点にしてトップに立つ。

 そして高橋は、最初の4回転トーループが3回転になるミス。それでも次のトリプルアクセル+3回転トーループから立て直した。演技の後半に入ってすぐのトリプルアクセルはシングルになったものの、そのあとはしっかりと滑りきった。

「4回転はタイミングが合わず、トリプルアクセルも狙いすぎたが最後は上げられた。五輪に行きたいと意識してすごいプレッシャーでしたが、それと付き合っていかなければいけないと思いました」

 こう話す高橋のフリーの得点は148.60点で、合計は223.12点と織田に及ばず。流れ出る涙を高橋は、「悔し涙です」と説明した。

 だがのちに織田のスコアに採点ミスがあったと判明した。冒頭の3連続ジャンプ3本目の2回転ループは、3回転ループを挑んだうえの回転不足という判定に。2本跳べる3回転ジャンプは2種類までというルールがあり、トーループとループを2本ずつ跳んだあとの最後の3回転ルッツは無効となり、フリーの得点が変更。

合計は218.70点となり、一転、高橋の優勝となった。当時の新しいジャッジシステムに不慣れだったことが招いたミスだった。

「順位が変わっての優勝というのは素直に喜べないです。ショートとフリーでアクセルをパンクしてなかったら文句なしに勝ったと思うので、やっぱり自分のミスだと思います」と高橋は話したが、「トリノ五輪へ行くなら全日本チャンピオンとして行きたかった」との自身に課したノルマは達成する形になった。

【焦りと緊張のなかでも感じられた成長】

 初めての挑戦となった2006年2月のトリノ五輪。これまで6大会連続メダル獲得でこの大会でも期待されていたスピードスケートの日本勢は男女500mともに4位が最高と、あと一歩でメダルを逃していた。そんななか行なわれたフィギュアスケートの男子SP。高橋は1番滑走で、次には世界選手権3回優勝のエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)が控えるプレッシャーのかかる条件だった。

 最初の3回転フリップ+3回転トーループは耐える着氷になり、次のトリプルアクセルは高さが出ずにオーバーターンとなってGOE(出来ばえ点)減点のジャンプになった。しかし次のシットスピンから立て直し、3回転ルッツをきれいに決めると、サーキュラーステップとストレートラインステップも躍動感があった。

 得点は73.77点の5位。1位はプルシェンコで90点超と抜け出したが、4回転を跳んで3位に入ったステファン・ランビエール(スイス)には5点ちょっとの差という、上出来と言える滑り出しだった。

 2日後のフリーは、高橋にとって世界大会で初めての最終グループとなったうえに、最終滑走というプレッシャーがかかる状況だった。暫定1位は258.33点のプルシェンコで、3位は6位から順位を上げてきたジェフリー・バトル(カナダ)。高橋は153.82点を出せば並べる得点差だった。スケートアメリカで自己最高の149.44点を出した時よりも構成難度を上げていることを考えれば、無理な数字ではなかった。

 だが、高橋は最初の4回転トーループをダウングレードで転倒。「スタートポジションについたらすごく緊張して、滑り出しは体が全然動かなくて焦った」と振り返ったものだった。それでメダルへの期待はついえたが、そのジャンプが3回転トーループと判定されたことが結果にも響いた。

 次は連続ジャンプの予定だったトリプルアクセルが単発になると、3連続ジャンプを予定していた3回転ルッツに3回転トーループをつけてリカバリーしてしまった。その後、2本目のトリプルアクセルを跳んだあとの3回転ルッツが、2回跳んだ3種類目のジャンプとなって0点の判定に。合計は204.89点で総合8位に落とす結果になった。

「4回転もですが、後半のスピンも練習ではできていたけど本番はバテてレベルを落としてしまいました」と反省を口にする高橋だが、11位と15位だった過去2回の世界選手権より順位を上げる結果となった。

「先シーズンの状態だったらもっと最悪なことになったと思いますが、焦っていても今日ぐらいの出来で終われたのは成長したということ。

守りに入らず挑戦したからよかったし、これがスタートだと思って初心に戻ってやっていきたいです」

 高橋はそう話して前を向いた。

中編につづく

<プロフィール>
高橋大輔 たかはし・だいすけ/1986年、岡山県倉敷市生まれ。8歳でスケートを始める。2002年世界ジュニア選手権優勝。2006年トリノ大会、2010年バンクーバー大会、2014年ソチ大会と五輪3大会連続で入賞。バンクーバー大会では日本男子初の銅メダルを獲得。2014年に一度現役を退き、2018年に32歳で復帰。2020年にはアイスダンスへ転向し、村元哉中とカップルを結成。2022年全日本選手権で優勝。2023年に競技を引退し、現在はプロスケーターとしてアイスショーのプロデュース・出演を行なう。

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