その表情には、充実感が滲んでいた。
「格上相手に勝つことができて、うれしいです」
勝利チームのインタビュールームに現れた京都国際の正捕手・猪股琉冴(3年)は開口一番、そう言って汗を拭った。
【下馬評では健大高崎が優位】
8月13日、甲子園初戦屈指の好カードと注目された、京都国際対健大高崎(群馬)。下馬評では、横浜と並ぶ優勝候補に挙がる健大高崎が優位と見られていた。
だが、京都国際は健大高崎の誇る豪華投手陣から6得点を奪い、主導権を握った。守っては、エース左腕の西村一毅が3失点で完投。6対3で京都国際が快勝を収めた。
京都国際は昨夏の甲子園優勝チームであり、西村ら昨年の優勝経験者も複数残っている。だが、小牧憲継監督が「昨年のチームとよく比較されるんですけど、今年のウチは本当に力がないので」と語るように、前評判は決して高くなかった。
ただし、強豪チームには、必ず好捕手がいるものだ。京都国際には猪股、健大高崎には小堀弘晴(3年)という扇の要がいる。彼らの視点で、名勝負を振り返ってみよう。
両校は今春に練習試合を戦っている。猪股が「西村が打たれて、9点くらい取られて負けました」と語るように、京都国際の惨敗だった。
ただし、小牧監督はその敗戦の背景にあった事情を明かす。
「健大さんはセンバツ(京都国際は不出場)を控えていたので、バッテリーにはインコースに投げさせなかったんです」
試合前の会見で、小牧監督は「インコースに投げきれるかがポイント」と語っている。
西村といえば、昨夏に「魔球」と呼ばれたチェンジアップが代名詞だ。最速146キロとスピードもあるが、打者からすると強烈に印象づけられるのはチェンジアップだろう。
健大高崎の青栁博文監督は、試合前から西村のチェンジアップを警戒していた。
「あのチェンジアップはすばらしいですね。三振を取るチェンジアップと打たせるチェンジアップとで使い分けていますから」
そして、青栁監督は続けて重要な発言をしている。
「今日は左バッターがキーになります。右バッターはチェンジアップがなかなか打ちづらいので、左バッターへのスライダーのほうが、まだ機はあるかなと。(1、2番打者の)石田(雄星/2年)、加藤(大成/3年)が出塁できるかですね」
群馬大会でベンチ外だった背番号19の向井翔(3年)を7番・左翼で先発起用したのも、向井が左打者だから。一般的に「左対左」は相性が悪いとされるが、右打者の外角に逃げていくチェンジアップを持つ西村の場合、右打者のほうが攻略困難なのだ。
【練習試合での苦い経験が教訓】
捕手目線で、西村のチェンジアップはどう見えるのか。女房役の猪股に聞いてみると、こんな答えが返ってきた。
「キャッチャーから見ても、バッターから見ても、1回ボールが止まっているように見えます。
1回表の立ち上がりから、ハイレベルな攻防が繰り広げられた。捕手の猪股はしきりに打者に近寄ってから、ミットを構える。積極的にインコースを攻めたのだ。
「健大高崎の映像を見て、インコースに弱い部分があると感じていました。当てても仕方ないと割りきって、インコースを要求しました」
ただストレートを投げ込むだけでなく、左打者のインコースにスライダーを投げ込むシーンも見られた。打者からすると体の近くから曲がってくるだけに、体が早く開いた状態で打たされる。健大高崎の1番打者・石田は、インコースのスライダーで二塁ゴロに打ち取られている。
この対左打者へのスライダーの攻めは、練習試合での苦い経験が教訓になっていたと猪股は語る。
「健大高崎の左バッターには、西村のチェンジアップがあまり通用しなかったんです。加藤君にはチェンジアップでホームランを打たれてしまって。だからインコースの真っすぐだけでなく、スライダーを使おうと考えていました」
しかし、猪股にはひとつ気がかりなことがあった。
「初戦ということもあってか、西村のコントロールが少し荒れていました」
厳しいコースを突くだけに、少しでもズレればボール球になってしまう。
この場面で、猪股のリードが冴え渡った。1ボールから4球連続してチェンジアップを要求。小堀から空振りを奪うなど、カウントは3ボール2ストライクになった。
最後はチェンジアップか、ストレートか。試合を見ている誰もが、そう予想する場面だったに違いない。だが、猪股は意外な球種を選択する。
「インコースにスライダーを要求しました。(小堀は)真っすぐに強いバッターなので、当たったら飛んでしまいます。チェンジアップも、さすがにこれだけ続けたら、目が慣れてくるので」
膝元に落ちていくスライダーに、小堀のバットは空を切る。猪股にとっては、会心のリードだった。
難しい立ち上がりを乗り切った京都国際は、1回裏に2点を先取する。2点目を叩き出したのは、6番・猪股の適時中前打だった。
【相手捕手が語る西村一毅のチャンジアップ】
しかし、健大高崎の小堀も黙ってはいなかった。2打席目となる3回表、二死満塁のチャンスで、再び打席に入る。
1ボール2ストライクと追い込まれた時点で、小堀は動いた。バントの構えからバットを引いてヒッティングする、バスター打法に切り替えたのだ。その狙いを聞くと、小堀はこう答えた。
「1打席目のチャンスを潰してしまって、『来た球を素直に打ち返そう』と思って、バスターを選択しました」
小堀のバスター打法を見た猪股は、「追い込んでから打ち方を変えられると、難しいな」と厄介に感じていたという。
その直後、西村はスライダーを引っかけ、暴投となって1点を失う。局面は二死二、三塁に変わった。
カウント3ボール2ストライクから、西村が投じたチェンジアップに小堀が食らいつく。打球はゴロで三塁線を抜け、2人の走者が生還。
ちなみに、小堀は1打席目に三振を奪われた内角のスライダーについても、「頭にはありました」と明かしている。
「春に代表合宿(高校日本代表候補強化合宿のこと)でブルペンに入らせてもらった時、西村君のボールを受けているんです。チェンジアップだけじゃなく、スライダーのキレもすごくて、『レベルが高いな』と思っていました。1打席目も当然、『インスラもあるな』と頭にあったんですけど、とらえられませんでした」
猪股だけでなく、小堀も西村のボール捕球経験者だったのだ。せっかくなので、小堀にも西村のチェンジアップがどう見えるのかを聞いてみた。
「右バッターに向かっていくような感じから落ちていくので、特殊ですよね。曲がり幅も、落ち幅も、どっちも大きいボールでした」
その後、試合は京都国際が逆転に成功。4回裏に勝ち越しの適時打を放ったのは、またもや猪股だった。
4回以降も、猪股は好リードで西村を支え続けた。健大高崎打線が低めのチェンジアップを捨てていると見るや、即座にカーブを交えて翻弄。
下馬評を覆した猪股は、こんな感想も語っている。
「ネットでは『健大が勝つ』と言われていたので、勝ててよかったです」
あるプロスカウトは「京都国際のキャッチャーはセンス抜群だね」と、猪股の捕手としての才覚を絶賛した。大一番を乗り越えた京都国際が今後も勝ち上がれるかどうかは、西村だけでなく、捕手の猪股もカギを握りそうだ。
京都国際の次戦は16日、好左腕・広瀬賢汰(3年)を擁する尽誠学園(香川)との3回戦を戦う。
好ゲームの裏には、好捕手の存在がある。甲子園観戦の折には、捕手たちの思考に思いを馳せてみてはどうだろうか。