学校での部活を取り巻く環境が変化し、部員数減少も課題と言われる現在の日本社会。それでも、さまざま部活動の楽しさや面白さは、今も昔も変わらない。

 この連載では、学生時代に部活に打ち込んだトップアスリートや著名人に、部活の思い出、部活を通して得たこと、そして、今に生きていることを聞く──。部活やろうぜ!

連載「部活やろうぜ!」
バレーボール木村沙織 インタビュー前編(全3回)

【木村沙織インタビュー】「ある日の試合に知らないおじさんがい...の画像はこちら >>

 7月下旬、東京都内のビル。木村沙織がインタビューのために部屋に入ってくると、ふわりと空気が華やいだ。女子バレーボール日本代表として4大会連続で五輪に出場し、ロンドン大会では悲願のメダルを獲得したエースの経歴は伊達ではない。

 185センチの長身で、すらりと伸びた手足、背筋は凛と伸びる。現役時代、絶大な人気を誇ったアスリートの美しさは健在だった。口調は柔らかく、相手を気遣うような穏やかさがあって、少しもおごりがない。殺風景な会議室を自然に輝かせていた。

「スター」。そう呼ばれる人の真価なのだろう。今回のインタビューでは、木村の少女時代について聞いた。前編はバレーボールの名門である成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)に入学するまでどう過ごしていたのか。

彼女の原点に迫った。

【バレーだけはやめたいと思ったことがなかった】

ーーバレーボールを始めた当時、楽しさを感じた瞬間を覚えていますか?

木村沙織(以下同) 私は子どもの頃、習い事をたくさんさせてもらっていました。英会話、エレクトーン、ピアノ、習字......私が親に「したい」って言ったことを何でも挑戦させてもらっていましたが、どれもすぐにやめちゃって(笑)。唯一ピアノは続いたんですけど、すぐに飽きちゃうというか。

 でも、バレーボールはやめたいと思うことがなかったです。母がママさんバレーをしていて、練習にもついて行っていて。小学2年の時にクラブ(秋川JVC)に誘われたのがきっかけでした。何もできないところから始まって、少しずつできるようになるのが本当に楽しくて!

 日々課題があって、「サーブが入った」とか目標を達成するのが面白かった。自分だけじゃなくて、クラブの子たちと一緒に達成するのがいっそう楽しくて、「今日はクラブの子とボールを落とさずにパスが続いて合格した」とか、小さな目標を達成できると、どんどん自信につながっていきました。

ーー共同作業の楽しさですね?

 そうですね。小学校の時のクラブはわりと厳しくて、お休みもあまりなかったんです。15時に学校が終わってすぐに集合して、夜19時半まで練習が続きました。火曜だけお休みで、毎日ほぼバレーでした。

 土日は先生の車に乗って、みんなでぎゅうぎゅう詰めになりながら、都内の強いチームとの練習試合に行っていましたね。夏休みも朝5時半から練習だったし、今思えばかなりきついですよね(笑)。でもきついながらも、クラブに行ったら楽しかったんです。

ーー東京・あきる野市のクラブでしたが、最初から活躍していたんですか?

 いえいえ、バレーを始めたのは小学2年でしたし、試合は先輩の応援から始まりました。ぶかぶかのブルマを履いて声を出して、たまにメンバーチェンジでサーブを打って、入ったらみんなで喜んで。そのうち試合にも出られるようになっていきました。サーブは小学生の頃はずっと下からで、中学からフローターサーブになったんですけど......。

【「知らないおじさん」の言葉で道が開けた】

ーー小学生時代のプレーが話題になって、名門・成徳学園中学からスカウトされたのでしょうか?

 あきる野は東京の端っこにあるのですが、そんなところまで成徳中バレー部の安藤美純(よしずみ)先生が試合を見に来てくださいました。でも当日は知らされていなくて、「お客さんが来るチームじゃないのに、誰だろう......このおじさん」ってみんなが思っていました(笑)。

 あきる野のクラブの先生はウォーミングアップから独特で、ストレッチから始めるのではなくて、木の棒を床に置いてその上で目をつぶってバランスを保ちながら歩くということをしていたんです。そこでその知らないおじさんも一緒になってトレーニングに参加していて、「誰? 誰?」ってずっとざわざわしていました。

ーー成徳中としては、木村さんをそれだけの逸材だと考えてやって来ていたんでしょうね。

 どうですかね、そのへんはわかりませんが、小学6年の時に私たちのクラブが最後の都大会で優勝したんです。その時に見に来てくださったそうです。そのあとすぐ練習を見に来てくれて、「よかったら中学の全国大会優勝を一緒に目指しませんか? 全国1位になりませんか?」って声をかけてもらいました。

 当時は、「えっ?」っていう感じでした。そんなことを考えたこともなくて、地元の公立中学へ行く気満々だったので。安藤先生の言葉がきっかけで、強豪である成徳中へ通うことになって、バレーの道が開けていった感じでしたね。

ーーそれ以前は「バレーボール選手になる」という将来を思い描いていたわけではなかったんですか?

 将来もずっとバレーをしていこうとは考えていなかったです。成徳中に行ったことがきっかけでしたね。あきる野のクラブの同じ代の当時のキャプテンで、一緒に成徳中へ行った「めぐ」って子がいたんですが、彼女の存在も大きかったです。もしひとりだったら、成徳で挑戦してなかったかもしれません。

「どうする?」「行くんだったら行く」ってお互い話しながら、めぐは行く気だったので、「じゃあ私も」って。下北沢にある成徳までは、自宅から電車で1時間半くらいかかったので、ふたりで行くことがあと押しになったと思います。

ーー成徳中への進学が、先生やチームメイトなど人に恵まれ、導かれるようなバレー人生の始まりだったんですね?

 人生のなかで、そう感じた瞬間は多いですね。

中編につづく

【profile】
木村沙織 きむら・さおり/1986年生まれ、東京都出身。2003年、アジア選手権で代表デビュー。2005年、東レアローズに入団。2012年ロンドン五輪で銅メダル獲得。2012年に世界最高峰リーグであるトルコの「ワクフバンク」に移籍し、ヨーロッパチャンピンズリーグ優勝を経験。2016年リオデジャネイロ五輪でキャプテンとしてチームを牽引した。2017年に引退。現在は、子育てとともにメディア出演などマルチに活躍する。夫は元バレーボール選手の日高裕次郎氏。

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