学校での部活を取り巻く環境が変化し、部員数減少も課題と言われる現在の日本社会。それでも、さまざま部活動の楽しさや面白さは、今も昔も変わらない。

 この連載では、学生時代に部活に打ち込んだトップアスリートや著名人に、部活の思い出、部活を通して得たこと、そして、今に生きていることを聞く──。部活やろうぜ!

連載「部活やろうぜ!」
バレーボール木村沙織 インタビュー中編(全3回)

木村沙織が明かす名門バレー部時代「当時の私は怒ってましたけど...の画像はこちら >>

 木村沙織は、日本女子バレーボールの歴史を象徴する選手のひとりだ。Vプレミアリーグ(現・SVリーグ)の東レアローズでは最強時代を築いた。入団以来、5年連続でベスト6を受賞。MVPも受賞し、リーグのスター選手だった。

 何より日本代表として圧倒的人気を誇った。「スーパー女子高生」とメディアで騒がれた2004年アテネ大会から、4大会連続で五輪に出場。2012年ロンドン大会では、悲願のメダル獲得に大きく貢献した。

 そんな木村は高校時代、どんな指導を受け、どうバレーボールと対峙していたのか?

【バランスよく基礎を身につけられた子ども時代】

ーー東京・あきる野市のクラブでの活躍から下北沢の成徳学園中学に入学したわけですが、当時すぐにレギュラーでスパイクを打っていたんですか?

木村沙織(以下同) 入学当初は身長がそれほど高くなくて、中学1年で163センチくらいだったんです。自分の同級生には、170センチ以上の子がたくさんいました。

 私はレシーブを練習して、つなぎのところを頑張ろうって感じでした。ライトでつなぎからたまに決めるというポジション。それが中学から高校にかけて20センチくらい背が伸びて、だんだんとエース的なポジションになっていきました。

ーー結果的にレシーブをたくさん練習していたことで、オールラウンドな木村沙織という選手が生まれたのかもしれませんね。

 そうですね。小学生時代のクラブ(秋川JVC)の先生の考え方で、全員がまずはレシーブをたくさん練習していました。昔のバレーは、「背が高かったらとりあえずアタック」っていう指導だったと思うんですけど。

 私自身、レシーブがすごく好きでしたし、そこは大人になってから自分のキャリアに生きているなと思っていました。スパイクだけをやっている選手だったら、代表までは進めなかったかもしれません。バランスよく全部の技術を身につけるという基礎練習が大事だったなって。

ーー成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)時代に木村さんは春高バレー(全日本バレーボール高校選手権大会)の連覇など旋風を巻き起こし、「スーパー女子高生」として世間の注目を浴びていました。

 注目をされていたことは、知らないわけではありませんでしたが、あまり気にならなかったというか......たとえば大会で活躍するとMVPをもらえましたが、賞をもらいたいという気持ちはなく、本当に別の選手がもらってほしいって思っていました。

 性格的に前へ前へと出るタイプではありませんでした。好きなバレーをやらせてもらっているのが、ただうれしくて。目の前の相手に勝ちたい、負けたくないっていうのが一番でした。

周りからどう評価されているかということを気にしたことはなかったです。

【「私は攻めるべき」恩師が教えてくれたこと】

ーー正々堂々と撃ち合う「オープンバレー」を伝統に、高校バレー界で名将の誉れ高い小川良樹先生の指導を受けました。今も下北沢成徳にはその気風が残っていて、石川真佑選手らたくさんの選手を輩出していますが、どんな練習だったのでしょうか?

 監督が代わっても、なんとなく伝統は残っていますよね。小川先生は、自主性に一番重きを置いていました。チーム練習はありますが、そのあとの練習は時間もメニューも自分たちで決めていました。自分たちの判断で、「何時まででも体育館どうぞ、どんな練習でもいいよ」というので、当時はその自由が逆に厳しかったというか。まず先輩が帰らないと帰れないなって(笑)。

 今では考えられないですが、夜遅くなって日付が変わることもありました。先輩が全員帰ったら、やっと1年生も帰れる。そんなルールはどこにもないのですが、なんとなくの決まりというか。でも先生が求めていたのは「自分で考えて行動しなさい、プレーしなさい」ということ。

 そんな自主性を大事にするところは、自分にすごく合っていました。

おかげで卒業後も「何が足りていないのか」「こういう練習を自分でしたい」と考えて判断することができました。それは、高校3年間で身につけたものだったのかなと思います。

ーー木村さんは勝負がかかった場面で輝くエースでした。どんなトスも託されたら決める覇気が漂うというか......。

 それこそ、(成徳の後輩である)石川真佑ちゃんが2段トス(※レシーブが乱れてセッター以外の選手が上げるトス。ネットから離れた場所から上げることが多い)とか、そういうトスも打ちきるのが得意ですよね? とにかく、最後まで打ちきれる。

 真佑ちゃんも「高校3年間のオープンバレーで、打ちきることをずっとやってきましたから」と言っていましたが、その成徳での経験があるからこそ、逃げずに打ちきる、リバウンドを取るんじゃなくて、しっかり決めにいく選択ができるようになるんじゃないかなって思います。自分も高校3年間があったからこその現役生活だったなと。

ーー木村さんの練習での「5点ゲーム」のエピソードは象徴的ですね。5点先行でなかなか5点目が取れず、木村さんがフェイントを仕掛け、それで味方が点を取って勝ったあと、小川先生から「逃げるな」と叱責されたとか。"オープンバレー"の伝統ですね。

 5点ゲーム、あの展開は一生覚えています......。

攻めのフェイントもありますが、逃げのフェイントというか、つなぎのフェイントだったんですよね。そこに対して怒られたのですが、私も当時は納得いかず。「小川先生の前では、もう1本もフェイントしない! 一生フェイントするもんか」って(笑)。

 でも、おかげで不利な状況でも絶対に決めにいこう、点数を取りにいこうっていうふうに考えられるようになれたんですよ。自分のプレースタイルができ上がるきっかけは、あの1本だったと思います。打ちきらずに、フェイントしたことによって、チームが崩れて負けちゃうこともあるので、そこを気づかせてもらえたんだなって。

 せっかく、みんながつないで1本を託してくれるんだから、私は攻めるべき。代表で日の丸を背負うようになって、身にしみました。当時の私は怒っていましたけど(笑)。

後編につづく

【profile】
木村沙織 きむら・さおり/1986年生まれ、東京都出身。2003年、アジア選手権で代表デビュー。2005年、東レアローズに入団。

2012年ロンドン五輪で銅メダル獲得。2012年に世界最高峰リーグであるトルコの「ワクフバンク」に移籍し、ヨーロッパチャンピンズリーグ優勝を経験。2016年リオデジャネイロ五輪でキャプテンとしてチームを牽引した。2017年に引退。現在は、子育てとともにメディア出演などマルチに活躍する。夫は元バレーボール選手の日高裕次郎氏。

編集部おすすめ