【短期集中連載】
若かりし角田裕毅の素顔02(全5回)後編
「2019年:FIA F3」

◆角田裕毅の素顔01から読む>>「中嶋悟がホンダに推薦したらダントツに速かった」

◆角田裕毅の素顔02前編>>「F3初年度はヘボチームで愚痴が止まらず」

「日本人の育成プログラムのなかで、一番いいドライバーを連れてこい」

 2018年7月、ヘルムート・マルコ(レッドブル・モータースポーツアドバイザー)は山本雅史にそう言った。

 ホンダのモータースポーツ部長としてモータースポーツ活動全体を統括する立場にあった山本は、現場スタッフに「一番いいドライバーは誰か」と聞いた。

すると、皆の答えは「今シーズンは角田裕毅がダントツです」。

 ハンガリーでF3マシンに乗ってテストドライブすることになった角田は、その千載一遇のチャンスをつかむ。F3マシンは未経験ながら、わずか2日間の練習走行を経てテストに臨むと、誰よりも速いラップタイムを刻んだ。マルコは言った。「ウソだろ?」と。

 晴れてレッドブルジュニアチーム入りを果たした角田は、2019年からFIA F3に戦いの舞台を移すことになった。

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【F1】「角田裕毅がダントツ」2018年の育成プログラムで「...の画像はこちら >>
── 角田選手がFIA F3にやってきた2019年シーズンに、同じレッドブルジュニアチーム所属のリアム・ローソン(現レーシングブルズ)も参戦していました。彼は翌年もFIA F3を戦うことになり、そこから角田選手と大きく差がつくことになりました。

「このF3に乗ったヨーロッパ最初の1年が、角田にとって大きかったと思います。もし、カーリンのようないいチームに乗って最初から上位を走っていたら、逆にうまくいかなかったかもしれません。中途半端にいいと、そこで満足してしまってうまく噛み合わないまま足踏みしてしまった可能性もあるんじゃないかと思います。

 イェンツァー加入が決まって、レッドブルがいいと思うエンジニアを引き抜いてきて、最初は角田も文句を言っていたんだけど、そのエンジニアとのやりとりを学びの場にしたのが大きかったんじゃないかと思います。

結果論ではありますけど。トップチームなら言われたとおりに走るだけになってしまうし、実はFIA F4日本選手権ではそういう状態だったんです」

【逆にF3はヘボチームでよかった】

── 日本で開催されているカテゴリーですね。

「F4のチームは日本でずっとレースをしているから、各サーキットに対して『ここはこのセットアップ』というのが決まっている。何もセッティングを触らなくてもクルマの状態がいいから、ちょっとしたアジャストだけでなんとかなってしまうんですね。

 逆にドライバーが意見を言う余地はほとんどない。これはホンダとしても反省しなければいけないことなんだけど、だからドライバーがマシンのメカニカルなことを学ぶ機会がほとんどないんです。

 それはF2やF3でも同じで、カーリンやARTのようなトップチームはその傾向が強いんですよね。彼らは勝つためにレースをしているし、実際にそれで勝ってきているから、そのやり方に合わせるようにドライバーにも求めるわけです。

 データも豊富で、エンジニアも優秀で、それは当たり前のことではあるけど、逆に角田はF3でイェンツァーに乗ったのがよかったのかもしれません」

── イギリス・ミルトンキーンズに住んでからの1年間の生活や成長は、どのようにご覧になっていましたか?

「プライベートに関しては、僕はモータースポーツ部長という立場もあるから、細々したやりとりはしていません。面倒見のいい、お姉さん兼お母さんみたいな存在の担当者がいて、彼女が自分の子どものように可愛がってケアもしていました。彼女が角田にとっていいと思うことはやればいい、という形で任せていました。

 イギリスに住まわせて最初の問題は衣・食・住。住むところやトレーニングする場所、日曜に移動する時の足になるクルマはホンダが手配をしたわけですけど、当時ハイテックGPの代表だったオリバー・オークスにもすごくお世話になったんです(2019年のハイテックにはレッドブル育成のユーリ・ビップスが所属。

2017年には牧野任祐がユーロF3で所属していた)」

 食事はきちんと食べさせることまで含めて、担当者の彼女がすごくケアをしてくれました。ヨーロッパ初年度は角田本人も一生懸命、努力したと思いますけど、ホンダもしっかりとケアをしながら、二人三脚で環境づくりをしたというのが大きかったのではないかと思います。

 海外での育成はその前後、少し放ったらかしになっていた時期もあったりしました。だけど角田の時は、レースに集中してがんばれる環境を整えてあげられたと思います」

【ホウレンソウができない】

── 角田選手自身も周りの人間が「応援したい」と思わせる、人懐っこさみたいなものがあります。レッドブルとのタッグもあって、ホンダがそういった育成環境を整えたちょうどいい時期というか、タイミングの妙というのもあったんですね。

「もともと角田は人懐っこくて、可愛がられる人柄だけど、ホウレンソウ(報告・連絡・相談)みたいな大人とのコミュニケーションはまったく身についていなかったから、最初の頃は担当者が『連絡が来ない』ってよく怒っていました。

 だから、こちらも連絡がなければ自宅まで行ってみたり、メールが返ってこなければ電話をしたりして。まだ右も左もわからない状況のなかで、角田自身も周りの大人たちとのコミュニケーションをこの時期に身につけていったと思います。それがF3に参戦したヨーロッパ初年度だったように思います」

── 英語中心の生活にも、あっという間に溶け込んでいきました。

「当初から英語がペラペラだったわけではなかった。だけど、中学・高校でインターナショナルスクールに行っていたから、英語に対する拒否反応がなかったんですよね。

 英語に拒絶反応を示してしまう日本人ドライバーもいます。

しかし、話せなくても適応していこうという姿勢があるのとないのとでは、全然違うんです。そこにある違いは言葉というか文化の違いで、自分とは違う文化に飛び込んでいけるかどうかなんですよね。

 その国や、そのチームの文化に入っていかないと、この世界で戦っていくのは無理なんです。角田には、そういうオープンな姿勢があったのがよかったんだと思います」

(03につづく)


【profile】
山本雅史(やまもと・まさし)
1964年3月15日生まれ、奈良県出身。高校卒業後の1982年、本田技術研究所(Honda R&D)に入社。2016年、マネージメントの手腕を買われてホンダ本社のモータースポーツ部長に就任。2019年にF1担当マネージングディレクターとなり、2020年のアルファタウリ優勝や2021年のレッドブル・ドライバーズタイトル獲得に貢献。2022年1月にホンダを退職し、現在はMASAコンサルティング・コミュニケーションズ代表を務める。

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