【「どうやって投げればいいのかわからなかった」】
高校生には無限の可能性が眠っている。
今夏の甲子園で中越(新潟)の本格派右腕・石山愛輝(3年)を取材して、そう実感せずにはいられなかった。
8月13日、石山は関東一(東東京)との甲子園初戦に登板した。
もしかしたら、「期待外れ」と感じた野球ファンもいたかもしれない。石山は大会前から「最速148キロのドラフト候補」と注目されていたからだ。
しかし、石山が今年の3月から6月の間、まともに投球できない投手だったという事実を知れば、きっと驚くに違いない。
石山がたどった過酷な道のりを、本人の証言をもとに振り返ってみたい。
石山は身長180センチ、体重78キロと均整の取れた本格派右腕である。昨秋はエースとして北信越大会に出場。翌春のセンバツ出場はならなかったものの、プロスカウトが注目する存在になった。
もともと「高卒でプロに進みたい」と考えていた石山は、この時点で1年後にプロ志望届を提出する意思を固めている。
野球人生を懸けた勝負の年。
「春先に練習試合が始まって、マウンドに上がったんですけど、どうやって投げればいいのかわからなかったんです。『テイクバックはどうやって取っていたっけ』『足はどうやって前に出していたっけ』『リリースは?』......と全部わからなくなりました」
原因不明。本格的な投球練習が不足しているなか、練習試合に登板して意気込みが空回りしたことも、背景にあったのかもしれない。
春の大会は、中学時代からのチームメイトである左腕・雨木天空がエースとなり、チームは北信越大会ベスト4と躍進する。しかし、投げ方を忘れた石山に光は見えなかった。
【「選手を引退して、マネージャーになろうか」】
石山は自分自身を「リセット」することを決断する。
「1回、秋までにやってきたことを忘れよう。またイチからフォームを作り直して、進化させるくらいのつもりでやろう」
秋までの石山は、「ボールが高めに抜けてしまう」という課題があった。そこで、「"上から叩く"腕の振りにしよう」と改善。さらに「下半身をしっかり使えるようになろう」と体重移動を意識した。周囲は技術指導、メンタルケアと献身的にサポートしてくれた。
投手としてカスタマイズし直す作業。それは精神、肉体ともにすり減らす日々だった。当然ながら、思うようにいかないこともある。
チームを甲子園に導き、自分はプロへ行く。その夢を叶えるためのタイムリミットは迫っているのに、自分はマウンドに上がることすらできない。次第に、石山の内面は蝕まれていった。
「プロなんて、まったく考えられなくなりました。もうピッチャーをやめて、選手を引退して、マネージャーになろうかと思いました」
5月下旬、本田仁哉監督に引退を申し出ると、「それは違うだろう」と説得された。本田監督は、石山の復活を信じていた。
「苦しかったと思います。3、4月は、まったく投げられませんでしたから。でも、石山はグラウンドだけでなく、日常生活でもボールを離さないくらいでした。
石山は、修羅の世界で戦い続ける道を選ぶ。そして、ようやく光が見えたのは6月下旬のこと。夏の新潟大会は、ほぼぶっつけ本番だった。
【諦めなかった石山に訪れた突然の進化】
関根学園との新潟大会準決勝、4回からリリーフ登板した石山は力がみなぎるような感覚を抱いた。
「下半身と上半身が、しっかり連動している感覚がある。自分の持っている力以上のボールが投げられている感じがする」
2年秋までの石山の最高球速は143キロ。この日の石山は、自己最速の148キロを計測する。
ただ球速が上がっただけではない。フォームを再構築したおかげで体重移動がスムーズになり、上から叩く腕の振りに変えたことでボールに角度がつくようになった。
6イニングを投げ、被安打2、奪三振10、与四球0、失点0の快投。石山はチームを決勝進出に導いた。
「フォームがわからなくなった時は地獄でしたけど、あの時間があったから今の自分がいるのかなと。
新潟産大付との決勝では先発するも、「雰囲気にのまれて、力んでしまった」と、2アウトしか取れずに2失点で交代。それでも、仲間たちが奮起して、逆転。甲子園出場をつかんだ。
前述のとおり甲子園では初戦敗退に終わったものの、石山からすれば信じられない出来事だった。
「2、3カ月前の自分では、考えられないような場所でした。点は取られてしまいましたけど、ストレートが通用したのは収穫でした。思い切り投げられましたし、しっかりと投げられたことに驚いています。指導者の方々、周りの3年生に助けてもらったおかげです」
【プロ野球に「何が何でも食らいつく」】
卒業後の進路について聞くと、石山は「プロ志望届を提出したい」と希望を口にした。育成ドラフトでの指名でも、プロに進みたいと熱望する。
「どんなに低い順位でも、行かせていただく形を取りたいです。何が何でも食らいついて、上のレベルで活躍し続けるピッチャーになります。いずれはプロを代表するピッチャーになりたいです」
今年は有望な高校生がプロ志望届を提出せず、進学・就職の道を選ぶケースが目立っている。
「逆にラッキーだなと思っています。いい選手が行かないということは、枠が増えるので。むしろありがたいです」
地獄から這い上がってきた男は、たくましい。今の石山なら、弱肉強食の世界でも生き延びていくのではないか。石山の目には、そう思わせるだけの生命力が宿っていた。