日本代表「話題のFW」インタビュー
ジャーメイン良(サンフレッチェ広島)前編
7月に韓国で行なわれたE-1選手権で衝撃の代表デビューを飾ったのが、サンフレッチェ広島のジャーメイン良だ。
初陣となった香港戦で4ゴールを奪取すると、優勝決定戦となった韓国戦では値千金の決勝ゴールをマーク。
プロ入りからしばらくは苦悩の時期を過ごしたジャーメインが、ストライカーとしての能力を覚醒させたのは2023年のこと。遅咲きの30歳はいかにして、日本屈指のストライカーへと成長を遂げたのか。
森保ジャパンの新たな戦力として名乗りを挙げた「話題のFW」に話を聞いた。
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── E-1選手権での活躍で世の中にインパクトを与えたましたが、大会後の周囲の反応はいかかでしたか。「代表メンバーが発表された時に連絡はかなり来たんですが、初戦の香港戦が終わったあとはさらに反響が大きかったですね。久しぶりという人はそんなにいなかったんですけど、ふだん連絡している人たちからたくさん祝福していただきました」
── 4ゴールという衝撃の代表デビューを飾りましたが、あの香港戦をあらためて振り返ると?
「初めての代表の試合だったので、最初のプレーを意識して試合に入りました。森保(一)監督をはじめとする首脳陣に対してもそうですし、ふだんのJリーグよりも見てくれている人が桁違いに多いのはわかっていたので、そういう人たちに向けても自分が『何ができるか』っていうのを示したかった。
そういうなかですぐに1点が取れて、そこから立て続けにゴールを決められた。いいインパクトを与えられたなと思います」
── 試合後に森保監督から何か言われましたか。
「試合後は特になかったですけど、大会が終わったあとに、たくさん点を取って、優勝させてくれてありがとうと言われました」
【固め打ちができる秘訣は...】
── ジュビロ磐田に所属した昨年の川崎フロンターレ戦(3月1日/J1第2戦)でも、ひとりで4ゴールを決めていますよね。
「そうですね。去年は川崎戦だけじゃなくて、複数得点を記録した試合が多かったんですよ。
── 固め打ちができる秘訣はありますか。
「最初のシュートが入るかどうか、じゃないですかね。そこで入ったら、リラックスできますから。特に秘訣はないですけど、やっぱり気持ちの部分が大きいと思います」
── 韓国戦の決勝ゴールも見事な一撃でした。
「(相馬)勇紀がいいボールを出してくれたので、合わせるだけでした。香港戦でも勇紀のクロスから2ゴールを決めていますけど、質が高かったですね。
勇紀はドリブルで抜ききれる選手なので、クロスの上がってくるタイミングがわかりやすいんですよ。韓国戦でも、もし点が取れるとしたら勇紀のクロスに合わせる形かなと、前日にイメージしていて、まさにそのとおりになりました」
── 国内組だけの構成となったE-1選手権には、どういうモチベーションで臨んでいたのでしょうか。
「代表経験のある(長友)佑都さんや勇紀とかは、来年のワールドカップも意識してやっていたと思いますけど、自分は初めての代表でしたし、まずこの大会で結果を出して、優勝するということしか考えていませんでした。
ミーティングでは『ワールドカップで優勝するために』というワードが、森保さんや名波(浩)さんから何度も出ていました。だけど自分としては、まずこの大会で結果を出さないと、その先にはつながらない。
来年のワールドカップよりも、このE-1にすべての力を出しきるという意識で臨んだ結果、ある程度のインパクトを与えられたと思っています。この大会に対する取り組みが結果につながったことは、よかったですね」
【1.5列目が強みを一番出せる】
── 代表でもやれる、という手応えや自信は生まれてきたでしょうか。
「広島では1トップで出ることが多いですけど、E-1ではシャドーのポジションで起用されて、そこで結果を出すことができた。今の代表を見ても、技術的に抜けている選手が多い分、ストライカータイプのシャドーはあまりいないと思うので、そういう役割ができたのはまた新しい形を示せたんじゃないかなと。
その意味では手応えを掴めましたし、ここからチームでも結果を出していけば、次の遠征にも選んでもらえる可能性は、少しはあるのかなと思っています」
── 1トップよりもシャドーのほうがやりやすい部分はありますか。
「(磐田に所属していた)去年はどちらかというと2トップのような形でやっていて、自分は1.5列目ぐらいに位置することが多かったんです。サイズのある選手の少し後ろでプレーするのが、自分の強みを一番出せるのかなとは思います。だけど、一番前でやれることも自分の武器になると思うので、ポジションにこだわらず、可能性を狭めないようにやっていきたいです」
── 今シーズン、磐田からサンフレッチェ広島に移籍しましたが、あらためて移籍の経緯を聞かせてください。
「ジュビロでJ1に残留できれば一番よかったんですけど、力及ばず、J2に降格することになってしまいました。その意味ではチームに貢献できなかったですけど、一方で自分のなかでは納得のいく数字(19得点)を出せたという手応えもありました。移籍を考えるなかで、タイトルを獲れる力のあるチームでチャレンジしてみたい、という思いが一番強かったですね」
── おそらくオファーが殺到したなかで、広島を選んだ理由はなんでしょうか。
「ひとつは、フォワードに絶対的な選手がいなかったということ。それと、広島はあまり外国人に頼らないチーム作りをしていることも大きかったですね。
【プロ入り当初は意識が低かった】
── ジャーメイン選手は2018年にベガルタ仙台でプロのキャリアをスタートさせましたが、プロ入り当初は苦しい時期を過ごしていましたよね。
「そうですね。1年目は途中出場がほとんどで、2年目、3年目はケガが多くて、あまり試合に絡むことができませんでした。今思えば、足りないものだらけでしたね。スピードには自信がありましたけど、技術も不足していたし、華奢だったので、フィジカル的にもJ1でプレーする基準に達していなかったと思います。
仙台は、どちらかと言うと残留争いをするようなチームだったので、決して攻撃する時間が長くない。そういうなかで、前線には個で打開できるような力が求められていたと思いますが、自分にはその能力がなかった。前線には強さのある外国籍選手が起用されることが多いなかで、自分にはそこを超えていく力はなかったと思います」
── 試合にあまり出られないなかで、どういった努力をされていましたか。
「スピードはあったけどフィジカルが弱かったので、そこを鍛えなければいけなかったんですけど、あまり取り組んではいませんでした。今思えば、意識が低かったんだと思います。スピードを生かすことばかり考えて、足りないものを補う努力はしていなかったですね」
── その後、横浜FCを経て2022年に磐田に加入します。
「この年の磐田は補強禁止の措置を受けていたので、新しい選手が入ってこなかったんですよ。前年に降格して、J1復帰を目指すチームとしては苦しかったですけど、若手だったり、自分のようにポジションを掴み取れていなかった選手にとっては、チャンスという認識がありました。
また、個人的には初めてのJ2だったのもあって、しっかりとゲームに出て、力をつけて、成長できる年だとイメージして、シーズンに入ったのを覚えています」
── 当初は右ウイングとして起用されていましたよね。
「そうです。でも、シーズンが進むなかで案の定、フォワードはケガ人と移籍で枚数が足りなくなってしまいました。そのなかで1トップとして起用されるようになって、そこからですね。点が取れるようになったのは」
(つづく)
◆ジャーメイン良・後編>>「海外は現実的じゃない。3、4年はトップフォームでやれる」
【profile】
ジャーメイン良(りょう)
1995年4月19日生まれ、神奈川県厚木市出身。アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれる。流通経済大柏から流通経済大に進学し、大学4年時に特別指定選手としてベガルタ仙台でJリーグデビュー。